新発田の食材を楽しめる和食料理店、「ついしん手紙」。東京の人気店で「くずし割烹」を学んだご主人が、前身である「手紙」をリニューアルしてはじめたお店です。店名は「手紙」の続きだから「ついしん(追伸)手紙」なんだとか。新発田の鯉と菊を使ったお料理をいただきながら、店主の廣岡さんにお話を聞いてきました。
ついしん手紙
廣岡 雅志 Masasi Hirooka
1977年新発田市生まれ。東京国際大学を卒業後、新潟市と原宿の和食料理店で経験を積む。30歳のときに家業である新発田の老舗割烹「北辰館」に入り、2年間働く。2010年に独立し「手紙」をオープン。2017年に店舗を中央町に移転、「ついしん手紙」をはじめる。
——廣岡さんが料理の道へ進んだのはどうして?
廣岡さん:実家が160年以上続いている「北辰館」という割烹をやっているので、子どものときから将来はいずれは料理の修業をすると決めていました。それでも両親は僕を大学まで行かせてくれたんです。
——じゃあ、大学を卒業されてから和食の修業をされたんですね。
廣岡さん:卒業してからは古町の日本料理店に入りました。そこの料理長だった方が独立して駅南で「旬香茶寮あをせ」をはじめられるというので、開店準備からお世話になり、3年間ほど勉強させてもらいました。その後は原宿で「くずし割烹」をやっている「上ル下ル西入ル東入ル」で5年間働き、最後は料理長を任せていただいたんです。
——その「くずし割烹」というのは?
廣岡さん:カジュアルに和食を楽しめるスタイルと言えばいいでしょうか。和食は素材ありきの料理なので、いいものを出そうとするとそれなりの食材を使わなくてはならなくて、どうしても高価格帯になってしまうんです。そこで高級な食材を使わずに、手間ひまをかけてリーズナブルにお料理を楽しんでいただこうというのが「くずし割烹」なんですよ。
——なるほど、ラフに和食を楽しむスタイルも勉強されたんですね。新潟に戻ってこられたのは?
廣岡さん:30歳になり「そろそろ家業に入ってくれ」という話になって、新潟に戻ってきました。それから2年間「北辰館」で働いたんですけど、どうしても東京でやっていた「くずし割烹」のお店をやりたくて「ついしん手紙」の前身となる「手紙」を開いたんです。
——家業に入られた頃の思い出ってありますか?
廣岡さん:今だから言える話ですけど、東京から新潟に戻ってきたばかりの頃は「刺激がない」と嘆いていました。「北辰館」は冠婚葬祭でお料理をお出しすることが多いので、直接お客さまのお相手をすることがほとんどないんです。東京ではカウンター越しにお客さまと接していたのに、「田舎の厨房に戻ってきてしまった……」という気持ちも正直ありました。それに今は風潮が変わって食べ物が残ることは少なくなりましたけど、冠婚葬祭のような席だとゆっくりと食事を食べていられないでしょうから、残り物も多かったんです。「せっかく一生懸命作ったのにどうしてなんだ」と悔し涙を流したこともあります。そんなこともあって、もう一度「くずし割烹」のお店をやって、ちゃんとお客さまにお料理を召し上がっていただけるお店を作ろうと思ったんです。
——そのお気持ちが独立につながったんですね。
廣岡さん:家業はどうしてもお客さま主導になってしまうんですよね。お客さまのシチュエーションやご要望に合わせてお料理を作らなくちゃいけないですから。でも「ついしん手紙」のようなお店はレストラン主導でいられるんです。「僕のお料理を食べに来てもらう」というか。形態は違いますけど、どちらも地域に必要な料理屋だと思っています。
——新発田は地元の食材を取り上げた催しが盛んですよね。
廣岡さん:冬には赤穂の牡蠣、春先にアスパラ、秋はいちじくのイベントと年中いろいろな催しがあって、いつもこっちが追われているような感覚になります(笑)
——廣岡さんが独立された12年前も、今と同じく新発田にはたくさんの食のイベントがあったんですか?
廣岡さん:多少はありました。でも当時の僕は地元への意識があまり強くなかったんですよ。むしろ県外の食材を使って、新発田にないものを新発田の皆さんに楽しんでいただこうとしていたんです。その頃の僕の考えを手紙にしたら、独りよがりな内容が書かれているものだったでしょうね。「自分はこうしたい」「こういう食材を使いたい」「これがいいでしょう」って。30代の頃はそんなお店づくりをしていたように思います。40代になって生産者の方とじっくりと関わる機会が増えて、徐々に考えが変わっていきました。
——「手紙」という言葉が登場しましたので、店名に込められている思いについても教えてください。
廣岡さん:季節の言葉が記されていて、大切に思っている人に届けるものが手紙ですよね。料理も手紙のような存在だと思うんです。文字ではなく料理で、季節感を添えて大切な人に気持ちを届ける。「手紙のような料理をご提供したい」と思って「手紙」という言葉を店名に使っています。
——「手紙」から7年ほど経って「ついしん手紙」とリニューアルされましたよね。どんなところを変えたんでしょう?
廣岡さん:「手紙」では、東京にいた頃と同じ「くずし割烹」のスタイルでコース料理をお出ししていました。でもだんだんとコース料理に飽きてしまったんです。自分で決めたコンセプトに縛られているのが嫌になってきて(笑)。それで「ついしん手紙」では料理の幅を広げようと、ランチ営業と宴会料理をはじめたんです。ただ、宴会と会席を同じ場で楽しんでいただく試みは大失敗でしたね。
——あらら。それはどうしてですか?
廣岡さん:宴会のお客さまは賑やかに過ごしたいわけです。でも会席のお客さまは料理の説明を聞いたりしながら、ゆっくり過ごしたい。お客さまのご要望がまったく違うので「こりゃダメだ」と思いました。どうしたものかと悩んでいた頃にコロナ禍となって。いろいろ考える中で「やっぱりお店に理解のないお客さまが来るようではいけない」と思ったんです。お客さまが悪いのではなくて、「そういうお店づくりをしている俺が悪いんだ」って。それで今は会席料理主体のお店にしています。ランチは御膳もの、夜はアラカルトもご用意していますが、基本は会席のコース料理というかたちです。
——じゃあ、今も「手紙」の頃のようにコース料理が主体なんですね。
廣岡さん:一周してまたコース料理に戻ってきましたね(笑)。ただ、「手紙」の頃は「新発田にないお料理を新発田の方にリーズナブルに届けたい」と思っていましたけど、今はある程度お値段の幅を用意した上で「新発田のものを外に発信していきたい」という姿勢でいます。コースという面では同じですが、考え方は大きく変わりましたね。「手紙」をオープンしてから12年。レストランを取り巻く環境も変化して、今は地元の生産者さんの思いや食材の風景、新発田の空気感みたいなものをしっかりお皿に込めることを大切にしています。
——これからも目指すものが変わっていくのだろうとは思いますが、今掲げている目標があれば教えてください。
廣岡さん:毎日のように自問自答しているテーマは、これからどんなお料理を届けていくか、スタッフたちとどんなお店を作っていくかということです。もし僕が「甲子園に出たい」と思ったら、自分だけじゃなくて、スタッフみんなも目指すレベルに押し上げなくちゃいけない。日々苦労しながら全員で新発田の食材や生産者さんの思い、自分たちの哲学をより高いレベルで表現していきたいです。そうすればおのずと新発田市外、県外、海外のお客さまにも足を運んでもらえるお店になると思うんです。
ついしん手紙
新潟県新発田市中央町3-5-7
TEL:0254-21-2950