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西区の人気レストランがチーズケーキ専門店「45゚」をはじめた理由。

西区黒鳥地区のイタリアンレストラン「A alla Z 新潟店」。その敷地内に「45゚」というチーズケーキ専門店があります。ベイクドチーズケーキにバスクチーズケーキ、そして季節のフルーツを使ったチーズケーキが人気のお店です。今回は「A alla Z」と「45゚」を運営する「スタジョーネ株式会社」の代表取締役社長 田中さんに、レストランが軌道に乗るまでのエピソードや「45゚」をオープンした理由など、いろいろとお話を聞いてきました。

 

スタジョーネ株式会社

田中 祐一 Yuichi Tanaka

1970年新潟市生まれ。新潟ビジネス専門学校を卒業後、旅行代理店、テレビ局の映像編集、ペンションでのアルバイトなどを経て、25歳で飲食業の道へ進む。新潟市内の4店舗で経験を積み独立。2004年に「A alla Z新潟店」、2007年に「A alla Z長岡店」、2022年に「45゚」をオープン。

 

食事の美味しいペンション経営を目指し、たどり着いた「地産地消」の魅力。

——まずは田中さんが「A alla Z」をオープンするまで、どんなご経験をされてきたのか教えてください。

田中さん:専門学校卒業後は旅行代理店に勤めました。でもデスクワークが苦手で1年で退職してしまいまして。それからテレビ局で映像編集のアルバイトを3年くらいしましたね。働く環境や人間関係にも恵まれて、そのまま編集の仕事を続けたいと思っていたんですけど、体調を崩して断念したんです。

 

——じゃあ、もしかしたらそのまま映像業界の人になっていたかもしれないんですね。

田中さん:そうかもしれないですね。ちょうどテレビ局から「アルバイトじゃなくて個人事業主としてやってみたら」と言われて、それもいいなと思っていましたし。そのあとは静養を兼ねて赤倉のペンションで冬季のアルバイトをしました。子どもの頃からスキーをやっていたので、仕事の合間にスキーをして。そのペンションはオーナー夫婦ともに調理経験がなくて、食事は缶詰とかレトルトとかあまり手をかけずに済むものが多かったんです。いくらスキーが目的とはいえ、旅行の楽しみはお風呂とお食事じゃないですか。それで当時、料理が美味しいペンションの経営をやってみたいと思うようになりました。

 

 

——お、ちょっとずつ今のお仕事につながってきましたね。

田中さん:でも料理を楽しめるペンションをはじめるにもどうしたらいいのか分からなくて。資金調達を兼ねて宅配便の配達員の仕事もしましたよ。それがけっこう過酷で。また体調が悪くなったらまずいと思って仕事を辞めて、それでこの業界に入ったのが25歳のときです。

 

——いよいよ飲食業で経験を積まれるわけですね。

田中さん:最初はフレンチベースでコース料理もある全国展開のフランチャイズ店で働きました。県内2号店の立ち上げにも関わりましたし、食材の管理だとかはすごく勉強になりましたね。ただ冷凍品を多く扱っていたので、本命の調理を学ぶ面においてはちょっと物足りなくて。次に働いた小さなレストランで本格的な料理の修業をはじめたようなものです。

 

——その頃から独立したいというお気持ちはあったんでしょうか?

田中さん:「30歳までに独立しよう」という目標は持っていました。独立に向けて経営的なことも勉強したくて、北区にある農家さんが営んでいるレストランで働き、店長職まで任せてもらいました。そのお店でいちばん魅力的だったのは、新鮮な野菜、特に地物のトマトがすぐに使えるところでした。その頃はほとんど知られていなかった「地産地消」をいち早く取り入れたレストランだったんですね。今のレストラン経営の基礎をそこで習得したと思っています。

 

生産者とレストランを結ぶ架け橋を目指して。

——いざ独立をされたのは?

田中さん:34歳のときなので、2004年です。西区の山田に移転前の「A alla Z」をオープンしました。

 

——そもそも田中さんは新潟の農家さん、農業への関心を強くお持ちだったんでしょうか?

田中さん:レストランを営むのであれば地元の素材を使って、少しでも生産者さんたちにお金がまわった方が経済的にもいいですよね。そういうお店がどんどん増えれば地場が潤うわけですし。それを実現したかったんです。結局できてはいないのかもしれませんけど、生産者さんとレストランを結ぶ架け橋になりたいという思いはあります。

 

——その頃は田中さんが調理をされていたんですか?

