県北・関川村の旧米沢街道沿いに、近代ものドラマのセットのような小粋でレトロモダンな雰囲気を湛えた歴史的建築が佇んでいます。古き良き日本建築と洋風建築が混在するこの「旧齋藤医院」は、その名の通り、豪農の番頭の詰所だったものを譲り受け、明治後期にペンキ塗りの洋風の医院にリフォームして開院したそうです。その後も度々のリフォームで新たな趣を加えられながら、平成11(1999)年に閉院して以後も、現在まで往年の風情を残しています。近年、この独特な建物に魅せられた地元内外の有志が集まって「旧齋藤医院つなぐプロジェクト」を立ち上げ、館内を利用したイベントをさまざまに企画・実行し、同館の魅力発信や保全に取り組んでいます。今秋には、館内でも特に珍しい造りの洋間で喫茶や軽食が楽しめるカフェ「かめかつらや」をオープン。「洋館の古民家カフェ」として定期的に開放し、地元住民や村を訪れる観光客にさらに同館に親しんでもらおうと取り組みを進めています。プロジェクトのメンバーに話を訊きました。
近 美千代 Michiyo Kon
1959年、関川村生まれ。元小学校教員。「なかったらつくる」をモットーに、村内外で様々なイベントを企画・実行。地元の方言や郷土料理にも造詣が深い。
長谷川 正康 Masayasu Hasegawa
1972年、新潟市生まれ。新大、同大学院で建設・土木・まちづくりを修め、ゼネコン、NPO法人などを経て、現在は関川村内の建設会社で働き、齋藤医院の住宅部分に住みながら管理もしている。
品田 浩子 Hiroko Shinada
1964年、新潟市生まれ。二級建築士、福祉住環境コーディネーター、高校教員。齋藤医院とは2000年ころに一部バリアフリー化リフォームの設計に携って以来の関わり。
――本日はよろしくお願いします。前面の医院部分はレトロモダンな洋風、母屋の住居部分は小津映画にも出てきそうな純日本建築と、とても独特な建物ですね。
近さん:元々は、通りをはさんだお向かいの豪農、大きな邸宅が国指定重要文化財にもなっている渡邉家の番頭の詰所だったとのことです。その渡邉家で大番頭をしていて、同家の財政危機を救ったという齋藤家のご先祖がその詰所をいただいて分家させてもらったのが文久年間のころと思われます。その後、ご子孫が医師となり、洋風の医院にリフォームして開院したのが明治43(1910)年です。母屋の住居部分は昭和4(1929)年に改築され、その後多少のリフォームなどが施されていますが、建物の基本的な骨格のようなものはずっと変わっていませんね。
――特に医院部分は、いわゆる古民家とは別の、なんというか近代的でリアルな懐かしさを感じます。
近さん:実際に20年前までやっていましたしね。後半は入院設備の基準が厳しくなったこともあってお産はやめましたが、地元には、ここで産まれた、とか、ここでお産した、という人が今でも少なくありませんよ。昭和42(1967)年の羽越水害でここも浸水してしまい、床は一部張り替えてありますが、タイル張りの手術室から、病室、ベッド、聴診器、標本、往診用の犬ゾリまで、かつて実際に使われていたものが今でもほぼ当時のまま残っています。住居部分も含め、齋藤家の方々は本当に物を大切にされてきたんだなぁ、というのが分かります。
――ドラマのロケをやるならそのままで、小道具もいらないかもしれませんね(笑)。
長谷川さん:住居部分に住みながら管理して4年目になりますが、住んでいると毎日のように新たな発見があって楽しいですよ。止まった時間でなく、生活の跡に文化や文明の移り変わりを感じられるのが醍醐味です。医院の玄関入ってすぐの、ブレーカーの配線コーナーなんてお好きな方にはたまらないかと。自分もですが(笑)。
――プロジェクト発足のいきさつを教えて下さい。
近さん:閉院して1年後に院長先生が亡くなり、奥様がしばらく一人でお住まいだったのですが、ご家族は村外で生活なさっているので、奥様が亡くなってからは住人不在となってしまって。この素敵な建物をなんとか残したいと、娘さんからのお声掛けで有志が集まったのが4年ほど前ですかね。地域のために活用してほしいという持ち主のお考えに賛同し、私たちで使わせてもらうことになりました。
――新潟市出身の品田さんや長谷川さんがこの建物に興味を持ったきっかけは?
