BSNラジオで放送されているラジオドラマ「ラストメッセージ~天国からの返信~」が、一冊の本になりました。もう書店で目にした方もいるかもしれません。これまでに放送された40話以上の中から物語を厳選して、脚本家自らが書き下ろした短篇小説集です。人を想うやさしい気持ちにあふれた6つの作品は、どれも読みやすく、特別な読後感。これまでに大切な人との別れを経験したことのある、でもまだその人のメモリをスマホから消せない…、そんな人にぜひ読んで欲しい一冊です。今回は、ラジオドラマの脚本家であり、この小説の作者である藤田雅史さんに、本の中身をたっぷりと語っていただきました。
藤田 雅史 Masashi Fujita
1980年生まれ。作家。日本大学芸術学部卒。著書『ラストメッセージ』。2013年よりラジオドラマの脚本を120本以上執筆。戯曲、エッセイ、散文詩など小説・脚本以外の分野でも作品を発表。現在、ウェブエッセイやサッカー小説を連載中。新潟市在住。
――今日はあいにくの空模様ですが、日課のお散歩にお付き合いさせてもらいながらのインタビューです。散歩はよくされるんですか?
藤田さん:お昼ごはんを食べた後とか、時間のとれるときはできるだけ歩くようにしています。
――健康のため、ですか。
藤田さん:それもありますし、気分転換の意味合いも。お昼ごはんの後って眠くなったり身体がだるくなったり、頭が働かないことが多くないですか? どうせ休憩するなら歩いた方が楽しいので。音楽聴きながら、気分よく近所の川沿いを歩いています。
――やっぱりアイディアを思いつくことも…。
藤田さん:うーん、思いつくというより、むしろ整理する感じですね。頭の中のごちゃごちゃしたものをすっきり片付けるのに散歩はいい気がします。最初の頃は、何かいいアイディアが浮かぶかなって期待していた部分もあったんですけど、新しいアイディアが浮かんじゃうと、メモしなくちゃいけないでしょう。歩くのが目的だから、あまり立ち止まりたくなくて(笑)
――6月15日に上梓された短篇集『ラストメッセージ』は、元はラジオドラマですよね。放送局のプロデューサーさんから「天国からメールの返信が届く、そんなラジオドラマを作れないか?」というオファーが最初にあったそうですが、この言葉を聞いたとき、正直どう思いましたか?
藤田さん:無限に作れる、と思いました(笑)
――おお…。
藤田さん:話自体はね。でも、本の前書きにも書いているんですけど、ラジオって「声」と「音」だけなんですよ。会話や語りだけじゃなくて、メール本文も「声」でしか表現できないんです。だから、亡くなった人の声がいきなり登場するのって興醒めなんじゃないか、5~6分で全部まとめるのは無理があるんじゃないかと、そういう心配はありました。だから最初はおそるおそる書いていたんです。でも、テーマをいろいろ考えたときに、ふっと「あ、これでいいや」と思えたときがあって。そこからは書くのが楽になりました。今はもう、興醒めでもいいやと開き直っています(笑)ちゃんと心がこもっていれば、と。
――ラジオドラマの脚本で苦労することや、作っている過程での気づきなどはありますか?
藤田さん:苦労があるとすれば、それは一本一本、テーマを見つけることです。今回は何を書くか、何を伝えるか。それが8割で、これが見つかりさえすれば書くこと自体は楽なんです。5〜6分だと、一筆書きみたいな感覚ですね。気づきという点で言えば、脚本上で文字となっているものを役者さんがどう表現するか、そのアウトプットは役者さんに委ねられているので、その解釈や表現を聴くのが毎回楽しみです。
――ラジオドラマのお仕事はもう長いですよね。
藤田さん:そうですね、声をかけていただいて6年ですね。今のシリーズ(※「ラストメッセージ~天国からの返信~」)は3シーズン目になります。でも継続しているのは、現場がいい感じに結束していることもそうですけど、番組自体を作るプロデューサーさんやディレクターさん、支えてくださるスポンサーさんのお陰です。ほんと、感謝です。
――で、今回はノベライズということで、物語に加筆されていますが、どのような内容を加えたのですか?
藤田さん:確かにノベライズではあるんですけど、もう全体的に「小説」として作り直しました。加筆という言葉を使うと何かを「足す」みたいな感覚ですけどそうではなくて、「よりよく見る」という感じです。「足す」って、足される部分はだいたい不要なものなんですよ。そもそもなくても成立しているわけだから。なので、ちゃんと一から物語を俯瞰して、必要なものを最初から積み上げていく作業をしました。だからラジオドラマと小説は別物です。ラジオドラマを気に入ってもらえない人でも、小説は気に入ってもらえるかもしれない。もちろん逆の可能性もありますけどね。
――なるほど、じゃあラジオドラマを知らなくても、純粋に短篇集として読めるわけですね。小説に選んだ6篇の物語は、たくさんある作品からどのようにしてセレクトされましたか?
