佐渡金山の世界遺産への登録で、海外からの観光客も増えつつある佐渡。全国通訳案内士の資格を持つ前田さんは、海外の方向けに英語で佐渡をガイドをしています。昔ながらの建造物が残る小木の街並みや宿根木を案内してもらいながら、前田さんのお仕事についてお話を聞いてきました。
全国通訳案内士
前田 富士子 Fujiko Maeda
1960年佐渡市生まれ。農家の家に生まれる。東京で旅行会社やホテルに勤め、観光業に携わった後、佐渡を終の棲家として旦那さんとUターン。2014年に「全国通訳案内士」の資格を取得。佐渡市に限らず県内各地の観光地でガイドをこなす。
――全国通訳案内士って、外国語で案内するガイドさんってことですか?
前田さん:そうそう、外国人観光客を外国語でガイドする国家試験有資格者で、私の場合は英語を話す方が佐渡とか新潟に来たときにご案内するというお仕事です。佐渡には今、県に登録している全国通訳案内士が4人おるのかな。
――前田さんはどういう経緯でこのお仕事をされることになったんでしょう?
前田さん:東京でホテルとか旅行会社に勤めたんだけど、佐渡に帰ってきた頃、ALT(外国語指導助手)が全国に派遣されてさ。佐渡でも ALTの先生たちが英会話を教えてくれとったんです。もともと英語は好きだったんで、時間もあるしなと思って勉強しはじめたわけ。
――ずっと観光に携わるお仕事をされてきたわけですね。
前田さん:そのうち、何か試験を受けてみようと思って、全国通訳案内士の試験を受けました。ガイドとして改めて日本を勉強し直してみると、やっぱり面白い国なのよ。もちろんアジアと共通する文化とか風習もあるんだけど、日本の中で進化していった日本流のものがあって、それがけっこう面白いんです。
――今日は小木と宿根木を案内していただいています。まず小木は、どういう歴史がある街なんでしょう?
前田さん:小木の港は江戸時代のはじめ頃、金銀の積出港に指定されて、そこから発展していったんです。それから千石船っていう国内の物資を送る輸送ルートができたときには、小木の港が利用しやすいっていうことで西回り航路の寄港地のひとつになっていました。
――じゃあ他国のいろんな船が来るようになって、かなり栄えたのでは?
前田さん:他問屋さんがいて船宿も料亭もあって、芸者さんもたくさんいたそうです。今でも町屋の古いお家がけっこう残っています。そういう場所だったんで、文人墨客、さまざまな方が来られたいみたいで、明治の中頃まではいろんな意味で栄えていました。両津は明治になってから新潟の補助港として発展していったので、それまでは小木がメインだったんですよね。
――街を歩いていると、今っぽいおしゃれなお店もちらほらありますね。
前田さん:小木は個人商店が特に頑張っているっていうのと、移住した人が空き家を活用して新しくお店をはじめたりしているのもあって。新旧融合して街を守っていこうと頑張ってくれていますね。
――宿根木も素敵な街並みが残っていますよね。小木の歴史とも結びついているんでしょうか。
前田さん:宿根木は千石船の産業がはじまってからいろんな人たちが移り住んで、千石船産業の基地になっていました。だから主に船を持っている船主さんと、船を作る大工さんと船員さんたちが宿根木にたくさん住んでいてね。それで非常に栄えた集落なんだそうです。当時の状況が町並みとしても残っているし、保存地区に指定されています。
――前田さんがこのお仕事をされていて、面白さを感じるのはどんなときですか?
前田さん:他の国の人といろんなことを理解し合えることかな。ガイドをはじめた最初の頃は、やっぱり緊張しました。まして言葉もあんまり知らないし、知識が薄い。でもそんな顔ばっかしとったらお客さんにも悪いし、ネットでは得られない情報が欲しいがために、私たちを使ってくれるわけですよね。だから自分も楽しまなければ損だと、そういう気持ちでやっとります。