新潟を拠点として活躍するお笑い芸人やタレントの集団「NAMARA(ナマラ)」。高橋なんぐさん、ボボ金子さん、森下英矢さんなど多くの所属芸人が所属しています。その中でコンビとしてお笑いステージやイベントMCで活躍しているのが、大野まさやさんと春巻マサシさんの「ジャックポット」です。驚くことに2人がコンビを結成したのは高校生のとき。今回は取材当日に大野さんが熱を出したため(…大丈夫か!?)、「NAMARA」事務所と大野さんの自宅を結んでThings初のリモート取材をおこなうことになりました。
ジャックポット
大野 まさや Masaya Ono
1986年新潟市中央区生まれ。中学生で「NAMARA」入りして、春巻マサシと「ジャックポット」を結成。テレビやラジオに出演し、声のよさを生かしてCMナレーションもこなす。保育士、幼稚園教諭、社会福祉士から大型自動車まで多くの資格や免許を取得している。バルーンアートも特技でときどきイベントで披露。
ジャックポット
春巻 マサシ Masashi Harumaki
1985年新潟市中央区生まれ。高校生で「NAMARA」入りして、大野まさやと「ジャックポット」を結成。脚本やイラストを製作するなど作家としても活躍している。2017年にコンビで「にいがた銭湯大使」に任命されたことをきっかけに「㐂八家五円(きはちやごえん)」として落語家デビュー。2019年から「銭湯寄席」を開催している。
——今日はよろしくお願いします。大野さん体調は大丈夫でしょうか?
大野さん:微熱があるので念のためリモート取材にさせてもらいましたが、体調は悪くないので大丈夫です。こんなことになってすみません。
——いえ、こちらこそ、こんなときにすみません。じゃあまずは、お二人が「NAMARA」に入ることになったいきさつから教えてください。
大野さん:中学3年生のときに「NAMARA」に入ってしまい、その後の貴重な青春時代をムダにしましたねぇ(笑)。きっかけは古町のイベントで「NAMARA」の先輩芸人・高橋なんぐさんやボボ金子さんたちがやっていたステージなんです。僕の家庭は両親とも学校の先生をやっていて、家のテレビでバラエティー番組を見たことがなかったんですよ。同級生との会話の中でバラエティー番組や流行してるギャグの話題になってもついていけなかったんです。だから、「NAMARA」のお笑いステージを見てとても興味を持ちました。「ボランティアスタッフ募集」のチラシを見て、当時は部活もやってなかったし、「NAMARA」に参加することで今までとは違った景色が見れるんじゃないかって思って応募したんです。
春巻さん:私が「NAMARA」に入ったのは大野の1年後の高校生のときです。私が入学した高校って、当時は漫画の「クローズ」みたいに荒れていた学校だったんです。私はその中でもおとなしくて真面目な方だったので、高校時代を部活動に捧げて青春しようと思ってました。そこで野球部に入部しようと思ったら部員が2人しかいなくて(笑)、入ってもいいけど試合には出られないといわれました。じゃあサッカー部にしようと思ったら、4人しかいない(笑)。結局試合に出れる部活は相撲部だけで、当時の私は痩せててひょろひょろだったので諦めたんですよね。そんなとき、母親に「NAMARA」を勧められたんです。私は大野と正反対で、子どもの頃からお笑いが好きだったんですよ。
——入った時期はほとんど一緒なのに、いきさつはそれぞれ違ってて面白いですね。入ってみて「NAMARA」の印象ってどうでした?
春巻さん:最初、事務所に行ったときは「やばい…」と思ってドン引きしました(笑)。初代事務所って壁一面に芸人の似顔絵が手描きされてて、受付のお姉さんもバリバリのパンクファッションで…。まだ高校生だった私は「大丈夫か…」って心配になりましたね。
——高校生にとってはいろんな意味で刺激が強かったんですね(笑)。「NAMARA」に入ってから大変だった経験ってありましたか?
