新潟のラーメンブームを牽引してきたお店のひとつに「麺や来味(らいみ)」があります。そのセカンドブランドとして弁天橋通で営業を続けてきた「麺や真玄(しんげん)」が、店名や店舗、メニューはそのままに、昨年独立しました。「麺や真玄」の店長からオーナーになった宮崎さんに、独立への思いや今後の夢を聞いてみました。
麺や真玄
宮崎 紘成 Hiroaki Miyazaki
1985年新潟市南区生まれ。新潟大学人文学部を卒業し「麺や来味」に就職。30歳を前に中華レストランへ転職したものの「麺や来味」に再就職し、姉妹店「麺や真玄」の店長となる。2022年に「麺や真玄」を受け継ぐかたちで独立。ロックが好きで、なかでもDragon Ashはヘアスタイルをリスペクトするほど大ファン。
——もう1年も経っちゃいましたけど、独立おめでとうございます。
宮崎さん:ありがとうございます(笑)。「独立」といっても、店名や店舗、メニューはほぼそのままなんですけどね。
——独立を機に変えたところはあるんですか?
宮崎さん:スタッフ不足への対策で食券販売機を導入したり、アルバイト募集条件の時給を上げたりしました。人手不足はどこの飲食店も抱えている問題ですから……。
——確かに大事なところですよね。ラーメンについてはどこか変えたんでしょうか?
宮崎さん:「麺や来味」から受け継いだレシピをベースにしつつも、今のメニュー構成に合わせて自分なりのアレンジをしています。「極み煮干らぁ麺」のダシにアジを追加して甘みを足したり、「濃淡塩らぁ麺」で使っている材料のガラをもう一種類増やしたりしました。
——「麺や来味」の味をリスペクトしつつ、「麺や真玄」としての味を追求している感じなんですね。
宮崎さん:そうですね。僕自身「麺や来味」の味が好きなんですよ。でも期間限定メニューでは結構冒険するようになったかもしれません。今までは「麺や来味」の看板に傷をつけないよう、あんまり大胆なことはできなかったんですけど、独立後は攻めたメニューに挑戦できるようになりました(笑)
——「麺や真玄」をそのまま受け継いで、暖簾分けのようなかたちで独立されたのはどうしてだったんですか?
宮崎さん:いつか独立したいという夢は持ち続けていたんですけど、店長として営業してきた「麺や真玄」への深い愛着もあったんです。もちろん「麺や来味」の味も好きだったし恩義も感じていました。「独立はしたいけど店は辞めたくない」というわがままな願望に悩んでいたんです。
——それで、こういう独立のかたちをとったんですね。
宮崎さん:「麺や来味」には後継者がいないんですけど、そっくり受け継ぐにはあまりにもプレッシャーが大きすぎると思ったんです。そこで暖簾分けのように「麺や真玄」だけを受け継がせていただきました。
——宮崎さんはいつから「麺や来味」で働いてこられたんですか?
宮崎さん:大学を卒業した頃に「麺や来味」で働いていた知り合いから声をかけてもらったんです。それまでも飲食店でアルバイトをしてきたんですけど、正社員として働いたのは「麺や来味」が初めてでした。
——「麺や来味」で働きはじめて、学んだことはありましたか?
宮崎さん:それまでラーメンっていうのは、大雑把に材料を入れて作るイメージを勝手に持っていたんですけど、きっちりとレードル(お玉)で分量を量って作ることに驚きました。わずかな傾きでも分量は変わってしまうので、きっちり量ることを最初から叩き込まれましたね。今でもそれを守って作るようにしています。
——へぇ〜、かなり厳密に作っているんですね。最初は大形本店で働いていたんですか?
宮崎さん:最初に働いていたのは東堀店でした。そのお店はランチタイム以降ひとりでお店を回すワンオペ営業だったんです。夜になるとお酒を飲んで酔っ払っているお客様が多いんですけど、僕は接客があまり得意じゃなかったので「愛想がない」と怒られていました(笑)
——ワンオペじゃ無理もないような気がしますけどね(笑)
宮崎さん:いや〜、僕の努力不足だったと思います。亀田店ができてからは東堀店と亀田店を行ったり来たりしながら両店のフォローをする、スーパーバイザーのような立場になりました。まあ、そんなにかっこいい仕事でもないんですけどね(笑)。それからしばらくして「麺や来味」を退社したんです。
——えっ?「麺や来味」を一度辞めていたんですか?
宮崎さん:30歳を目前にした気持ちの焦りや将来への不安もあって、飲食業以外のもっと安定した企業に勤めたいと思ったんです。そこで物流、広告、ホームセンターといろいろな企業に求人応募したんですけどなかなか面接まで至らず、結局いくつもチェーン店を抱える中華レストランで働くことになったんです。
——それなのに、どうして「麺や来味」に戻ったんでしょうか?
宮崎さん:中華レストランで働きはじめて2年経った頃に、責任者としてお店を任されるようになったんですけど、スタッフ不足で休みなくお店に出ずっぱりな上に事務仕事も山のようにあって……。美味しい料理を作りたい自分にこの仕事は向かないんじゃないかと考えて、辞めることにしたんです。そうしたら、これからどうしようかと考えているところに「麺や来味」の布川社長から「ぶらぶらしているんだったら、もう一度うちで働かないか?」と声を掛けてもらったんですよ。本当にありがたかったですね。
——「麺や真玄」で店長になったのはその後ですか?
宮崎さん:ちょうど僕が戻った頃に、いまいち売りげが伸びない「麺や来味 弁天橋通店」を「麺や真玄」にリニューアルしようとしているタイミングだったので、そのまま店長としてお店を預かることになりました。
——リニューアルオープンにあたって、新しくしたことはあったんですか?
宮崎さん:「麺や来味」のセカンドブランドとして「クオリティはそのままに、リーズナブルでボリューム満点」というコンセプトを謳っていました。その後はメニューがどんどん増えていって、メニューの豊富さが売りになっていったんです。
——メニューの豊富さは「麺や来味」の売りでもありますね。そのメニューはどなたが考えるんですか?
宮崎さん:もちろん「麺や来味」の布川社長です。こちらの店に来て口頭で指示をしていただきましたが、足を運ぶ時間がないときは電話でレシピの指示がくることもありました(笑)
——よっぽど信頼されていたんですね。でも、電話の指示だけで作ることができるんですか?
宮崎さん:できるんですよ(笑)。多いときは30種類以上もレギュラーメニューがありましたね。
——その他に新しくはじめたことがあったら教えてください。
宮崎さん:接客サービスの見直しを図りました。それまではスタッフそれぞれが自分の判断で動いていたんですけど、マニュアル化して明確に示すことで方向性を統一したんです。これには中華レストランで働いたときの経験が役に立ったと思っています。その甲斐があって、今まで「麺や真玄」を続けてくることができました。
——最後に、将来の夢があったら教えてもらえますか?
宮崎さん:暖簾分けのようなかたちで独立させていただいたので、そのご恩に応えられるようお店を続けていきたいです。その上で、ゼロから自分だけの力による新しいブランドも築き上げてみたいですね。
麺や真玄
新潟市中央区長潟2-3-7
025-0287-3770
11:00-15:00/17:30-21:00
水曜休