品田さん:そもそもは、本業の建築士として2000年ころ、奥様が一人で住むことになったので一部のリフォーム・バリアフリー化の仕事に携ったのがこの建物との関わりの始まりです。建築士としてだけでなく、歴史的建築物愛好家の一人としても、この建物にはとても魅力を感じました。その時に設置した洋間近くのトイレが、今回開設したカフェのトイレとしてちょうど良く役に立ったので、とても嬉しいですね。
長谷川さん:もともとは全く別のボランティア活動で近さんと知り合ったんです。前職を辞めて次をどうしようか考えていたころに、近さんから「関川村にちょうどあなたの専門性を活かせる仕事があるよ」って誘われて。
近さん:夫の勤める建設会社が、ちょうど専門人材を募集していたんです。
長谷川さん:それで今の会社に入って関川村に移住し、しばらくは別の所に住んでいました。私も、もともとは建築物が好きで。渡邉邸のことは前々から知っていたんですけど、その目と鼻の先にある齋藤医院のことは移住してから知ったんです。見つけた時から「素敵な建物だな」とは思っていて、プロジェクトにも参加しましたが、まさか実際に住めることになるとは…。
――プロジェクトとしてはこれまで、どんな企画を?
近さん:農家の女性から作家さんまで、手仕事の成果品の販売や実演、ワークショップを出店してもらう「わさかぎ市」というのを催しています。「わさかぎ」というのはこのへんで「いたずら」という意味で、素敵なものばかりなんですけど、みなさん謙遜するので「あくまで遊び・趣味なんですよ」というニュアンスを込めたネーミングです。また、建物の雰囲気を活かした展示会やコンサート、講習会などもやってきています。またその催しのある日に合せたりして、「おんこ市」という古物などのミニマルシェもやっています。
品田さん:「おんこ市」は、「温故」と仏語の「オンコ(アンコール)」(再び)をかけた造語です。古いものを見直す、というコンセプトと、和洋の要素が混ざり合った、とても齋藤医院らしいネーミングだと思います。
――それで今回、カフェを開設することになったのは?
近さん:前々からイベント開催時などに喫茶や軽食の提供ができたらいいなとは思っていたんです。台所もあるし。
長谷川さん:それで今回、食品営業許可をとって、始めました。まだメニューも限られていますが、今後充実していけたらな、と。
――今回カフェとして開放する洋間はどんな空間なのでしょう?
長谷川さん:ちょうど医院と母屋の間に位置し、院長先生の書斎として昭和11(1936)年に増築された部屋です。天井が高く、内壁は漆喰で、カーテンレールやモールディング(廻縁)、書棚など当時のままです。今となっては珍しい当時の日本楽器製造(現ヤマハ)製のイスとテーブルもあり、実際に使用することも可能です。またもうリフォームされていますが、医師の書斎らしくいざという時にすぐ手を洗って診察にいけるよう部屋の中に水道が引かれているのも面白いですね。
近さん:なんでも建築当時は地元に本格的な洋風建築のできる大工さんや左官やさんがいなかったので、新潟にしばらく修業に行ってもらって、職人さんたちが洋風建築を習得して帰ってきてから建ててもらったそうです。ちなみに店名の「かめかつらや」は、この家の屋号「亀桂屋」から採っています。
――どこか懐かしい雰囲気でリラックスできると同時に、うっとりできる空間でもありますね。カフェのコンセプトは?
近さん:休日に月2回だけの営業ではありますが、渡邉邸をはじめ歴史のロマンを感じる建物の多いこの辺りの旧米沢街道沿いの散策のお休み処として、また本数の少ない(苦笑)米坂線の電車の待合として、気軽に立ち寄ってもらえればと思います。地元の方も観光で関川に来られた方も大歓迎です。
――今後の展望は?
近さん:基本的には、プロジェクト立ち上げ時の「旧齋藤医院の建物や歴史を未来に手渡すこと、地域の産院だった場所が、人と人とのつながりが産まれる場に!」を念頭に、来てくれた方との学び合いを深めながら活動を持続させていきたいと思っています。カフェもその延長線上で、互いに交流したり学んだりできる場所にしたいですね。旧齋藤医院には、レトロでゆったりできる空間や、代々大事に手入れをしてこられた広い庭もあります。読書や散策なども楽しんでもらえる場所になれば。そのためには、様々な課題もあるけれど、この場所を大事に思ってくれる方たちと知恵と力を出し合って取り組んでいけたらいいなと思っています。また齋藤家には、これからを生きる人たちにとっても、大切なヒントとなるものがたくさんあります。私たちも、もっと齋藤家の歴史を学んで、紹介できるようになっていきたいですね。
――なるほど、本日はありがとうございました。
スパイシーカレー 500yen(ドリンク付 +200yen)
ライ麦パンのオープンサンドイッチセット(珈琲or紅茶付) 500yen
和菓子セット(抹茶付) 500yen
ケーキセット(飲み物付) 500yen
珈琲・紅茶・抹茶 各300yen
(日によって変更の場合あり)
◆12月営業日の催し
1日(日)「練りきり細工体験教室」
15日(日)「ライ麦パンパーティー」
◆2020年4月19日(日)「WASAKAGI」開催予定
カフェかめかつらや(旧齋藤医院)
〒959-3265 岩船郡関川村下関913
第1・3日曜 10:00-16:00営業(1・2月休)