藤田さん:最初は8~10篇を書こうと思ったんですけど、書いていくうちに、時間的にもページ数的にもこりゃ無理だと思って、6篇に落ち着きました。セレクトは、まず気に入っている話を並べてみて、そこからとにかく自分が伝えたいこと、書きたいこと、そういうテーマで選びました。いちおう、主人公の男女比だけは合わせて、3対3にしています。
――合コンみたいですね(笑)
藤田さん:バランスをとる、という目的ではその通りですね(笑)年齢は偏っていますけどね。最後に出揃った作品の順番を決めるのがいちばん楽しい作業でした。なんかこう、アルバムの曲順を決めるミュージシャンみたいな気分になれるので。
――ちなみに、今回の6篇はどういう風に順番を決めたんですか?
藤田さん:最初の「光」と最後の「ありがとう」は、はじめからこの位置と決めていました。特に「ありがとう」は他の作品と毛色がちょっと違うので、いちばん最後しかポジションがなくて。2本目の「かなしい怪獣」もすんなり決まって、ひととおり順番を決めた後で、最後に「前夜」と「彼女が眠る夜に」を入れ替えました。
――作品は全体的に「死生観」というか、「死」が大きなテーマになっていると思います。
藤田さん:そうですね。いやがおうにも、そうなってます。
――かといって全篇通してズッシリ重いわけじゃない。むしろ、くすっとなる細かな笑いだったりタッチが軽妙な部分が多く感じられました。
藤田さん:「死」そのものを描いているのかといえばそうではなくて、書きたいのはその前後なんです。ひとりの人間が存在する時間的な流れの中で「死」は確かに終着点ではあるけれど、そのまわりの人たちからすれば、身近な人の死って「通過点」なんですよ、当たり前のことですけど。ただ、かといって当然何も見ないように通り過ぎることはできないし、それぞれに影響を受けたりショックを受けたり、それを機に何かが変わっていく。その過程、なんていうか、「死」そのものを描くのではなくて、「失うこと」を描きたいんです。「受け入れること」と言い換えてもいいかもしれない。だから登場人物の詳しい死因みたいなものはどの話も明確にはしていません。それを書かなくても成り立つ物語を意識しました。もっとぼんやりとした、死生観みたいな伝わり方がいいなと思って。
――“幸せってこんなにかなしい気持ちなのかな”っていうフレーズ、ありましたよね。印象的でした。
藤田さん:人の幸せって、かなしいことの上に成り立っている場合も多くないですか? よく、幸せと不幸せに二極化して考えがちですけど、それって、グラデーションの右側と左側みたいなものだと思うんです。かなしみが幸せを連れてくることもあるし、その逆もあるし。どちらも同じ流れの中にある。そのときどちらの色が濃いかだけの話で。コインの裏表、って表現でもいいです。で、結局、その価値っていうのは未来が決めるんです。人生の中で起こる出来事に正しい言葉を当てはめられるのは、常に未来の自分なんです。さらに言えば、未来さえあれば、「今」を変えられるんです。
――なるほど。あと、“想い続ける限り、人は人を永遠に失わない”と前書きにも帯にも書かれていました。これは作品全体に通じる大きなテーマですよね。
藤田さん:よく言われていることですけど、人の死って2回あって。ひとつはいわゆる普通にいう「死」、肉体の喪失で、もうひとつはその存在を誰からも思い出されなくなったときですよね。誰もその人に「執着」しなくなったとき。今を生きているのは、実際に今のこの世界を生きている人だけだと思われがちですけど、そうじゃない。僕らは亡くなった人のことを想っているし、思い出すし、感じるし、「あの人だったら今何て言うかな?」とか想像する。思い出にすがりついて救われることだってある。そんなふうに人はつながっているんです。生きていなくても、ちゃんとこの世界に影響を与えられるんです。だから人の死が2回あると考えたとき、この本で描いているのは「1回目の死」と「2回目の死」のあいだの物語だともいえると思います。
――物語に登場する人物とか、それらを取り巻く生活環境などは、現実の世界や今までの過去に経験してきたこととシンクロさせてしまう部分はありますか?