田中さん:私より腕のいい料理人はたくさんいるので、私は運営と接客に力を入れていました。自分で地産地消についてお客さまに伝える、野菜を実際にお見せして説明する、そういったことをしていました。素材に関心を持つと、よりそのものの味を感じられると思うんです。

 

 

——移転前のお店ってどれくらいの規模だったんですか?

田中さん:40席弱でしたかね。店舗を新築してはじめました。

 

——けっこう大きなお店だったんですね。最初のチャレンジにしては大きな勝負に出たなと思ってしまいました。

田中さん:中途半端にはじめてしまっては、それなりの結果にしかならないと思っています。レストランを経営するには建物やお皿、インテリアなど、総合的な雰囲気づくりが大切だと、独立前からそんな感覚を持っていました。非日常を感じられる空間の中でお客さまに楽しんでもらうことが大事なのだろうと。

 

——2007年には「A alla Z長岡店」がオープンしました。経営はすごく順調だったのではないですか。

田中さん:長岡店は「S.H.S」さんからお誘いいただいてスタートしたわけですけど、オープンからの2、3年はキツかったですね。スタッフが安定するまで軌道に乗らなくて。新潟からの距離的な問題もあって、なかなか実現したいことがスタッフに伝わらない。定着に課題がある。そんなことが続いていた頃に入社してくれたのが、現在も新潟店を引っ張ってくれているスタッフたちです。

 

——飲食業に限らないんでしょうけど、やっぱり人材って大切なんですね。

田中さん:彼らがいなかったらどうなっていたか分からないですね。料理の質が格段に上がり、それまでは「S.H.S」さんの集客に助けられていたところ、ようやく「自転できるようになった」って感覚をもてました。

 

飲食業界の働き方改革にチャレンジした、チーズケーキ専門店。

——せっかく人気店の経営者さんにお会いできたので、いろいろ聞きたくて本題に入るまでが長くなってしまいました……。「45°」さんについても教えてください。やっぱり気になるのは、どうしてチーズケーキのお店をはじめられたんだろうということなんですが。

田中さん:きっかけはコロナ禍ですね。「A alla Z」は1席の間が比較的空いていますし、郊外にあるので割と影響は少ない方だったと思いますが、それでも翻弄されました。レストランのように「待っているだけ」の状態がこの先どれくらい続くのか分からず、こちらから販売できる商品がある方がいいだろうと考えたんです。

 

——それがチーズケーキだったと。

田中さん:チーズケーキはいくつか案があった中のひとつでした。ビールが好きなので「クラフトビールがいいな」とも思ったんですけどね(笑)。ただビールを製造するには時間的な問題、設備投資的な問題がありました。チーズケーキの専門店であれば、そういった課題を解決できそうだと考えたんです。

 

——どんな味に仕上げているんですか?

田中さん:大人の女性に来ていただくのがコンセプトなので、がっつり系ではなく食べ終わってからも「もうちょっと食べたいな」と思ってもらえるチーズケーキにしています。でも実際は、店内で写真を撮られる若い方が多くて意外でしたね。「45°」がきっかけで、最近は若い方が「A alla Z」にも来てくださるんです。レストランを担う次の世代のためにも大切にしたいですよね。

 

 

——「45°」をはじめるとき、「A alla Z」の看板を背負うプレッシャーみたいなものはありませんでした?

田中さん:それはもちろんありました。変なものは出せないですしね。スタッフから厳しい意見をもらったこともありましたけど、「45°」にもたくさんのお客さまにお越しいただいて、安心しました。

 

——レストランを利用されない方も「45°」にいらっしゃいます?

田中さん:「45゚」を目当てにお越しの方もいらっしゃいます。たまに「隣の建物はなんですか?」と聞かれることもありまして。グサッときましたけど、まだまだ知られていないと痛感しました。ちょっと天狗になっていましたかね(笑)。やっぱり謙虚でいないといけないなと改めて感じました。

 

——さて最後に、田中さんがこれからどんなことをなさるのか教えてください。

田中さん:新潟土産になるようなメジャーなお菓子を作りたいと動き出しているところです。かたちになるのはまだ少し先かもしれませんが、県内のいろいろなところで皆さんが手に取ってくださるものを作りたいなと思っています。

 

 

 

45゚

新潟市西区黒鳥5004-1

Tel/025-374-7811

※掲載から期間が空いた店舗は移転、閉店している場合があります。ご了承ください。
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