大野さん:福島に花見山公園っていう、山の中の公園があるんです。そこに1ヶ月間住み込みで行って写真撮影の仕事をしていたことがありました。観光客の記念写真を撮って販売する仕事でしたけど、けっこう大変でしたね。
春巻さん:最初は芸人の仕事がないので、スタッフとして事務仕事をしてたんですけど、「NAMARA」で缶詰を提供する「缶詰カフェ」を始めることになって、そこの店長を任されたんです。昼は事務仕事の合間にイベントに出て、夜は「缶詰カフェ」を営業して、夜中にお笑いの台本を書いて、事務所で仮眠して起きたらそのまま事務仕事をするという生活を送ってました。そしたら体調を崩して重度の痔瘻を患ってしまって…、危なく人工肛門を使うことになるところだったんです。病院に行くのが恥ずかしくてそのまま放置してたから悪化したんですね。人生台無しになることもあるから、お尻が痛いと思ったら若い人でも恥ずかしがらずに早めに病院に行ってほしいですね。これはぜひ書いておいてください(笑)
——お二人はどうしてコンビを組むことになったんですか?
春巻さん:私は「NAMARA」に入ってすぐ、2週間後の定期ライブに出演することが決まったんです。地元の友達を誘ってコンビを組んでそのステージに立ったのが芸人としてのデビューでした。当然、まったくウケなくて一緒にステージをやった友達は心が折れて私のもとを去りました(笑)
大野さん:それで、お互い年齢も近いし相方もいなかったので、僕と春巻で「ジャックポット」っていうコンビを組むことになったんです。でも、お互い自分が一番面白いと思ってるからぶつかっちゃうんですよ。
春巻さん:大野は「NAMARA」に入ったのが私より1年先だったから先輩風を吹かしていたんですよ。ある日大野から渡された台本を読んで意見したら、喧嘩になっちゃって。それでどっちの台本がお客さんにウケるか勝負することになったんです。
——しょ、勝負?
春巻さん:「NAMARA」の定期ライブのステージで順番に台本を書いて、いっぱいウケを取った方がリーダーになって台本を担当するっていうルールで勝負をしました。でも相手が書いた台本がウケたらリーダーの座を奪われるんで、お互い相手の台本のときには練習してこないんです。それどころか最後は相手の台本を覚えることすらしなくて、とうとうステージ上で取っ組み合いの喧嘩になってしまって、スタッフがあわてて照明を落してステージを中止しました(笑)。その後スタッフにめちゃめちゃ怒られましたね。
大野さん:お互いまだ血気盛んな高校生でしたからね(笑)。それで「ジャックポット」を解散することになったんです。
——高校生のときに1度解散してたんですね(笑)。
大野さん:じつは20代前半にも再結成して解散してるんです。
春巻さん:そのときはお互い成長してたんで、お客さんにもステージがウケるようになっていたんですけど、お互いの方向性が違ったのでコンビを続けるのは難しいということで解散しました。大野はテレビやラジオの仕事をやっていたから新潟で続けたかったし、私は新潟じゃなくて東京に出て芸人をやりたかったんです。
——1度目の解散よりも2度目は大人っぽい理由で解散したんですね(笑)。それが3度目の結成を果たすのはどうしてだったんですか?
春巻さん:解散後、私は元「ちびっこギャング」の藤井一男さんに弟子入りして、その下でコンビを組んでお笑いをやってたんです。でも組んでいた相方が辞めることになったので、「NAMARA」に戻ることになって。当時相方がいなかった大野と3度目のコンビ結成をすることになりました。
大野さん:その頃はお互い30代になっていたので成長して大人になったし、相手のことを受け入れながらやっていけるんじゃないかってことになったんです。私もいろんな人とコンビを組んできましたけど、コンビ間の問題っていうのが一番苦労するところなんですよ。
——今までのステージで印象に残っているエピソードはありますか?
