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明治4年創業、燕市宮町のお菓子屋「飴屋本舗」。

明治4年、水飴などを売る「飴屋」として燕市にある宮町商店街で創業した「飴屋本舗」。洋菓子や和菓子など時代に合わせた商品展開で、これまで長い間地域住民とともに歩んできました。今回は6代目の遠藤さんに、お菓子作りへの思いなどいろいろとお話を伺いました。

 

飴屋本舗

遠藤 重樹 Shigeki Endou

1988年燕市生まれ。6代目社長。高校卒業後、柏崎市にあるお菓子屋で5年間、和菓子技術を学ぶ。

 

水飴などの「飴」の専門店として明治期に創業。

――まずは「飴屋本舗」さんの創業について教えてください。

遠藤さん:飴屋というだけあって、本当に飴を売るお店として創業したそうです。今みたいにお菓子も一緒に売っているのではなくて、水飴だとかそういったものを専門で売るお店だったみたいです。宮町商店街で創業して、だんだん時代の流れでお菓子も手掛けるようになっていきました。

 

――遠藤さんは何代目になられるんですか?

遠藤さん:6代目です。代々血筋で受け継がれてきています。

 

――お菓子を販売するようになったのはいつ頃からですか?

遠藤さん:詳しい時期は分からないんですけど、和菓子は結構早い段階から売っていたみたいです。洋菓子については先々代くらいから売り始めたと聞いています。なので私が生れたときにはもう今の形態で営業していました。

 

――子どもの頃の思い出はありますか?

遠藤さん:うちは1階がお店で2階が住まいになっているので、学校の行き帰りは絶対にこの店を通るんです。そうするとお菓子が常にある状態で生活していたので、周りの友達からはすごく羨ましがられていましたね(笑)。

 

――小さい頃からお店を継ぐように言われていましたか?

遠藤さん:私は長男なんですけど、小さい頃から親に「大きくなったらこの店を継ぐんだぞ」って言われて育ってきました。そこはそんなに違和感なく受け入れることができたので、その流れで進路なども決めながら育っていったような感じですね。高校を卒業してからは先代のつながりのあったお菓子屋さんが柏崎にあって、そこに5年間という期間を決めて修業に行かせてもらいました。

 

 

 

和菓子をメインに学んだ修業時代。

――ちなみに、修業先ではどんなことを学ばれたのでしょうか。

遠藤さん:先代は洋菓子をメインに修業していたので、逆に和菓子はそこまで得意ではなかったんです。だから先代からは「和菓子をメインに習って来なさいよ」っていう感じで送り出されました。ただ、初めての土地、初めてのひとり暮らしで職場も年上の大先輩しかいないような環境だったので、最初はものすごい緊張しました。和菓子は作り置きできるものではないので、朝早くから仕込みをしないと間に合わないんです。だから早朝に出社して遅い時間まで働くのは当たり前の生活でした。

 

――そこのお店の特徴は?

遠藤さん:和洋菓子を売っているお店でしたが、和菓子がメインのお店でしたね。柏崎の中では結構、規模の大きいお店だったので、機械生産とかも上手にされていて、機械の使い方も習うことができました。まずはお菓子の作り方や材料の知識など基本的なことをひととおり教えてもらいました。どんな材料をどのように混ぜると生地になって商品になっていくのかなど一からいろいろと学びました。作るだけじゃなくて売る大変さも教えてもらい、土日などの休日も店番のお手伝いをさせてもらったりして。本当に休みなしで働いた感じでしたが、充実した修業時代でした。

 

 

――中でも特に難しかったことはどんなことでしたか?

