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[Things Music]新潟の顔を目指す「DJ YAGI」。

新潟で活動するミュージシャンを紹介する[Things Music]。今回は、万代シテイにあるクラブ「NEXS NIIGATA(ネックスニイガタ)」でレジデントDJ、サウンドプロデューサーを務め、SUMMER SONICの出演や有名アーティストとの共演、アルビレックス新潟公式サポーターソングの制作など、多岐にわたる活躍をしている「DJ YAGI」の登場です。これまでのクラブシーン、これからの音楽活動についてなど、いろいろとお話を聞いてきました。

 

DJ YAGI

1978年新潟市生まれ。NEXS NIIGATAレジデンスDJ、サウンドプロデューサー。FM・NIIGATAパーソナリティー。サイケデリックトランスシーンで不動の人気を誇るASTRIX、GMSなど、人気アーティストとの共演多数。2020年、アルビレックス新潟公式サポーターソング「Champion」をリリース。

 

新潟の顔になる。そう描いた「DJ YAGI」の未来図。

――DJをはじめる前、まだクラブで遊んでいた頃は、どんな感じだったんですか?

DJ YAGI:バブルが崩壊して間もない頃は新潟はまだまだ活気があって、今でこそ減ってしまいましたけど、クラブもあちらこちらにありました。僕の遊び場は主に古町のクラブで、街に繰り出してはファッションや音楽を拾いながら、その場にいる大人たちとつながりを作ることに熱中していたんです。カルチャーに触れたくて仕方なかったんでしょうね。だから、はじめはクラブに通っていても、DJに興味はなかったんですよ。

 

――音楽よりも人だったんですね。では、どうしてDJをすることに?

DJ YAGI:クラブで開催されているパーティーでは、職業や年代、ジャンルに関係なく、いろんな人たちに出会えます。その空間がめちゃくちゃ好きだったし、作り上げている人たちを尊敬していました。その空間で遊んでいるうちに、「こんなパーティーを開催したい」「影響力のある人になりたい」「新潟の顔になりたい」と思うようになったんです。それで、友人と一緒に自分たちが憧れていたパーティーを目指して、イベントを主催するようになりました。

 

 

――ふむふむ。

DJ YAGI:スタートの頃は、いろんな人たちが集まってくれて、とにかく熱いパーティーが開けていればよかったけど、徐々にイベントの主体として音楽にウエイトを置くようになっていって、新潟では珍しいサイケデリックトランスのイベントにシフトしていきました。当時、サイケデリックトランスをメインとしたDJが新潟にいなくて、わざわざ東京からゲストDJを呼んでいたんですけど……彼らのギャラって高いんですよ。交通費や宿泊費もかかるし(笑)。それで、僕がDJをするキッカケとなるミーティングが開かれたんです。

 

――キッカケとなるミーティング? いったいどんなお話が?

DJ YAGI:いや、単純な話で、東京からゲストDJを呼ぶとお金がかかるから、「どうやって経費を削減するか」です。

 

――ということは、もしかして……。

DJ YAGI:ご想像の通り、経費削減のために僕がDJをすることになったんです。ほぼ勢いですけどね(笑)。それで、ミーティングが終わってから楽器屋さんに行って、すぐにターンテーブルなどのDJ機材を揃えて……。このときにDJ YAGIが誕生したんです(笑)

 

佐渡のレイブに初参戦。サイケデリックトランスに魅了されて。

――ヒップホップやレゲエ、ハウス、テクノ……いろいろなジャンルがあると思います。どうしてサイケデリックトランスからDJ人生をスタートしたんですか?

DJ YAGI:自分たちでサイケデリックトランスのイベントを開催していたのもあるけど、根本的にサイケデリックトランスが好きだったんですよね。だから一択でした。

 

――ちなみに、サイケデリックトランスとの出会いは?

DJ YAGI:昔、佐渡で「ANOYO」というレイブが開催されていました。ネーミングがぶっ飛んでいますよね(笑)。外国人もたくさん訪れるディープなレイブでね、そこに初めて行ったときに、サイケデリックトランスの素晴らしさに衝撃を受けたんです。「この音楽をもっと流行らせたい」という気持ちもどこかに生まれたんでしょうね。

 

 

――へー、佐渡でそんなレイブが開催されていたんですね。初めて知りました。DJとしてのキャリアをスタートしてからは、順調だったんですか?

