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変わらぬ味に理由あり。店を受け継ぎ40年「味の店 若とり」。

南区の8号沿いにある「味の店 若とり」の看板。目にしたことのある方もきっと多いのではないでしょうか。お店ができたのは今から55年ほど前。当時は「本店」でテイクアウト販売のみで営業していたのだそうです。そして今から40年前にオープンしたのが、大通り沿いのお店です。義理のご両親の味を守り続ける2代目店主、田辺さんにいろいろとお話を聞いてきました。

 

若とり

田辺 孝弘 Takahiro Tanabe

1961年東京都生まれ。専門学校卒業後に歌舞伎町の和風レストランに就職。4年ほど勤めた後に、結婚を機に新潟へ転居。奥様の実家「若とり」に入る。趣味はゴルフ。

 

歌舞伎町から新潟、唐揚げと焼き鳥だけの店へ。

――田辺さんは、東京のご出身なんですね。

田辺さん:学校を卒業して、歌舞伎町の和風レストランで4年くらい料理人として働いていました。そこはビーフシチューやタンシチューなんかを、醤油を使ったりしてちょっと和風に仕上げていましたね。お店は歌舞伎町の入り口にあったから、当時の新宿コマ劇場や映画館のお客さんがたくさんいらっしゃいました。

 

――料理の世界は、厳しかったのでは。

田辺さん:1日10時間以上も働いてね。休みの日はほとんどなかったですけど、その代わり「料理の腕は身につく」というわけです。

 

――それから奥さんと出会われて、新潟の「若とり」さんに入られました。

田辺さん:24歳の頃でしたかね、新潟に来たのは。その頃「若とり」は、鷲ノ木という地区に本店があったんです。まだ8号沿いの今の店はなくて。そこで唐揚げと焼き鳥だけを販売していました。販売といっても、いわゆるテイクアウトです。地元の農家さんとか当時白根にあった漁業組合とか、あとは学校関係や親戚の集まりがあったときは特に注文をいただいていました。

 

――東京のど真ん中、歌舞伎町のレストランとはだいぶ違いそうですけれども……。何か驚いたことなどは、ありませんでしたか?

田辺さん:こっちに来てびっくりしたことですよね。いや、「何もないな」って(笑)。住宅もコンビニもない、こんなに周りに何もない場所で営業して大丈夫なのかなって、最初は不思議に思っていました。でも農家さんが多かったので、「唐揚げ20個持ってきてくれ」「焼き鳥100本」って重宝いただいて。食事メニューがあるわけでもないのに、唐揚げと焼き鳥だけで「こんなに売れるんだ」って感心しました。

 

 

――地域に根付いている味だったんですね、きっと。

田辺さん:お正月やお盆に東京へ働きに行っている人が戻ってきて、家族が勢揃いしますよね。そこへ親戚も集まるとなると、大所帯です。そんなときに「『若とり』の唐揚げと焼き鳥が美味しいから」って、注文してくださる人がたくさんいたんですね。それだけじゃなくて、クリスマスも、田植え・稲刈り時期も、何かしらの行事があるときもって、ほとんど毎月忙しかったんだから立派なものです。

 

――それほど支持される理由はどうしてだと思っていましたか?

田辺さん:味の個性と、冷凍品を使わず、自分たちでちょっとした工夫を施しているところだと思います。鶏は一羽丸々を仕入れて、自分たちで捌くわけですから。

 

――てっきり下処理された鶏肉を仕入れているもんだと思っていました。

田辺さん:いえいえ、うちは今でも自分たちで捌いています。その作業を「鶏割」といいます。私が「若とり」に来るちょっと前までは、自分たちでモツもぜんぶ丁寧に取り出していたんだそうです(笑)。「ここまでやっているのか」と驚きましたよ。昔は鶏一羽で金額が決まっていて、内蔵はタダ同然だったんですね。それを自分たちで処理して、メニューにしていたんです。

 

24歳で、大通りの新店舗を託される。

――料理技術については、いちから「若とり」さんのやり方を覚えていくという感じだったんですか?

