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新発田の寿司屋「鮨 登喜和」、三代目の深化と進化。

  • 食べる | 2021.03.18

新発田市の繁華街にある「鮨 登喜和」は、昭和29年から続いてきた人気寿司屋さん。10年前に3代目の小林宏輔さんが店に入ったのをきっかけに、店舗の改築をはじめとして様々な変化がありました。忙しい仕込みの間を縫って、小林さんから寿司の魅力やこだわりをいろいろと聞いてきました。

 

鮨 登喜和

小林 宏輔 Kosuke Kobayashi

1979年新発田市生まれ。東京で音楽活動をしていたが、音楽をあきらめて寿司店で修行。2011年に新発田市の実家に戻り「鮨 登喜和」で3代目として働き始める。趣味として地元のバンドでドラムを担当しているが、現在は新型ウィルス感染症のため自粛中。

 

ミュージシャンから寿司職人に転身。

——仕込みでお忙しいところすみません。今日はよろしくお願いします。早速ですが「鮨 登喜和」はいつ頃から続いているお店なんですか?

小林さん:うちの店は割烹職人として修行をしてきた祖父が、昭和29年に寿司割烹の店として始めたんです。でも早くに亡くなったので、父は19歳のときからもう店に出ていたようです。

 

——じゃあ、お父さんは大変だったんでしょうね。小林さんは最初からお店で働いていたんですか?

小林さん:いいえ。俺はプロのミュージシャンを目指して東京に行って、バンドでドラムを叩いていました。ライブをやったり、ツアーをしていたんですよ。

 

——ええっ? 寿司職人とはまったく違ったことをしていたんですね(笑)

小林さん:そうなんです。でもそれだけでは食べていけなかったので、小料理屋でアルバイトもやっていました。料理の基本はそのときに教わりましたね。

 

 

——どうして寿司職人になったんですか?

小林さん:音楽で食べて行くのをあきらめることにしたんです。実家も寿司屋をやっているし、寿司職人の道に進むのが一番いいのかなって思ったんですよね。それで魚屋が経営している寿司屋で働くことになりました。その店で寿司職人としての基本を学ばせてもらいましたね。

 

——新発田へはいつ頃帰ってきたんですか?

小林さん:10年前の東日本大震災の少し前です。父が病気で倒れたので、実家の店を手伝うために帰ってきました。僕が帰ったばかりの頃は、父の体調が悪くて週に1回は救急車で運ばれていたんです。でも今はおかげさまで元気に店に出ています。

 

全国、全世界からお客さんが寿司を食べに来るような店を目指す。

——実家のお店をやるにあたって、覚悟のようなものはあったんでしょうか?

小林さん:何年か振りで新発田に帰ってきて、久し振りに見た地元のさびれ方に愕然としましたね。なんとか活性化しなければまずいと思いました。そんなとき、テレビのバラエティー番組で、北海道の田舎で寿司屋をやっている寿司職人が紹介されていたんです。その人も自分と同じ寿司屋の跡取りで、田舎の寿司屋を北海道で一番といわれる店にまで育てたんですね。それを見てとても感化されました。僕も「鮨 登喜和」を全国、全世界から人が来るような店にして、新発田を活気づけるお手伝いをしたいと思ったんです。そのためにもいろいろと勉強しましたね。

 

——たとえばどんな勉強を?

小林さん:本を読んだり、いろんなお店を食べ歩いたり、そうして覚えた知識を実際に試してみたりしました。あと、あちこちの漁港を訪ねて漁師さんから魚の話を聞いたり、地元で割烹をやっている先輩方にいろいろ教わったりもしました。そうやって勉強したことをお店に生かしていったんです。

 

——すごい情熱ですね。お店はどんなふうに変わっていったんですか?

小林さん:少なかったメニューの種類を増やしたり、お好み握りをやめておまかせで握るようにしたりしました。2017年にはお店を改築して、仕事がお客様から見えるようにカウンターをフラットにしたんです。

 

ここでしか食べられないものを作りたい。

——「鮨 登喜和」の寿司ってどんなことにこだわっているんですか?

小林さん:ここでしか食べられないものを作りたいと常に考えています。だからネタも新潟で採れるものを中心に使うようにしているんです。あと、その時期しか食べられない食材を使って、季節感も大切にしてますね。寿司はもちろん、その他の料理にしても、焼魚に添える大根おろしにふきのとうを混ぜたりして季節感を演出しています。

 

——季節感を大切にするのは和食ならではですね。

小林さん:それから寿司はバランスに気を使っています。シャリ、ネタ、わさび、醤油、この4つの食感、味、香りのバランスがとても大事なんですよね。お客様が何を食べたいと思っているのか、いつも考えて献立を考えています。

 

 

——そこまで考えて献立を作っているんですね。

小林さん:季節ごとに食材も変わりますから、それも含めてお出しする順番や組立てを考えるのは大変ですね。でも大変だからこそ面白いというのはあります。

 

——寿司屋さんをやっていて、うれしかったり楽しかったりすることってありますか?

小林さん:いろいろありますよ。寿司が綺麗に握れたとき、美味しいものを思いついてお客様に出したら喜んでもらえたとき、いい魚に出会ったときもうれしいですね。もちろん魚は目利きをして仕入れているんですが、下ろしてみるまではわからないことが多いんですよ。下ろしてみて脂の乗り方、うま味、すべてが完璧だったときなんてそのまま売りたくなくなっちゃいますよ(笑)。あとは何と言ってもお客様から「美味しい」って言ってもらえたときですね。

 

——やっぱり「美味しい」の言葉が何よりですか。

小林さん:そうですね。最初のうちは自信がなかったから「本当に美味しいと思っているのかな」なんて思っていたんですけど、今は素直に喜べるようになりましたね。お客様の喜ぶ顔が目の前で見れるなんて、寿司屋って幸せな仕事だなって思いますね。

 

これからは「進化」に加えて「深化」していきたい。

——小林さんが思う寿司の魅力って何ですか?

小林さん:うーん……いろいろありますよね。シンプルな食べ物なんだけど、先人たちが作り上げてきた完成形なんですよね。美味しさもわかりやすいし、見た目も美しいと思います。それは握るたびに思っていますね。

 

——今後はどんなお店を目指していきたいと思っていますか?

小林さん:今まではどんどん先に進むことを目指してきたんですよ。でもこれからは、それに加えて深みのある寿司屋を目指していきたいですね。自分自身も日々変わっていくので、店もそれに合わせてどんどん変わっていくんじゃないかな。言ってみれば「シンカ」する寿司屋ですね。「シンカ」は「進化」でもあるし「深化」でもあるんです。

 

 

取材を受けながらも仕込みをするスタッフの手の動きをチェックし、時々アドバイスをしたり、手本を見せたりしていた小林さん。常に気を抜かず店や寿司のことを考えている様子がうかがえました。そんな小林さんが握るお寿司を食べに「鮨 登喜和」を訪れてみてください。きっと行くたびに「シンカ」を感じさせてくれると思いますよ。

 

 

鮨 登喜和

新潟県新発田市中央町3-7-8

0254-22-3358

12:00-14:00/18:00-22:00

月曜休

※掲載から期間が空いた店舗は移転、閉店している場合があります。ご了承ください。
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