大野さん:大企業の社員旅行の300人くらい集まった宴会で余興をすることになったんです。ステージに出るなり酔っ払った社員にスリッパを投げつけられて、僕の体に当たったんです。思わず頭に血が上って、ステージから降りて掴み掛かってしまいました。
春巻さん:大野はふだん冷静な方なんですけど、そのときはよっぽどガマンできなかったんでしょうね。私に当たってたら、私が掴み掛かってたかもしれません(笑)。そのとき私が大野を止めたみたいに、コンビでやってると片方がカッとなっても片方がストッパーになれるのはいいところだと思います。
——いろいろ大変ですね。他のエピソードも教えてください。
春巻さん:18歳のときに新潟県中越地震があったんですよ。そのときはJRが不通になって、湯沢町の観光が壊滅的なダメージを受けました。そこで湯沢町がボンネットバスを集めて、シャトルバスとして観光地への送り迎えをしたんです。そのバスに添乗員として乗って車内を盛り上げてほしいっていわれたので、湯沢町の勉強をしてバスに乗り込んだんです。そしたら初日は高校生の男の子が一人しか乗ってなくて、しかたなくその子とずっと話をしてました。で、半年後のシーズン最終日に親子3人がバスに乗ってきて、よく見たら子どもは初日の男の子だったんです。両親の話によると、男の子は普段は引きこもりなんだけど、たまたまあの日ボンネットバスに乗って、私と話したのがあまりに楽しかったので両親を連れてもう1度乗りにきてくれたらしいんですね。その話を聞いて感動しました。それまで私は東京でお笑いをやりたいと思ってたんですが、地元に寄り添ってお笑いをやってみようと思うようになったんです。
——お笑い芸人として心がけていることってありますか?
大野さん:僕は江頭2:50さんや爆笑問題さんのように、生き様をさらけ出している芸人が好きなんです。パフォーマンスの中に自分たちの持つエッセンスを少しでも入れないと、誰がやっても同じものになっちゃうと思うんですよ。それなりに長く芸人としてやってきたので、お客さんを笑わせるツボは知っているし、そこをくすぐって笑わせれば70点のステージはいくらでもできると思ってます。でも、常に新しい事にチャレンジして、自分の好きなことをぶつけていくことも大事なんじゃないかって思ってるんです。まあ、その結果すべることも多いんですけどね(笑)
春巻さん:私はリラックスした雰囲気が大事だと思ってます。やる気満々で本気丸出しの雰囲気でステージに臨んでしまうと、お客さんにもその本気度や緊張感が伝わってしまっうから、お客さんも緊張してしまって楽しんでもらえないんですよね。それから、まだまだ我々「ジャックポット」のことを知らないお客さんも多いので、短時間のステージで自分たちをいかに知ってもらえるか、アウェイをホームに変えることができるかがポイントだと思ってます。
——今後やっていきたいことを教えてください。
大野さん:世の中のことで自分が知ってることってほんのわずかだと思うんです。行ったことのない場所や食べたことのないものがいっぱいあるんですよね。そういう知識や経験をどんどん増やしていって、お笑いに生かしていきたいと思ってます。自分が死ぬときにお笑いやプライベートも含めて人生に満足できたらいいなってと思ってます。
春巻さん:私と大野は2人とも銭湯が好きで「にいがた銭湯大使」として、新潟県内の銭湯を盛り上げるための活動しています。私は江戸時代にあった「銭湯寄席」を復活させたいと思い、昨年から「㐂八家五円」の芸名で落語をやっています。これからはどんどん独演会をやって盛り上げていきたいと思ってます。
高校時代から3度の再結成を経て、今もお笑いコンビとして活動している「ジャックポット」の大野さんと春巻さん。「NAMARA」に所属する芸人の中でもいろいろなことができてオールマイティーな活躍を見せています。今後もお笑い芸人としてはもちろん、イベントMC、テレビタレント、落語家、そして「にいがた銭湯大使」としてマルチな活躍で新潟を盛り上げてください。
(取材日:2020年4月16日)
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