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僕らの工場。#30 研磨加工やスケートブレード製造販売「徳吉工業」。

1967年創業の研磨加工会社「徳吉工業」は、長年の実績と豊富な経験から培われた高い技術で、軽くて強いスケートブレードの販売や3Dプリント品の研磨を行っています。今回は2代目社長の徳吉淳さんに、研磨技術のことや販売製品のことなど、いろいろお聞きしてきました。

 

有限会社徳吉工業

徳吉 淳 Jun Tokuyoshi

1972年燕市生まれ。徳吉工業の二代目社長。中学生の頃に手伝いで研磨加工を経験し、研磨の魅力を知る。

 

――徳吉さんは2代目の社長さんということですが、まずは徳吉さんが会社に入られたときのことから聞かせてください。

徳吉さん:高校を卒業した1991年に、私は東京にあるソフトウェア関係の会社に就職したんです。でも就職して10ヵ月くらいしたときに、父から連絡があったんですよ。会社があまりにも忙しすぎて、人手が欲しいということで「ちょっと仕事辞めて帰ってきて手伝ってくれないか」って(笑)

 

――東京のソフトウェア会社に就職したということは、最初は会社を継ぐつもりはなかったってことですよね?

徳吉さん:でも、私は中学生くらいから父の会社の仕事を手伝ったりしていたので、継ぐことに対しては全然抵抗はなかったし、製品を研磨する気持ちよさや楽しさは既に経験していました。なのでいつかこういう仕事をやることになるのかなっていうのは漠然と頭の中にはありました。

 

――入社されてからは、まず何を担当されたんですか?

徳吉さん:バレル研磨といって、大きな八角形の回転する機械を使って磨きたい製品と三角形の砥石を入れて研磨する方法があるんですけど、帰ってきてからはそのバレル研磨を担当していました。そのとき父は、綿やフェルトで作られた「バフ」を、ステンレスの表面に回転させながら当てることで研磨するバフ研磨を担当していました。

 

 

――研磨方法というのは、いろいろな種類があるんですね。

徳吉さん:バフ研磨は表面の研磨はできますが、入り組んでいる形状の研磨は難しいんです。バレル研磨は細かい部分や内部まで研磨することが可能です。

 

責任を背負うと同時に生まれた、仕事のやりがい。

――入社した頃はどういった気持ちで仕事に取り組まれていたんですか?

徳吉さん:当時はまだ経営的な視点なんてなかったですし、日々、一生懸命仕事して夜どこに飲みにいこうかなって考えていたくらいでした(笑)。でも1999年に父が他界したんです。その頃から新規のお取引などはすべて私が担当して任せられるようになりました。責任が増えるにつれ、その頃から仕事のやりがいや面白さを感じはじめて、自作のA4の資料を持って飛び込み営業をしたり、他社があまりやっていないようなことにフォーカスして営業方法を考えたりましたね。

 

 

――他社があまりやっていないこと、というと?

徳吉さん:燕は洋食器の取扱が多いんですけど、うちはそれに加えてちょっと違う分野の部品もやるようにしていたんですよ。どこの工場でもできるような作業を「うちでもできます」って言うのではなくて、「うちはこんな製品の研磨もできるんです」っていうところを伸ばしていこうと思いました。1mmくらいの細かな製品を磨くこともできるので、そういった強みを全面に押し出しました。

 

――手間のかかる難しい依頼を取りにいく、という感じですね。

徳吉さん:バレル研磨は使用する砥石の種類が豊富なので、何をどう使うかで表面の仕上りもだいぶ変わってきます。砥石メーカーさんから様々な種類のものを取り寄せたり、一緒に入れる工業石けんも吟味して、技術力を上げていきました。いろいろと試してみるのは楽しかったので、苦労とは感じなかったですね。

 

 

――研磨って、かなり奥が深そうな世界ですね。

徳吉さん:バレル研磨にもある程度テンプレートのやり方はあります。ただテンプレート通りにやってもうまくいかないことももちろんあります。例えば3Dプリント品のナイロンなんかは、他社ではなかなかうまくできないと思います。長年培ってきた技術や経験をいかして行っているので、すぐに真似できるようなものではないですね。プラスチック3Dプリント品の研磨も、うちが第一人者だと思います。他では事業としてやれているところは私が知っている限りではほとんどないですね。

 

3Dプリント製品とバレル研磨の相性のよさに気づく。

――3Dプリント品の研磨はどういったきっかけで始まったんですか?

徳吉さん:展示会やセミナーによく行っていたんですけど、3Dプリント品は外面だけではなくて、内側も複雑な作りをしているものが多かったんですね。入り組んだ構造の内側をバフ研磨で研磨するのは難しいので、そのときにバレル研磨がいいんじゃないかって思ってたんです。

 

――3Dプリント品とバレル研磨の相性のよさを感じた、と。

徳吉さん:そんなことを思いながら過ごしていたら、3Dプリント品を研磨する機会が訪れたんです。燕三条地場産業振興センターにはいろんな研究会があるんですけど、そのひとつに「3Dプリンター活用技術研究会」っていうのがあって、その参加メンバーから「3Dプリント品をちょっと磨けませんか」みたいな話があったんです。それでやってみたらうまくいって、先方さんもすごい驚かれてたので、そこからすぐに事業化に踏み切りました。

 

――おお、グッドタイミングですね。他にはどんな研磨ができるんですか?

