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『新潟美少女図鑑』ディレクター・小林友が語る、20周年とこれから。

2002年に創刊以来、若い女性を中心に高い関心を集め続けているフリーペーパー『新潟美少女図鑑』(株式会社テクスファーム発行)。昨日の記事でご紹介した20周年記念事業の小説本に引き続き、本日は創刊当時から制作に携わっているディレクターの小林さんにインタビュー! 20年間で感じたこと、街やモデルの女の子のこと、小説のことなど、いろいろとお話を聞いてきました。2日連続の『新潟美少女図鑑』特集です。

 

 

小林 友 Yu Kobayashi

1974年新潟市生まれ。県内の大学を卒業後、会社員として働きながら、新潟のフリーペーパーの草分け的存在『SODA』に参加。「株式会社テクスファーム」の立ち上げ時から現在まで、デザインやプロモーション関連のコンサルティング、商品開発、ブランド運営などクリエイティブの第一線で幅広く活躍。『新潟美少女図鑑』のディレクター。BSNラジオ『スーパー・ササダンゴ・マシンのチェ・ジバラ』にも出演中。

 

『美少女図鑑』のはじまりから、全国への広がり。

――創刊20周年おめでとうございます。まずは『新潟美少女図鑑』創刊当時のお話から聞かせてください。

小林さん:まず『新潟美少女図鑑』を創刊する前に、新潟の街で『SODA』っていうフリーペーパーを作っていたんですよ。その中で「街の女の子の写真集を出したい!」みたいなコーナーを連載していて。それが『新潟美少女図鑑』のはじまりなんです。予想以上に好評で「本当に出せそうだ」と思ってスポンサー探しをはじめて、そのとき賛同してくれた専門学校、美容室、ファッションビルの人たちと一緒に限られた時間と予算の中で「自分たちの好きなものを作ろう!」とスタートしました。

 

――当時って、フリーペーパーの文化がまだ地方では浸透していなかったと思います。反響はどうでしたか?

小林さん:反響はすごくよかったです。SNSのない時代で、事務所に電話が来て「どこにもないじゃないか!」というクレームもあったりして。当時はもっと町がギュッとまとまっていて、商圏としては古町と万代しかなかったんです。最初に1万部発行したら、1週間くらいでなくなっていました。もう、街で遊んでいるみんなが手に持っているっていう。

 

――そのときはどんな気持ちでしたか?

小林さん:痛快でしたね。例えば僕がバンドをやっていて、ベースとかドラムみたいな存在だったとして、フジロックとかのフェスに出たとき「僕のことは知らなくても僕のバンドのTシャツを着ている人がたくさんいる」みたいなのって、きっとこういう感覚なんだろうなって思ったんです。僕のことは知らなくても『美少女図鑑』を手に持っている若い子たちがいっぱいいるっていう。「作ったものが世に出た」っていう手応えがありました。

 

 

――20年続けてきて、最大のターニングポイントはどこでしたか?

小林さん:やっぱり全国展開した2007年から2009年ですね。曲がり角はこれまで何度もありましたけど、いちばんでっかい曲がり角はそこでした。

 

――そのとき新潟から全国へと『美少女図鑑』が広がっていきましたよね。それによって、初期の頃と見られ方が変わったりしましたか?

小林さん:それはもう少し先なんです。沖縄から二階堂ふみちゃんとか、新潟から馬場ふみかちゃんとか、『美少女図鑑』出身のタレントが世に出ていったタイミングで強く感じましたね。僕らがやっていることは何も変わっていないんだけど、「タレントになるための登竜門」みたいな見られ方をするようになりました。

 

これからは、もっといろいろな表現に展開していきたい。

――創刊から20年。今も作っているときの気持ちは変わらないですか?

小林さん:変わらないです。でも同時に、好きなものも変わらないから、結果、自分なりの手癖が出てくるので、その手癖を「らしさ」ととるか「焼き直し」ととるか。ただ、10年前に作ったムービーとかを今改めて見ても、「いいな」って思うことはあります。あの当時にしか出せない感じが当然あるし、きっと今もそういうことをやっているんだろうなって思います。

 

――その時代ごとの、街や女の子の自然な姿が、いつも『新潟美少女図鑑』に映り込んでいた気がします。

小林さん:僕たちが作っているものって、レストランの料理というよりも、むしろ浜焼きに似ているというか(笑)。ロケーション込みで波の音を聞きながら、採れたてのものをその場で食べてもらう感覚ですね。だから外で撮影するし、素人っぽい、プロのモデルらしくない「こぼれちゃった笑顔」とかをなるべく出したいし、いろんな表情込みで見てもらいたいと思っています。

 

――ずっと作り続けてきて、飽きがくることはないですか?

小林さん:飽きはいつかくるでしょうね。でもまだやり残していることとか、積み残っていることがたくさんあるので。20年、この街でやってきたからこそ、今いただけるチャンスとか、信用とかがあって、今は冊子を作り続けるだけじゃなく、美術館やファッションビルで写真展をやらせてもらったり、こうして小説だとか動画だとかいろんな表現ができますし。

 

――これまで育った幹がブレないからこそ、枝葉になって広がるものがたくさんあるのでしょうね。

小林さん:まだ実現できていないですけど、県内のアイドルグループもたくさんいますし、一緒に何かできたらいいですね。僕、『美少女図鑑』は「芸能に携わっていない地元の子たちだけのものだ」って以前は思っていたんですけど、朝ドラの主演をふたりも出したら、もはや芸能と無関係とは言えなくなってきたところもあって(笑)。今は「『美少女図鑑』をこう見てください」っていうのはもうないです。むしろ客観的に見た『美少女図鑑』に乗っかることで、チャンスは広がっていくと思っています。

 

――でも、『美少女図鑑』の「らしさ」はやっぱり大切にしていますよね。

小林さん:こういうメディアって、ある意味でファンとの「約束」なんです。応援してくれる人がいて、協力してくれる人がいて運営できるものだから、それを裏切ることはできないですよね。

 

この20年で変化した女の子たち、そしてメディアとしての役割。

――この20年で小林さん自身が、クリエイターとして成長や変化を感じたことありますか?