遠藤さん:どれも難しくて簡単な仕事はなかったですね。例えば、どら焼きって生地の仕込み自体は単純なんですけど、それを良い状態に焼き上げるのがとても難しいんです。温度も大事ですけど、生地の硬さも大事なので。硬すぎてもうまく焼けないし、柔らかすぎてもどんどん広がってしまって丸く焼きあがらないし。これを覚えるのに結構苦労しましたね。

 

シンプルな構造だからこそ誤魔化しがきかない、和菓子。

――和菓子は奥が深いんですね。

遠藤さん:洋菓子はクリームとかでカバーできる要素が多いんですけど、和菓子は生地と餡子だけみたいに構造自体がシンプルなので、その生地や餡子が少しでも崩れてしまうと仕上りに影響が出やすいですね。誤魔化しがきかないというか。

 

――5年間の修業の後、戻ってきて取り組んだことは?

遠藤さん:帰ってきてからは、修業先で学んだことと、先代が守ってきたものを比べてしまうことが多かったです。「なんでこれはこうしないんだろう?」みたいに思うことが結構ありました。それを自分の中のできる範囲で少しずつ変えていったりしました。あとは新しい目玉になりえる商品を作らないとだなぁと思っていました。

 

――うまくいきましたか?

遠藤さん:帰ってきてすぐに大きく変えるのは難しかったです。それは先代のやり方にもすべて理由があってやっているものばかりだったので。なので全部変えるのは無理だと思い、ちょっとずつ環境を整えていきました。

 

代々受け継がれてきた洋菓子と、学んだ和菓子を融合して。

――当時の看板商品はどんなものだったんですか?

遠藤さん:チーズケーキが一番売れ筋でした。ベイクドチーズにレモン風味のクリームを乗せたシンプルなケーキなんですけど、それが昔から看板商品でした。

 

――遠藤さんが考えた新商品は?

遠藤さん:チーズ大福というものを作りました。チーズケーキが売れ筋商品だったので、それの和菓子バージョンができたらいいなっていう発想で作りました。

 

 

――まさに学んだことで「和洋折衷」したわけですね。こだわったことは?

遠藤さん:そうですね。和洋折衷っていう要素は含めました。生地と餡子だけのシンプルな構造なので、そのふたつを一緒に食べて美味しく感じてもらえることにこだわりました。餡子とチーズを混ぜる割合も、どのバランスが一番美味しいかっていうのはたくさん試作を作りましたね。やっぱりメインは餡子の部分なので生地があんまり主張しないように、かなり薄くしています。また、チーズと相性が良いクルミを生地に混ぜることで、食感的にも変化が出せて面白いと思ったんですね。元々構想がしっかりとあったので、出来上がるまでにはそこまで苦労したというのはなかったです。

 

――戻ってきてからどのくらいで新商品はできたんですか?

遠藤さん:開発は就職して2年目ですね。帰ってくるのが決まっていたので、修業時代からもう構想は練っていました。あとは新商品というのはそんなに作っていないんですけど、既存の商品の配合を変えたりして自分なりのやり方に変えています。単純にそっちの方が美味しいと思ったことを実践しているような感じですね。

 

――今後の目標は?

遠藤さん:創業以来から宮町商店街で商売してこれたので、それを僕の代で絶やさないことがまず第一ですね。あとはここに店があるだけじゃなくて、もっと必要とされるお店になっていかないといけないと思います。このあたりの地域からだけじゃなくて燕全体にも認知されるようなふうになっていきたいと思っています。

 

 

――そのために大切にしていることはどんなことですか?

遠藤さん:燕に根付いた商品名を付けるように工夫しています。例えば燕は鎚起銅器が有名なので、「ついきの里」「洋食器の街」「水道塔の詩」というネーミングのお菓子を作ったりして、燕の文化に根付いたお菓子をもっと増やしてより地域に根付いた商品づくりをしていきたいと思っています。昨年で創業150周年だったんですけど、記念で作ったお菓子に「えん」というものもあります。このお菓子にはこれまでのご縁や、「燕」内での縁をイメージしました。燕のお土産屋さんで使って欲しいな、なんて思いもありまして。これからもお菓子を通して地域を盛り上げていきたいと思っています。

 

 

飴屋本舗

営業時間:9:00~19:00

定休日:月曜日

0256-62-2051

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