田辺さん:1年間「本店」で義両親と一緒に仕事させてもらって、それから大通南に今の店舗を建てました。私は、新店舗を任せてもらったんです。

 

――義理の息子さんに店舗をまるっとお任せするなんて、先代ご夫婦は粋ですね。

田辺さん:妻が「新しく店を構えよう」「自分たちだけで営業した方がいい」と先代たちに話をつけていたんです。お義父さん、お義母さんは、それを快く実現してくれました。料理人としてひとつのお店を任されるなんて、すごくありがたいことでしたが、たった4年しか修業していなかった身です。当時24歳、不安はたくさんありました。

 

 

――本店と新しい「若とり」、どんな違いがあったんですか?

田辺さん:唐揚げと焼き鳥を調理しながら、それだけではなくて食事もできるように、とんかつ、ハンバーグ、そういうメニューを仕込んでいました。でもこちらの店がオープンした頃は、周りに小学校と郵便局以外なかったですからね(笑)。うまくいかなかったら、どこかに勤めに出るつもりでいました。

 

――そうか、当時はまだ住宅街じゃなかったんですね。

田辺さん:本店は相変わらずの賑わいでしたけど、こっちのお店は暇でしたね(苦笑)。お義父さん、お義母さんが「今度のお店は食事もできるから、よろしく頼む」って常連さんに言ってくれて。しばらくしてやっと両方のお店が忙しくなりました。お義父さんと私で、鳥の仕込みに味付けにって、両方のお店を行ったり来たりしていました。

 

――とんかつやハンバーグなどの新メニューについて、先代からは何かアドバイスがありましたか?

田辺さん:経営面で多少のアドバイスをされたことはありますが、料理関係については一切何も言われたことはないです。義理の息子を、そこまで信頼してくれていたんだと思います。

 

愛される味を守り続ける。2代目の誇り。

――ご主人が「若とり」さんへ来て、もう40年。先代の代から続けていること、変えたことがあると思います。

田辺さん:変えたところは、ほとんどないですね。唐揚げの味付け、焼き鳥のタレ、ずっとそのままです。タレについては、継ぎ足し継ぎ足しでずっときています。うちの焼き鳥は、串1本にレバーと長ネギ、鶏皮と砂肝が刺さっていて、その1種類だけ。これもずっと前から変わっていません。

 

 

――「最初の頃は暇だった」ということでしたが、今もお店が続いているんだから何か秘訣があるのでは。

田辺さん:10年か20年くらい前ですかね、この近くに飲食店がいくつもできたんです。大きい居酒屋さんができて、いっとき暇になったこともありました。でも今は、ほとんどのお店がやめちゃった。

 

――そう聞くと、余計に「若とり」さんの底力がわかります(笑)

田辺さん:たまたま運がよかったんでしょう(笑)。今も地元の常連さんが支えてくれています。

 

 

――やっぱり「先代の味を再現し続けたい」という気持ちがあるんでしょうか?

田辺さん:その味がすごく評判が良くて、売れているんだから、変える必要はないかなと思っています。

 

――先代と田辺さんの信頼関係が、お話の節々から感じられました。

田辺さん:今までいろいろしてもらってきたし、「若とり」はお義父さんとお義母さんがはじめたお店なので、ずっと守り続けたいという気持ちがあります。当然、自分たちだって食べていかなくちゃっていうのはあるんだけど、お義父さん、お義母さんが作り上げたうちの焼き鳥と唐揚げを、みんなが「美味しい」って言ってくれるんですからね。

 

――あの、もしかして先代は今も現役でいらっしゃるのでしょうか?

田辺さん:お義父さんは今体調を崩して入院中なんですけど、その前まで、85歳か86歳までは「鶏割」に来ていました。仕入れた丸々一羽の鳥を包丁で半分に割る力仕事です。

 

 

 

若とり

新潟市南区大通南1丁目161

025-362-5959

ランチ 11:00~14:15(ラストオーダー13:40)

ディナー 16:30~21:00(ラストオーダー20:00)

定休日:月曜日 ※祝祭日の場合は翌日

※掲載から期間が空いた店舗は移転、閉店している場合があります。ご了承ください。
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