第三者継承で牧場を持つ夢を叶えた「森口ランチ新潟」では、酪農をこれからも持続可能な業種にするため、固定概念にとらわれない挑戦を続けています。今日は牧場主の森口さんに酪農の魅力や今後の夢などお話をお聞きしてきました。
森口ランチ新潟
森口 巌 Iwao Moriguchi
1982年 三条市生まれ。趣味はサッカーと競馬。
――森口さんはどこで酪農を学ばれたんですか?
森口さん:高校を卒業してから、動物関係の仕事に就きたい気持ちがあったので、北海道の酪農学園大学というところに進学しました。1~2年は基礎的な教養の勉強が中心で、あと現場の実習にも行ったんですけど、「入学してみたはいいけれど酪農って全然興味ないな」ってそのときは思ったんですよね(笑)。当時はまだ酪農の面白さに気づけませんでした。モヤモヤしながら続けていてもしょうがないと思ったので、結局退学して、地元に戻って転々とアルバイトをして生活していました。
――そこからまた酪農に戻ることになったきっかけは?
森口さん:将来的に何がしたいという考えはなかったんですけど、さすがにちゃんとした職に就きたいなと思って正社員での就職を探し始めたんです。探しているうちに旧小須戸町の牧場の求人が目にとまったんです。中退はしたけれど、やっぱりどこか心に残っていたんでしょうね。そこに応募して働かせてもらいました。入ったときは先輩がひとりいたんですけど、入ってからすぐに辞めてしまったんです。なので自分で仕事をどんどんやって覚えるしかなかったんですね。学生の頃とは違って、できることが増えるにつれて面白さも感じるようになりました。やっぱ酪農っていいなぁって思えるようになったんです。
――良い環境に恵まれたんですね。
森口さん:牧場長には子どもがいなくて、私に対して我が子のように接してくれました。将来的には継いでもらいたいみたいな話まででてきましたね(笑)。私もその気になって「自分の牧場持ってみたいな」って思うようになりました。ここの牧場では3年間お世話になり、続けていきたい気持ちはあったのですが、結婚するタイミングで辞めなければならなくなりました。子どもが生まれる予定もありましたし、ワークライフバランスを一度整えないと子育てを全部奥さんに任せてしまうことになってしまいそうだと思ったんです。
――じゃあ、それでまた酪農から離れることになってしまうんですね。
森口さん:それからはまったくの異業種で5年間働いたんですけど、そのあいだも酪農に戻りたい気持ちはずっとありましたね。テレビとかでホルスタインの映像が出てくると食い入るように見てしまったりとかしていましたし(笑)。5年も経つと子どもも大きくなってきたのでまた酪農の求人を探して今度は阿賀野市の牧場で働くことになりました。大きな牧場だったので仕事もやることがたくさんあって、その中で数をこなして経験を積むことができました。ここで働いているうちに、だんだん、自分でも牧場やれそうだなと思うようになって。それで新潟県農業普及センターに行って相談させてもらいました。そのときは各地の農業普及センター回ったり、区役所行ったりとにかく牛舎を持つためにいろんなところ行きました。
――本格的に自分の牧場を持つために動き始めたわけですね。
森口さん:その中で、新津農業普及センターの方から「ひとつ継いでもらいたいっていうところがあるんだけど、話ししてみますか?」ってつないでくれた牧場があったんです。話を聞いてみたら、その牧場は私が一番最初に勤めていたところだったんですよ(笑)。最終的には双方の金額の折り合いがつかなくて継ぐことはできなかったんですけど、代わりに別の牧場を紹介してもらいました。次の牧場は話がトントン拍子に進んでいき、継承する方向で話を詰めていました。私はそのとき一時的に違う牧場で働いていたんですけど、継承予定先のご主人が亡くなられて「すぐにでも継いで欲しい」って連絡をもらって急遽継ぐことが決まりました。
――想定していたよりも早く継承が決まったわけですね。
森口さん:当たり前ですけど従業員のときと牧場主では生活スタイルが大きく違って『酪農家』としての生活に慣れるのが最初は大変でした。牧場主になってからは作業だけではなくて、業者との打ち合わせや配達にも出たり、起きている時間はずっと事業のことを考えて動いていますからね。自分にはまだそこまでのキャパがないなかで急遽なってしまったっていうのですごい大変でしたね。自分の時間はもうほぼ無いような状態が続きました。日中は時間が無くて、全部の作業終わってから深夜にトラックから草を下ろしたりもしていました。
――生活スタイルが一気に変わってしまったんですね。
森口さん:1年間そんな生活を続けていたら、脳腫瘍という病気になってしまいました。必死で働いていたんですけど病気のせいもあってあんまり覚えていないんですよ。最後はもうふらふらになって牛舎の何もないようなところでも転んでしまうような状況でした。奥さんに「もう見ていられないから」って病院連れていかれて「これはもうすぐに手術しないとダメだから」ってお医者さんに言われました。
――心身ともにそうとう疲弊していたんですね。
森口さん:牛舎はうちの妻と酪農ヘルパーの方に任せて、手術後は必死にリハビリしました。入院は1ヵ月くらいだったんですけど、娘の卒園式もあったので「それまでに退院させてください!」って言ってちょっと早めにさせてもらいました。それでも退院後は力もなくなってたから仕事なんて全然できないんです。牛の頭数を減らしたりもしましたけど、体力もだんだん回復して仕事もできるようになったので、頭数も増やして元に戻していきました。
――そこまでして酪農にこだわるのはどうしてなんですか?
森口さん:酪農が好きでたくさんの人に伝えていきたいっていう想いがあります。特に若い人なんかはそうだと思うんですが、酪農のことをよく知らない人って多いと思うんです。自分で命を生み出して育み、皆さんの食につなげていくところがやりがいに感じます。あとは酪農っていう仕事を持続可能でずっとやっていけるような業種にしたいっていう気持ちもありますね。でもそれにはまず自分が稼いで続いてくことでひとつのモデルを作らないといけないと感じています。
――何か具体的に考えている展開はありますか?
森口さん:まだ実現には至っていないんですけどカツサンド屋をやろうと思って動いたりしています。カツサンド屋だとバターも使えるので酪農家の事業としては相性が良いのかなと思っています。バターを入れるとコクがでるし美肌とか整腸作用もあって女性にも人気がでるかなと思います。
――牛乳だけにこだわらずいろいろな展開を考えているんですね。
森口さん:あとは肉用種の子牛の販売や、乳牛と和牛のかけ合わせの交雑種を販売したりもしています。和牛は受精卵移植という技術を使って行っていて乳牛から和牛を生み出すようなやり方です。世界情勢の影響もあって全国的に酪農不況で牛乳の消費もすごい落ち込んでいるんです。なのでカツサンド屋だけにこだわらないでいろんな方向を考えています。
――これからのチャレンジ楽しみにしています。
森口さん:酪農が不況で辞める方もどんどんでている状況です。和牛生産、飲食店営業など、ひとつのことだけではなくていろんなことをやって引き出しを増やしながらもっと自分たちの仕事をアピールしていかなきゃいけないと思います。まずは自分がしっかり収入を出しながら世間の人に酪農の魅力を伝えながら、興味を持ってくれる人が増えるような活動をしていきたいです。
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