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ローストビーフ丼の店日本一を目指す「おだいどころ さくたろう」の挑戦。

新発田に「おだいどころ さくたろう」というお店がオープンしました。こちらの店主・廣岡さんは、お弁当屋さんで働いていたときに「お弁当・お惣菜大賞」で3年連続、最優秀賞を受賞した実績の持ち主。そのとき受賞した「ローストビーフ丼」を引っさげてオープンしたのは、とても志の高いお店でした。

 

 

おだいどころ さくたろう

廣岡 信太郎 Shintaro Hirooka

1986年新発田市生まれ。地元のドライブインで修業したのち、家業の「有限会社北弁(ほくべん)」で働く。「お弁当・お惣菜大賞2020」で「さくたろう元祖ローストビーフ弁当」が最優秀賞を獲得したのをはじめ、3年にわたり最優秀賞を受賞し続ける。2023年に独立して新発田市で「おだいどころ さくたろう」をオープン。家族と一緒にいる時間が何よりも大切。

 

自分を認めてもらうために挑戦したコンテスト。

——廣岡さんはいつから料理のお仕事をされているんですか?

廣岡さん:僕の家は新発田で「北弁」という弁当店を営んでいるんです。だから親の勧めもあって料理の仕事をすることになりました。父からは「寮に入ってホテルの仕事をするか、地元のドライブインで働くか」という二択しか与えられなかったので、地元のドライブインで働く方を選びました。寮に入るとプライベートがなくなりそうで嫌だったからです。

 

——ドライブインでの仕事はいかがでした?

廣岡さん:皿洗いくらいしかやっていませんでしたけど、朝から晩まで忙しかったですね。やるからには何でもいちばんになりたいと思うタイプなので「皿洗いで日本一になってやろう」とビショビショになりながら皿を洗い続けました。そのおかげでパートのおばちゃんたちにはとても可愛がってもらいましたね(笑)

 

——修業を終えてからは、ご実家の「北弁」で働きはじめたんですか。

廣岡さん:はい、家業なので甘く見ていたんですけど、ドライブインより厳しかったです(笑)。父から罵声を浴びせられながら仕事をする日々で、メンタルがズタズタになりました。他人に叱られるよりもキツかったですね。どうしたら家から逃げられるかばかり考えていましたけど、逃げ出すためのお金もなかったんですよ。今になってみると、叱っている父も辛かったのかもしれないですね。

 

——よく料理の仕事を続けてきましたね。

廣岡さん:途中で我慢できなくなって泣きながら「辞めたい」と訴えたら、病院のなかに新しくできるレストランを任せてもらえることになったんです。親から離れて自分の意思で料理を作れたことで、はじめて料理の面白さを知ることができました。気になるお店を食べ歩いたり、興味のあることは本を読んで調べたりしましたね。

 

 

——環境を変えたことで料理の面白さに気づけたんですね。

廣岡さん:料理への興味が出てくると、だんだん自分の作ったものをお客様に食べてほしいと思うようになったんです。レストランのメニューはラーメンやカツ丼だから、自分が勉強した和食やうま味の相乗効果を生かすことができないわけですよ。「北弁」では新発田市役所内のコンビニに弁当を納めていたので、その弁当を勝手に作って置きはじめました。

 

——強引な手段に出ましたね。お弁当の反響はどうだったんですか?

廣岡さん:5個作った弁当がまったく売れない日が長く続きましたね……。持ち帰ると親に叱られるから、自分で食べたり友人に配ったりしていたんです(笑)。でも、自分では美味しいはずだと信じていたので作り続けているうちに、少しずつ売れはじめて弁当を納める数も増えていきました。そのうちに地元テレビ局の番組でも紹介されることになって人気商品になったんです。

 

——すごいじゃないですか。じゃあお父さんも認めてくれたんですね。

廣岡さん:ところが「お前はいったい何がやりたいんだ」と言って認めてはもらえなかったので、喧嘩になっちゃったんですよ。どうしたら自分の力を認めてもらえるのか考えて、コンテストで賞を取れば認めないわけにはいかないだろうと思ったんです。そこで早速調べてみると、「お弁当・お惣菜大賞」というコンテストがあることを知ったので「ローストビーフ弁当」を応募してみたら、丼部門の最優秀賞を受賞したという連絡が舞い込んできたんです。