徳吉さん:次世代の研磨方法として「ドラッグフィニッシュ」という研磨方法を導入しました。海外ではこの研磨方法でニージョイントなどの表面を高品質に研磨しています。今はまだ日本で導入しているところは少ないですけど、これから大手さんもどんどん導入していくだろうと予想しています。この機械は使いこなすのが結構大変なので、大手さんが導入を検討するときはノウハウを求める需要も増えると思うんですよ。今は請負でやっていますけど、ゆくゆくはコンサルティングなども視野にいれてやっています。

 

――その「ドラッグフィニッシュ」というのはどいうった部分が難しいんですか?

徳吉さん:ドラッグフィニッシュは設定の仕方に難しさがあります。どのくらいのスピードでどのくらいの研磨をすればよいのかっていうのは経験がないとすぐには分からないですね。大手さんほどそういったところはアウトソーシングになっていくと思うんです。まだうちも導入して2年なので手探りなところもありますけど。

 

軽くて強い、フィギュアスケートブレードの開発。

――HPでフィギュアスケートブレードの販売をされていますが、これはどういったきっかけだったんですか?

徳吉さん:まずフィギュアスケートのブレードってほとんどが海外製なんです。製造する国が遠いということは、納期がかかったり、質問に対してのレスポンスが遅かったりするので、選手にとっては悩みの種だったんですね。そんな中で、新潟県スケート連盟の理事長が金属加工の街である燕市の市長に相談したんです。そこから研究会が立ち上がり、うちもその1社として参加したような流れになります。

 

 

――なるほど。でもスケートのブレードを作るのは特別な知識が必要そうですが。

徳吉さん:知らないことだらけだったので、まずは連盟の方たちと勉強会を開きました。そのときにブレードのアーチ部分についてとか、いろいろなことを教えていただきました。

 

――どんなことにこだわって開発をされましたか?

徳吉さん:燕でつくるのであればまず品質の安定性を重視して個体差を少なくすることですね。スケート連盟の方たちからは「軽くて強いものを作ってほしい」という要望をいただいたので、そこは必ずクリアしなければいけない課題として意識しました。スケート靴は軽さが重要なので、靴もブレードも軽くしたい。でもただ軽いだけではなくて、剛性もしっかりないといけないんです。強くするにはできるだけ金属の肉が多い方がいいんですがそうするとその分、重くなっちゃうわけですよ。

 

――確かに。じゃあそこから軽くて強いスケートブレードの開発が始まったわけですね。

徳吉さん:あとは選手によって「ミリ単位で高さを変えたい」という要望もあるので、オーダーメイドができるようにという要望もいただきました。そこから3年間、集まった9社で研究開発をして、販売までこぎつけました。

 

――ちなみに徳吉工業さんはどの部分の担当をされたんですか?

徳吉さん:うちはカーブの部分(氷に接するエッジ)の研磨をしています。そのための専用機も作りました。

 

――完成までに試作品は何回くらい作られたんですか?

徳吉さん:試作は5回くらいです。話し合って、試作を作って、滑ってもらって、フィードバックをもらって、次の改善につなげるっていうのを繰り返し行って、徐々に完成に近づけていきました。

 

――どういった内容のフィードバックがくるんですか?

徳吉さん:ブレードの厚さや、カーブ、穴の数、さまざまな修正がきましたね。材質に関してもステンレス系のものを使っているんですけど、ひとことでステンレスといってもいろいろ種類があるので、私たちは4種類最初に試して、その中でどれが一番よかったとかを確認してもらいました。

 

――そういった試作と改善の積み重ねで商品ができあがるわけですね。

徳吉さん:本当は1種類のブレードを出せればと思っていたんですが、結局しぼりきれなくて製品としては「Stream01」と「Stream02」という2種類になりました。やっぱり選手によって好みがあるみたいなんです。

 

 

――販売はどこでされているんですか?

徳吉さん:「燕ブレード」っていうブランド名でネット販売をしています。サイズによって加工の手間も変わってくるので金額は変わります。

 

――各分野のスペシャリストが集まってできた製品というわけですね。

徳吉さん:そういうのが燕ならではのモノづくりの仕方なのかなって思います。大手会社が一社ですべて作り上げるのではなくて、各専門分野で特化した技術を持った会社が集まって分担することによって開発を進めて作り上げる。モノづくりの街、燕だから可能なことだと思います。あとは各社みんなメインの仕事はありながら新しい製品研究開発に参加しているので、開発リスクも少ないんです。

 

――なるほど。本日はありがとうございました。

 

 

 

有限会社徳吉工業

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