DJ YAGI:もちろんギャラが発生しない仕事からのスタートでしたけど、東京のイベントに呼んでもらったり、地方のクラブにゲストで出演したり、最終的にはSUMMER SONICに出演したり、アメリカの人気DJであるMarshmello(マシュメロ)をはじめとする大物DJたちと共演することもできましたね。あと、サイケデリックトランスの本場イスラエルのレーベル「ENIGMATIC SOUND」から声をかけてもらって、「OLYMPIC SOUND」というCDもリリースさせてもらいました。

 

――予算削減からDJ人生がスタートしたのに……めちゃくちゃ順調というか、むしろDJとして大成功しているじゃないですか。サイケデリックトランスでイスラエルのレーベル……サッカーでいうとこのブラジルじゃないですか。ん~「すごい」の一言です(笑)

 

DJ YAGI:でも、本場のレーベルから声をかけてもらったからといって、単純に喜んでいたわけでもないですよ。レーベルトップのHOLYMENをはじめ、大御所しか所属していないレーベルだったから、「俺なんかがこのレーベルに所属していいのか?」って、自問自答を繰り返していましたよ。それに、この話は新型コロナウイルスの暗黒時代が到来するまでの話ですから……。

 

今やれること。新潟のために何ができるのか。

――暗黒時代……。

DJ YAGI:全国に緊急事態宣言が発令されて以来、クラブは壊滅的な状況で。DJとしての仕事はほとんどなくなって、サウンドプロデューサーとして所属している「NEXS NIIGATA」では、どんなゲストを呼ぶか、どんな音楽を流していくかというミーティングを行うよりも、まずは感染症対策の話ばかり。EDMが流行りはじめて、自分が今までやってきた音楽シーンからやっと駆け上がることができたのに……、一気に仕事がなくなりましたね。

 

――音楽業界へのダメージは、よく報道されていますもんね。仕事がない期間は、どんな活動をされていたんですか?

DJ YAGI:正直、活動をしたくても何もできませんでしたね……。

 

――そうですか……。

DJ YAGI:でも、「このままではダメだ。何かしないと」って考えはじめていた時期に、たまたまアルビレックス新潟の社長とインスタライブで共演する機会がありました。それで、大好きな新潟、大好きなアルビレックス新潟のために曲を作って聴いてもらったんです。

 

 

――もしかして、インスタライブで流したんですか? チャレンジャーですね(笑)

DJ YAGI:それが……思った以上に良いリアクションで。「これをサポーターソングとして、実現しましょう」って言ってもらえたんです。そして、本当にアルビレックス新潟の公式サポーターソング「Champion」としてCDをリリースすることができたんです。

 

――新潟への情熱が通じ合ったんですね。でも、CDをリリースするにしても、作詞はどうされたんですか?

DJ YAGI:さすがに作詞は無理ですよ(笑)。当時、無観客で試合をしていたからこそ、しっかりとサポーターの気持ちを曲に乗せたいと思って、リリックはすべてサポーターから募集して、そこから「Champion」を歌っているシンガーのiamSHUMと一緒に言葉を拾って作り上げました。だからこの曲は、サポーターと、新潟人と一緒に共創した応援ソングなんです。

 

――イベントが開催できなかったとしても、アーティストとして楽曲は届けられる。それに、暗黒時代だからといって、立ち止まってはいられないって姿の現れですね。

DJ YAGI:はい。新型コロナウイルスが広まって、新しくなった生活様式は数えきれないほどあるし、僕みたいに仕事で影響を受けている人も多いと思います。そんな状況で誕生したこの応援ソングは、ピッチで戦っているアルビの選手を激励するためだけじゃなくて、新潟で頑張っている人たちにも向けているんです。だから、「Champion」を聴いてもらって、ちょっとでも新潟が元気になってくれたら嬉しいですね。自分の曲に対してこんなことを言うのも恥ずかしいけれど……僕自身がこの曲で救われましたから。

 

 

 

DJ YAGI

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