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新入社員を迎えた「富貴堂」が生み出す、これからの鎚起銅器。

  • ものづくり | 2024.04.22

工場に響き渡る、カンカンと銅を打つ音。茶器や酒器といった鎚起銅器を作り続けている燕市の「富貴堂」に、この春大学を卒業したばかりの新しい職人さんが入社しました。高校生の頃から鍛金にふれ、将来の目標を叶えるため「富貴堂」への入社を決めたという國重さんと、代表取締役の藤井さんにお話を聞いてきました。

 

 

有限会社 富貴堂

藤井 健 Takeshi Fuji

1975年燕市生まれ。高校卒業後に「玉川堂」で2年間修業を積んだ後、家業である「富貴堂」に入る。三代目として代表取締役を務める。

 

有限会社 富貴堂

國重 美紀 Miki Kunishige

2001年香川県生まれ。高校生のときに鍛金と出会い、卒業後は長岡造形大学に入学。金属を使った作品づくりを学ぶ。大学を卒業し、今年4月「富貴堂」に入社。

 

製品の先に目標があるひとりひとりが集まったチーム。

――藤井さんは「富貴堂」さんの何代目にあたるんでしょう?

藤井さん:私で3代目です。高校を卒業してから2年間「玉川堂」さんに勤めさせてもらって、父が少し体調を崩したのを機に「富貴堂」に入りました。高校卒業してからずっと銅器を作り続けています。

 

――どんなことを大切にしながら製品作りをされているんでしょうか。

藤井さん:ずっと続けているスタイルとしては「使う製品」ということと「シンプルな形」であることです。父とも話しながら、飾りではなくて、道具として使いながら寄り添ってもらえる製品を作っています。

 

――今は何名の方が働かれているんですか?

藤井さん:私と父の他に男性の職人さんがひとり。あとは私の家内と、発送や注文管理をしてくださっている方がいます。この4月から國重さんを迎えて、作り手4名、作業してくださるスタッフ2名の合計6名になりました。私はよく数字で表すんですけど、今は「1と4と6」の会社だと思っていて。

 

――といいますと?

藤井さん:作り手として、どういうものを作りたいかを考えるのはひとりの仕事。製品を作るのは4人。会社として皆さまと共に成長していくのは6人。そういうことを数字で考えたり、父と話したりしながら進んでいます。

 

 

――4月に國重さんが入社されましたが、どんな経緯で「富貴堂」さんへ入られたんですか?

藤井さん:國重さんと出会ったのは去年の10月です。長岡のハローワークから電話がかかってきて、「春に長岡造形大学を卒業される方がいます、その方の話を聞いてみませんか?」と。それで実際に会ってお話しすることにしました。

 

――國重さんは高校と大学で鍛金を学んでいたそうですね。さらに技術を磨ける場所を探していたんでしょうか。

國重さん:そうですね、大学4年のときはすごく迷いがあって。大学に入った当初は燕の職人さんに憧れていたので、そういうところへ就職しようと考えていたんですけど、大学で過ごすうちに、ただ技術を磨いて製品を作るだけじゃなくて作品を作る楽しさを知ったんです。

 

――大学に入って「作品を作る」という将来の選択肢が広がったと。

國重さん:就職か進学か、卒業後の進路に迷っていたときにハローワークで「富貴堂」の求人を見つけました。「自分に合っているな」と直感で思って。社長とお話しさせていただいたときに「この会社は製品を作るだけでは終わらない、製品作りの先に目標があるひとりひとりが集まったチームなんだ」いうのを聞いて「自分もそうだな」と思ったんですよね。

 

 

――「富貴堂」さんの在り方に共感されたんですね。

國重さん:会社では製品を作って、それとは別に作品を作り続けるっていう目標を持ちながらやっていきたいなって。これからのビジョンが開かれた感じがして「ここで頑張っていきたいな」と思いました。

 

――藤井さんは國重さんのそういった思いを聞いたとき、どう感じましたか?