 

 

——ついに実力が証明されたわけですね。

廣岡さん:自信はあったんですけど、あんまりあっさり受賞できたので、たいしたレベルのコンテストじゃなかったんだろうと思いました。授賞式の会場も「朱鷺メッセ」と聞いていたので新潟の地方大会だったのかと思っていたら、僕の聞き間違いで「幕張メッセ」が授賞式の会場だったんです。全国ネットのテレビ局からも取材が相次いで、ようやくだんだんと賞の重みを実感するようになっていきました。

 

——全国的なコンテストだったということは、実質日本一ということじゃないですか。

廣岡さん:賞を取ったことが自信につながって、今度は「北弁」から独立したい気持ちが強くなっていったんですけど、親は「北弁」を継いでほしいわけです。毎年コンテストに挑戦して、3年連続で最優秀賞に輝き4冠を達成させていただきました。そのことでますます独立しにくくなっていったんです。

 

——あらら……。

廣岡さん:そこで思い切って独立に向けた行動を起こしました。さすがにそこまでの覚悟を見せたことで、父も折れてくれたんです。

 

ローストビーフ丼で、ミシュランガイドに載る店を目指す。

——独立が決まってからは、すんなりオープンすることができたんでしょうか。

廣岡さん:ところが自分で飲食店を経営した実績がないので、銀行から希望する金額の融資を受けることができなかったんです。最初は惣菜店をやろうと思っていたんですけど、資金不足で必要な設備が揃えられなかったので、できたての料理を食べていただけるイートインのお店に変更しました。

 

——資金がなかったという割に、店内は綺麗に改装されていますよね。

廣岡さん:ありがとうございます。最初はとてもひどい状態だったので、綺麗に掃除したり補修したりするのが大変だったんです。でも友人に協力してもらいながら、できることは自分たちでやってここまで改装しました。

 

 

——こちらのお店では、どんな料理が食べられるんでしょうか。

廣岡さん:やるからにはいちばんを目指したいので、日本一のローストビーフ丼を作りたいと思っています。そのためにも、うま味の相乗効果をしっかりと計算して、お吸い物や小鉢も含めて御膳すべてを食べることでうま味が完結するようにしてあるんです。

 

 

——「日本一の皿洗い」から「日本一のローストビーフ丼」に目標が変わったんですね。

廣岡さん:目標といえば「ローストビーフ丼のカテゴリーで、ミシュランガイドに日本ではじめて選ばれる店」になりたいんです。スタッフのみんなにもその目標を共有しているので、全員一丸となっていい店にしようと真剣に取り組んでいます。

 

——具体的な目標を持つことで、お店も成長するんでしょうね。ところで、店名の「さくたろう」って誰の名前なんですか?

廣岡さん:僕の先祖に広岡作太郎(ひろおかさくたろう)という人物がいるんです。江戸時代の嘉永年間に新発田藩・溝口家のお抱え料理人だった人で、「近代日本料理の祖」と呼ばれることになる渋谷利喜太郎(しぶやりきたろう)もその人の下で修業していました。そんな偉大な料理人の名前を店名に使わせていただき、その名に恥じないよう「じっちゃんの名にかけて」精進しています。

 

——どっかで聞いたようなセリフですが……(笑)

廣岡さん:僕はいろいろなお店で修業をしてきたわけではないので、料理の腕はないと思っています。でも美味しいものを作りたいという気持ちでは誰にも負けないつもりです。その気持ちが料理を美味しくすると信じていますので、これからも気持ちを込めて料理を作っていきたいですね。

 

 

 

おだいどころ さくたろう

新発田市大手町1-1-9

0254-20-8686

11:00-15:00

日月曜休

※掲載から期間が空いた店舗は移転、閉店している場合があります。ご了承ください。
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