藤田さん:今回の本に限っていえば、物語の筋書きに私小説的な部分は一切ないです。設定にしても「これと同じことを経験しています」とか「こういう人を取材したんです」みたいなものはまったくなくて。でも当然、これまでの経験とか、見聞きしたものしか頭の中のストックはないので、自分の知っている世界、近い場所、環境は色濃く反映されていると思います。ちなみに、ハワイが舞台の作品がありますが僕はハワイに行ったことないですし、バーの話がありますがお酒にも全然詳しくないです。登場人物はLINEしてますけど、僕はまだLINEしない派です(笑)。
――え、それはオッケーなんですね(笑)
藤田さん:うーん、わかんない(笑)でもなんていうか、誰でも嘘はつけるけど、つける嘘はその人の人生の中でしか生まれないでしょう? 小説を書くってたぶんそういうことで。ただ、そういったディティールや状況設定はともかく、描くことの核心部は、自分の中から生まれたもの、自分を通り抜けたもの、というのが原則ですし、そこは「事実」ではないけれど、大切にすべき「真実」だと思っています。伝えたいことは、真実。さっき話したこと、みんなそうです。
――作品はどれも世界観というか空気感が統一されている、似ているように感じました。作品を書く上で意識している時代や世代、環境はありますか?
藤田さん:似ているのは、元がそういうシリーズものの話なんで…(笑)。それはもうしょうがない。『水戸黄門』とか『古畑任三郎』を観ているのと同じ感覚で。時代性に関しては、僕はまだ「今」しか書けないです。未来や過去を描くにはもう絶対的に知識が不足していますから。
――読み手に伝えたいこと、こんなふうに感じて欲しいというのはありますか?
藤田さん:いちおうどの作品にも、僕なりに「これ」というポイントというか、重心のようなものがあって、そこにきちんとたどり着くように書いています。でも、「読んでくれた人が何を感じるか」というのは人それぞれですから、「これを感じてくれ」とか「このテーマを理解してくれなきゃ困る」というのは全然ないです。共感できたらいいな、というくらいで。短篇が6本ですけど、そのうち1本だけでも、もっと言えば1行、ワンフレーズだけでもいいんです。どこか気に入ってもらえるといいなと願っています。今じゃなくても。いつか、読み返したときにハッとしてもらえたら嬉しいです。
――どんな読者に読んで欲しい、とかも…。
藤田さん:できればたくさんの方に(笑)。全国の方に。小説があまり読まれない時代ですから、普段小説に興味のない人でも読んでもらえるように、というのは意識しました。正直、文学的ではないです。アカデミックさなんて欠片もない。これが、同世代にだけ分かってほしいとか、コアな人に読んでほしいとかだったら、むしろこの本とは真逆の書き方をしていると思うんです。尖った表現やエッジを意識して。でもこれはたくさんの人に読んでほしいし、そもそもたくさんの人に感じてもらえるテーマだと思うんです。だから、わかりやすく、普遍的なことを物語として成立させたつもりです。一部の人たちからは、鼻で笑われる、みたいなこともあるかもしれないですけど、まあそれでいいや、と。普段小説を読まない人にも読んでもらえれば。同世代にも年配の方にも、あと、できたら若い人にも。
――音楽でいえば「純ロック」よりも「ポップス」だと。
藤田さん:あ、そうですね。まったくその通りです。
――ところで、今回の本はデザインの面でもこだわったみたいですね。
藤田さん:カバーの紙の手触りとか、佇まいみたいなものは時間がかかりました。あと、僕は本を読むとき必ずカバーを外して読むんですけど、そのときに外出先で「あいつ、○○読んでる」って他人に思われるのが嫌なんですね。恥ずかしい。「あの人○○が好きなんだー、へー」みたいなのが。だからカバーを外すと何読んでるのかパッと見でわからないようにしたり、あと作品ごとの区切りが一目瞭然になるように扉ページをカラーにしたり、細かな部分で、愛情たっぷりに面倒なことをしました(笑)
――あと、作品がひとつ終わるごとに、ページをめくったとき出てくる挿絵も。
藤田さん:マンガでよくありますよね。ああいうの、やってみたくて。大好きなデザイナーさんにイラストを描いていただいて、文字は僕が手書きしました。気に入ってくれる人が多くて嬉しいです。くせになりそう(笑)
――手触りやデザイン、細かな工夫は実際に本を手にとって実感できるわけですね。最後に、今後の活動の予定を教えて下さい。
藤田さん:「書く」という行為を続けることはこの先も変わりなくて。でも環境は少しずつ変わっていくのかなと思いますし、時間をかけてよりよいものに変えていきたいです。「作品」が常に仕事や生活の中心にあるように。あとはもう、本当に素直に書いていくだけです。願わくば、自分の作品に共感してくれる人、作品を大切にしてくれる人と出会えたら嬉しいなと思いますし、とりえあえずこの本が物書きとしてのひとつのターニングポイントになったらいいなとも思っています。
藤田雅史『ラストメッセージ』
2019年6月15日発売|BSN|1,400円+税
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