安田インターから車で10分ほどのところにある「古川彫刻」は、彫刻家・古川敏郎さんのアトリエであり、彫刻を学びたい人が遠方から集まる場所でもあります。トトロが現れそうな自然の中で作品づくりに取り組む古川さんに、作品のことや彫刻を知ってもらうための取り組みなど、いろいろとお話を聞いてきました。
古川 敏郎 Toshiro Furukawa
1964年妙高市(旧妙高高原町)生まれ。新潟大学大学院を修了後、美術教師として旧六日町女子高等学校へ赴任。1年間勤務をした後、制作のため大学の研究室に戻る。その後、20年以上敬和学園高等学校の美術教師として働きながら作品づくりを行う。2014年に教員の職を辞し、阿賀野市に「古川彫刻」を設立。
——古川さんは、高校の先生でいらしたそうですね。もともと、教師を目指していたのですか?
古川さん:中学校の美術教師になりたくて、新潟大学の教育学部美術科に進学しました。学部の4年間で彫刻を学んだんですが、「この程度では、まだまだ彫刻のことは分からない」と思って、大学院へ進学して、もう2年、彫刻を学ぶことにしたんです。なので、最初から高校の教師になろうと思ったわけではなく、結果として教員免許が取得できたという……。
——大学院を修了してからはどうされたんですか?
古川さん:南魚沼市の旧六日町女子高校へ赴任しました。でも、どうしても彫刻の制作に力を入れたくて、公立高校の教師の仕事は1年で辞めました。それで、新潟大学の研究室に戻って制作活動を続けたんです。
——本当に制作をしたい気持ちが強かったんですね。その後は?
古川さん:研究室の教授の知り合いから「敬和学園高校の美術教師が足りないから、来てくれないか」と頼まれまして。教育学部の大学院過程は新設されたばかりだったので、私以外に高校の教員免許を持っている人がいなかったんです。それで、非常勤講師として週に何度か敬和学園高校のお手伝いに行きました。
——再び、美術の先生としてお役目が回ってきたと。
古川さん:そうなんです。しばらくは、研究室での制作活動と非常勤講師の掛け持ちをしていたんですけど、敬和学園高校にお勤めだった教頭先生が退任されることになり、今度は常勤講師として正式に採用されました。それから20年以上、敬和学園高校に勤めましたね。
——彫刻との出会いについても教えてください。
古川さん:油絵が好きだったので、大学では絵を学ぼうと思っていたんですよ。でも、彫刻の実習で、彫刻を作っている時間が楽しくてたまらなかった。それで、絵はいつでも描くことができるから、スペースや材料が必要な彫刻づくりを在学中に極めようと思って彫刻を選んだんです。
——じゃあ、教員でいらした頃も本当は彫刻家になりたかったのでしょうか?
古川さん:今思えば、半分そんな気持ちが芽生えていたんでしょうね。旧六日町女子高校に勤めている間も、倉庫を借りて作品をつくっていました。私は、教師をしながら作品をつくることを当たり前だと思っていたんですけど、そんな人はあまりいなかったのかもしれません。教員は忙しい仕事ですから、高い美術の専門性を持っていても、それを発揮することを環境が許さないんですね。
——確かに、両立するのは大変そうです……。
古川さん:でも敬和学園高校では、教師と作品づくりの両立ができたんですよ。敬和学園には、個性を尊重する校風があったので、私みたいな変わり者でも受け入れてくれたんですね。それに学校の美術室は広くて、音を出しても周りの迷惑にならないところにあったので、思う存分、制作することができました。敬和学園に勤めていなかったら、彫刻家としての気持ちは折れていたかもしれません。
——それはとっても幸運なことでしたね。
古川さん:もしかしたら当時の生徒さんは、私のことを先生とは思っていなかったかもしれません(笑)。変なおじさんが「美術室でなにやら作業をしているぞ」というくらいだったかも。
——古川さんが、彫刻家として本格的にスタートしたのはいつですか?
古川さん:2014年の春から、阿賀野市にアトリエをかまえて彫刻家としてスタートしました。その年は、担任として卒業生を送り出したので、教師の仕事にひとつの区切りをつけられたこともあり、息子が大学へ進学して自分の生活のリズムが変わる年でもあり。それに、ちょうど50歳になる節目でもありました。それで、「後先考えずに動き出してみよう」と思いまして。経済的なことは活動しながら考えるとして、まずは制作に集中したかった。
——教師という仕事を手放すのは勇気がいることだからこそ、思い切りが必要だったと。
古川さん:彫刻をするには、クレーンやフォークリフトを動かせないといけないので、それらの免許を持っているんです。なので、いざとなったら資格を生かした職に就こうと考えていました。でも、幸いにも働きに出ることなく、ずっとアトリエで過ごすことができています。大儲けできるわけではないですが、自分のことを支えるだけの収入があれば十分です。
——普段はどんな作品を作っているんですか?