小林さん:ものを作る立場の人間として、昔よりは他人の気持ちが分かるようになった、っていうのはあります。昔は撮影しても「いい写真じゃないから」と言って掲載しなかったカットがたくさんありました。でもそれを掲載することで、今は参加クリエイターたちとのディスカッションの場にもなると思うようになりました。

 

――感じ方が変わったのには何かきっかけがあったんでしょうか。

小林さん:目の前のモデルの子本人だけじゃなくて、その先の人、例えば彼女の友達やお母さん、おばあちゃんだとか、そういう『新潟美少女図鑑』に載ることで喜んでくれる人たちの声をたくさん聞いてきたというのがありますね。僕は今でも新しい号を発行したらファッションビルとかに設置したラックを見に行って、「今回の表紙はハンドリングがいいか」とか「減りがいいか」とか、自分の目で確認するようにしているんです。そうすると、そのタイミングでモデルのお母さんとかに挨拶してもらえることも増えて。喜んでもらうと、なるべく1枚でも多くの写真を掲載したいと思ったりするんですよね。

 

――感覚的に、20年前の女の子たちと今の女の子たちで、違いや変化を感じるところはありますか?

小林さん:昔の子たちの方がコミュニケーションスキルが高くて、あまり小さなことで傷つかないというか、傷つき慣れていたというか、そこは大きな違いかなと思います。今の子たちは以前よりデリケートな子が多いかもしれないですね。あと、メイクとかは今の子たちのほうがしっかりしていますね。自撮りとかSNSとかで、スマホのフレームの中にある自分の姿を認識しているというのもあると思います。

 

――SNSの普及はこの20年の若い子のカルチャーの中では大きな変化ですよね。

小林さん:ちょっと伝え方が難しいんですけど、以前は『美少女図鑑』って、モデルの子たちや読者にとって、世の中に出るための「我が事のメディア」としての意義もあって。それは東京とか芸能みたいなものと地方の間を埋めるものっていう感じがあったんです。でも今はより近い存在の「我が事」としてSNSがあるから、女の子にとってのその意味での『美少女図鑑』の役割はすでに終えているんですよ。「いいね」の数とかで承認されるSNSの方が数値化もされていてシンプルかもしれません。一方、『美少女図鑑』の場合はそれに出ることによって「新潟のかわいい子である」っていうお墨付きがもらえるっていう、今はそういうタグ的な意味合いもあるかもしれないです。もしくは『ミシュラン』のようなものかもしれないですね。

 

何度読み返しても新しい発見ができる、記憶の奥にあるものを呼び覚ます小説。

――創刊20周年の記念事業として、今回『グレーの空と虹の塔 小説 新潟美少女図鑑』をプロデュースされました。

小林さん:この小説は、20年の間に出演してくれた子たちに贈るような気持ちで企画しました。『新潟美少女図鑑』を卒業したモデルたち、彼女たちと同じ世代の子たち、もう学生ではなく、今は働いている、結婚している、家庭を持っている、娘がいるっていう人たちにこそ、読んでもらいたいんですよね。きっとその当時の自分のことを、街で過ごした時間を、良いことも嫌なこともいろいろ思い出すと思うんですよ。ゆるやかに記憶の奥にあるものを呼び覚ますのに「小説」っていう表現はとてもよいなと感じています。その意味で、この町でしか生まれない作品が世に出せたと自負しています。

 

――小林さん自身はこの小説をどのように読まれましたか?

小林さん:やっぱりいろんな感情が湧き出てくるし、僕自身、何度も読んで、そのたびに当時のことを思い出して追体験するので、まだ僕の中でも完全には読み終わっていないというか。小説で描かれる人生は今も続いているし、同じように街自体も続いているし、そういうことを感じられる本だと思います。1回読んだ後、今度は後ろから読んでもらえると、最初に読んだときとプロローグの感じ方も違うんですよね。今、映画監督の手塚眞さんと一緒に小説をイメージした動画を作っていて、10月に公開する予定なんですけど、そういう2次創作ができる余地もいっぱいあると思います。(編集部注:YouTube 新潟美少女図鑑チャンネルにて公開)

 

 

――さて、20周年を迎えた『新潟美少女図鑑』、次号はいつ発行ですか?

小林さん:ちょっと通常の予定から遅れて、9月30日の発行予定です! その次は12月20日です。

 

――街に出て、楽しみに手に取りたいと思います。本日はありがとうございました!

 

 

 

■フリーペーパー『新潟美少女図鑑』

発行:株式会社テクスファーム

 

■新潟美少女図鑑20周年記念事業

書籍『グレーの空と虹の塔 小説 新潟美少女図鑑』

著者:藤田雅史

企画制作:TEXFARM

発行所:ホイッスルスポーツ

発売日:2022年8月20日

定価1,760円(税込)

新潟県内各書店で発売中。

※掲載から期間が空いた店舗は移転、閉店している場合があります。ご了承ください。
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