僕らの工場。 #01 「ウメダニット」のWRAPINKNOT

新潟から発信されるコレクションブランド『ラッピンノット』

最近よく「工場発のブランド」「ファクトリーブランド」といった言葉を耳にします。セレクトショップで見かけることも増えてきました。これまでファクトリーブランドといえば「工場の技術力をいかして質実剛健なものづくりを背景に勝負をしていく」というイメージが強く、ファッションの世界ではその打ち出し方が当たり前のように感じていました。一方、デザイン性の高いブランドはあくまで首都圏から発信される…そんなイメージでした。しかし、新潟にも『ラッピンノット(WRAPINKNOT)』という、とてもデザイン性の高いコレクションを展開しているニットブランドが存在します。今回はラッピンノット(ウメダニット)のディレクター・梅田大樹さんにブランド誕生のストーリーをお聞きしました。

 

ウメダニット

梅田大樹 Hiroki Umeda

株式会社ウメダニット常務取締役。ラッピンノットのディレクターとして、シーズンコンセプトや方向性など、企画運営のすべてを担っている。

 

ニットの名産地・五泉で生まれた、ウメダニット。

ラッピンノットを展開する「ウメダニット」は五泉市にあるニット工場です。五泉市は、戦前「全国三大白生地産地」のひとつとして織物産業で栄えた土地でした。戦後、大火によって大切な織物の生地が失われますが、それを和装から洋装へと転換する好機と捉えることで五泉市全体がニット産業へと力を入れ、今ではニット製品の生産地として全国的に有名になりました。

 

ウメダニットが産声を上げたのは、戦後まもない1947年のこと。当時は梅田さんの曾祖母が生地を風呂敷に入れて毎日売り歩いていました。毎日風呂敷の中身が空になるほど売れていくのを見た祖父が「これは商売になる」と思い、創業したそうです。

 

はじめはセーター屋さんとしてのスタートでした。家族みんなでセーターを作って、出荷作業をして、電車の時間に合わせて納品する日々。当時の主力商品はプルオーバーのセーターや肌着に近いもので、まだ社名は「ウメダメリヤス」でした。その後、少しずつ会社は大きくなり、現在の会社のある場所へと移転します。社名も「ウメダニット」となりました。

 

転機は70~80年代にかけて訪れます。「ファッションは波があるから、ニットだけでなくどんな波にも対応できるように」という創業者・梅田哲夫さん(梅田さんの祖父)の方針に従い、全国大手のアパレルメーカーと組んで、ヨーロッパのパターンドニット(立体裁断)の技術を習得し、縫製に注力。布帛(伸びないもの)とニット(伸びるもの)をドッキング(縫製)することは非常に難しく、感覚的技術が求められるのです。するとその技術が高く評価され、業績がぐんぐん伸びていきました。ニット工場でありながら洋服を仕立てる技術をものにしたウメダニット。そしていよいよ、梅田さんの時代がやってきます。

 

ファッションが好きだから、洋服作りにはワクワク感が必要。

ー梅田さんは代々続くニット工場を、最初から継がれるつもりだったんですか?

梅田さん:子どもの頃はよく工場の近くで遊んでいましたけど、正直、中身は全然知らなかったんですよ(笑)。たまたま洋服に興味を持つようになり、高校3年生で進路を決めるときに自分の興味のあるものじゃないと仕事できないと思いファッションの道へと進みました。

 

ーファッションとは高校生のときに出会ったんですね。

梅田さん:高校で出会った友達にファッションに精通しているやつがいて、ギャルソンとかマルジェラとか、モード系のファッションが好きで。自分もスマートに着こなせる服に憧れていたので、ハマった感じでしたね。そこからハイブランドのコンセプトや魅力に惹かれていきました。大学を出てから大手のアパレルメーカーに入社したんですけど、でも実際に入ってみると社内には洋服好きの人があまりいなかった。それで1年で会社を辞めて商社の中国支店で働いて、服の製造を学びました。そこでは服作りの面白さを実感できましたね。3年ほど働いて、親父(ウメダニット社長)から会社に戻ってきて欲しいという話をされて、2007年に五泉に戻ってきました。

 

ー当時の会社はどんな雰囲気でしたか?