古川さん:展示会に出すときは、人体彫刻を作ることが多いです。人体彫刻って、自分のためにやっているところがあって、まったく彫刻を知らない人が見たら「なんだこれ。ちょっと怖いな」と感じるかもしれません。私は、彫刻に親しみを持ってもらいたいと思っているので、それ以外にも生活の中に取り入れられる作品もつくっているんですよ。
——「生活の中に取り入れられる」というと?
古川さん:「彫刻ブック」や「彫刻イス」がそうです。「彫刻ブック」は、作品をどう鑑賞したら良いかわからない人に向けて作りました。彫刻を本にしたら、どうしたって手元を見るでしょう。その距離で作品を見てもらおうと考えたんです。
——おお、わかりやすく鑑賞できる工夫が施されているんですね。素敵です。それに、「彫刻イス」とってもかわいいですね。
古川さん:アトリエができたばかりの頃、イスがなかったので、人体彫刻の腿の部分を加工してイス代わりに使っていたんです。ところが、バランスが悪いから傾いてしまう。イスに脚を付けてバランスを整えてみたものの、前後を間違って座るとイスから転げ落ちてしまう。どうしたものかと考えて、「前だと分かる印」として、たまたまあった猫の彫刻を貼り付けました。それがおもしろいと評判になって、名刺代わりの作品となりました。展示会でも好評ですし、かわいがっているペットをモデルに「彫刻イス」を作って欲しいとオーダーをいただくこともあって、もう120脚ほど作りましたよ。
——お話を聞いていると、「彫刻に親しみを持ってもらいたい」という気持ちがとても伝わってきます。
古川さん:美術は、敷居が高い分野ですよね。彫刻はその中でもマイナーで、絵や写真を趣味にしている人はいるけど、彫刻が趣味だという人はあまりいない。「彫刻が好きだ」と思っている人がいないと、私たちがやっていることがただの自己満足で終わってしまいます。このまま彫刻文化が途絶えてしまってはいけないと思って、彫刻のファンを増やす活動が必要だと考えているんです。
——具体的な活動は作品づくり以外にもあるんですか?
古川さん:ひとつは彫刻教室ですね。わざわざ遠方からこのアトリエに来ている生徒さんもいますよ。あとは、彫刻を使ったワークショップをしたり、公民館の活動に呼んでもらったり。先日は、中学校のPTA行事でカレースプーンを作るワークショップにお招きしてもらいました。
——おもしろそうな取り組みですね。
古川さん:彫刻人口を増やすには、作家側の努力が必要だと思います。公募展に出すような作品だけでは、一般の人に理解されにくいでしょう。そもそも、今の若い人は公募展に作品を出して、他者から評価されることを嫌う傾向にあるようです。やろうと思えば、個展だって開けるわけですし、わざわざ審査を受ける必要はないだろう、と。時代は変わっているのだから、美術の世界も変わる必要があるのかもしれませんね。作り手から、「彫刻はこんなにおもしろいものだ」と伝えることが大切だと思います。
——彫刻家としての今の生活はいかがですか?
古川さん:このアトリエに来て8年目になりますが、やることがたくさんあって、1日として同じような日はなかったですね。この生活を始めたら、きっと暇だろうしボヤッとする時間が多いのだろうと想像していましたが、不思議と毎日やることが用意されているんです。
——作品に変化はありましたか?
古川さん:周囲に山しかないところにアトリエを作ったせいか、自然に影響を受けた作品をつくるようになったと思います。それに、仲間はいますが、へこたれても自分ひとりで解決しなくてはならないこともあるので、ハッピーなことばかりではない精神的なもの……「心の重さ」と言ったらいいでしょうか。そんなものが、作品に反映されているように思います。「教員を続けていればよかったのに」と言われたこともあります。でも今の生活は、安定を捨てて、超・不安定な中に身を置くことへの挑戦でもありました。生きることに対してとか、時間の価値とかに向かい合うためにここにいると感じますね。
——これからやろうと思っていることなどありますか。夢みたいなものは。
古川さん:それを持たなくちゃいけないと思いながら、やらなければならないことに追われてしまっているんですよね(笑)。でも、せっかくこの世界に飛び込んだのだから、自分が満足できる作品を1点でもいいから生み出すことが夢ですね。
古川彫刻
阿賀野市保田字ツベタ6966-8