藤井さん:「楽しいこと言う子だな」と思いましたね。この職業は最初のステップを探している人たちが多いと思うんですけど、そのステップがなかなか見つからない職業でもあって。でも最初に彼女と話をしたとき、「うちの品物を作りたいわけじゃないんだよね」って聞いたら「そうです」と言ったんです。

 

――「作品を作り続ける」という目標を見据えた上で「富貴堂」さんで学ぼうと決めていたんですね。

藤井さん:最終的には「自分らしいものを作っていきたい」っていう人が多い世界だと思うんです。そのためにここをステップにしてくれるのであれば嬉しいし、自分も刺激を受けて頑張れるなと思ったので「面白いな」と思いました。

 

お互いの考えを共有して、共感できるところからものを生み出していく。

――そもそも國重さんは鍛金のどんなところに魅力を感じたんですか?

國重さん:鍛金との出会いは高校のときです。元職人の先生がいて、金鎚で大きく打ちながらものを作るんですけど、それでいて繊細で。私は小さい頃から器用な方だったので、高校では緻密に描くような漆をやろうと思っていたんです。だけど鍛金と出会って、細かく描くだけではない、大きな動きから繊細なものが生まれるっていう、それまで自分が考えていたものづくりとは違う面白さを知って。最初はぜんぜんうまくいかなかったんですけど、その細かな感覚を探るのも面白かったですね。

 

――難しさも面白かったんですね。國重さんを迎えて、これからどんなかたちで一緒に働かれるんでしょうか。

藤井さん:教えるというよりは、お互いに考えている内容や方向性を共有していって、共感できるところから何かを生み出せたらいいなと思っていいます。自分が得たチャンスの中で「國重さんにいいんじゃないかな」というチャンスは共有していきたいですね。

 

 

――お互いに刺激を与え合う時間になるわけですね。

藤井さん:彼女が目指しているのは「自分の工房を持つこと」だと聞いています。ただ、そこに至る物語は國重さん自身が作っていくべきなので、ここでは製品を作りながら、「誰かに喜んでもらうためにできることはなんなのか」ということを考えてもらって、応援団を増やしていけばいいんじゃないかなと。この場で何を作り上げて、何を残しながらステップにつなげていくのかというところを、一緒に働いている期間は競争していきたいです。そのためにはお互いに課題を与え合うことが大事かなと思っています。

 

――これから國重さんと一緒に働けることを、藤井さんもとても楽しみにされているんですね。

藤井さん:楽しみでしかないですよね。正直、自分ひとりでやっていると限界がありますけど、違う目線からどうやって発想を生んでくるのか、まったく予想していないことの方が多いはずなので。彼女は常に疑問に感じていることを話すんですよ。「私だったらどうするかな」とか。自分もものを作ることが好きなので、疑問に思う気持ちっていうのは非常にワクワクしますね。

 

――今後は「富貴堂」さんから生み出される製品も、自然と変わっていくんでしょうか。

藤井さん:変わっていくでしょうね。作っているのがこの場所というだけで、作り手そのものを紹介していくかたちに変えていくべきだと考えていて。もちろんその中で「製品を作る」というのはプラスになるところもあるので、そこらへんを使い分けながら変わっていかなければいけないなと思います。

 

目標を見失わずに、努力を続けたい。

――國重さんはきっとこの先も進む道で悩むことがあるかと思います。ものづくりをする上で、どんな環境があったらいいなと思いますか?

國重さん:自分のやりたいことをやれる場所があるといいですね。自由に表現できて、周りと調整しながらやれる場所というか。あとはやりたいことを素直に言える環境も大事だと思います。誰かと話すことで「自分はこれがやりたかったんだ」と気づくこともありますし、自分が考えていることを言えることがはじまりでもあるのかなって。

 

藤井さん:もっとステップアップしていける場がたくさんあるといいよね。何かひとつをずっと続けていくことはもちろん大事だし、それがいちばん難しいことかもしれないけど、同じことだけやっていてもなかなかステップアップしていかないし。國重さんがずっとここにいてくれたらいい部分もあるんでしょうけど、「育つ」ってそれだけじゃないと思うんです。自分にとってもチャンスなので、このときを大事にしたいですね。

 

――最後に國重さん、これからの意気込みをお願いします。

國重さん:まだまだ知らないこともたくさんあるので、目標をしっかり持って、それを見失わないようにしながら努力を続けたいです。そういう毎日の積み重ねから大きなものが生まれるような気がするので、毎日少しずつ頑張っていきたいなと思います。

 

 

 

有限会社 富貴堂

燕市花見274-4

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