梅田さん:正直、期待していた雰囲気ではありませんでしたね。社長と意見が食い違って腐っていた時期もありました。でも自分が動かなければと思い直して、小さなところからコツコツと努力を重ねていきました。当時感じていたのは、服を作っているのにワクワク感がない、ということ。これでは、自分のような洋服好きにとっては面白くないよな、と。委託された商品を作るOEMだけじゃなくて何か挑戦したい。自分も含めたこれからの人たちのモチベーションを考えていたときに、ちょうど東京出張のタイミングがあったんです。東京の有名ブランドで働いていた高校の同級生に愚痴をこぼしたんですね。そうしたら活を入れられまして。そのとき「お前の会社はどんなことやってるの?」と、彼がわざわざ会社に見学に来てくれたんです。で、「いろんな工場を見て回っているけど、こんなスゴい工場はそうそうないぞ。ブランドやったほうがいいぞ」って、彼が背中を押してくれました。それが「ブランドをやろう!」と本気で動き出せたきっかけですね。

 

 

ラッピンノット(WRAPINKNOT)のコレクション

 

ブランドの立ち上げはゼロからのスタート。

ーいよいよブランドの立ち上げですが、やはりゼロからのスタート。いろいろ苦労があったのではないですか?

梅田さん:最初は自分も含めて3人のスタッフではじめました。ただ全員が現状ライン(通常業務)を抱えながらなので、ブランド構築、生産、販売、すべてひとりでやりました。そもそもブランドってどう作るのか、展示会はどうするのか、あと販売の掛け率など、わからないことだらけで、東京にいる同級生にたくさん教えてもらいましたね。それでブランド作りに関わる人たちを紹介してもらって、人脈を広げてノウハウを作り上げていきました。

 

ーブランドってコンセプトが一番重要ですよね。そのへんはどうしたんでしょうか。

梅田さん:アートディレクターの方とも相談しながら、会社の歴史や自分の好きなもの、得意なことをベースにしてコンセプトを組み立てていきました。ニット工場だけれど洋服(生地)が作れる強みを生かして、季節にあわせた素材、異素材との組み合わせでモダンな洋服を作る、という方向に進んでいきました。良質でありながら高級すぎないニット。30代の洋服のことが好きな人たちや、いいものがわかる人たちに伝えたいと。ただ、コンセプトといっても、すごくざっくりとしたものだったんですよ。当時は自分の感性に頼っていたので、アバウトでも作れたんですね。でも、業界で有名なセールスの方に「ウメダさんのやりたいことやセンスは評価するけれど、今やってることと違うよね。もっとやりたいことをそのまま表現していいんじゃない?」とアドバイスをいただいたりして、最近になってコンセプトを見直すことにしたんです。そのお陰で、この2019A/Wは自分のやりたいことをやっと表現できたし、納得のいくものに軌道修正できたかなと思っています。

 

ーコンセプトが変わって、具体的には商品作りはどう変わりましたか?

梅田さん:まず着崩れないしっかりとした編地の質感を出すために素材を絞って、もう一度糸から見直しました。納得いくまで色にもこだわりましたね。シンプルだとごまかしがきかないじゃないですか。そういう勝負をしたかったんです。

 

ーこれからの挑戦や展望についてはいかがでしょうか。

梅田さん:祖父の代のとき、パンフレットに「ウメダニットを世界に」って書いてあったのを覚えているんです。なんだかそれを叶えたいなと。3年前から海外の展示会に参加しているのもそうですし、実際に海外のセレクトショップでも置いてもらっています。

 

ー工場の雰囲気も変わってきたのではないですか?

梅田さん:そうですね。このラッピンノットの活動って、工場で働く現場の職人さんたちに「自分たちの作っているものが直接お客様に評価されていること」をリアルに知ってもらえるいい機会だとすごく思っていて。自分たちの技術力が人を喜ばせている、世界に通用している、そのことに自信を持ってもらいたいんですよね。ブランドを立ち上げたことで、会社全体が少しずつですけどいい方向に向かっていっていると感じています。

 

立ち上げ当初はひとりで切り盛りしていたラッピンノットだが、今ではスタッフとともに徐々にチームとして機能している。写真左から小柳昴輝さん(主に仕様書などの指示管理を担当)/熊倉悠さん(ラッピンノット立ち上げ時から梅田さんの右腕として参加、企画や生産管理、営業も兼ねている)/長谷川真奈美さん(チーフパタンナー。東京の某有名服飾専門学校での講師経験もある)

 

五泉から世界へ。その夢を応援したくなる取材でした。

「ウメダニット」は新潟県内のニット工場の中でも規模が大きく、生産力のある企業です。実際に工場を見学し商品を拝見して、技術の高さや縫製の綺麗さを実感しました。ものづくりに対する情熱と意志を持ち続けることで、ラッピンノットというブランドは進化し続けています。五泉から世界へ。その夢を応援したい!そんな気持ちにさせてもらえる取材でした。ファッションや洋服が好きな方にはぜひ注目して欲しいブランドです。

 

 

ウメダニット

新潟県五泉市今泉137

0250-43-0600

ラッピンノットHP ウメダニットHP

 


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