キューピットバレイスキー場や温泉などがあり、柳葉ひまわりの花畑や雪を利用したキャンドルロードイベントなど、四季折々の楽しみ方ができる上越市安塚区。しかし同時に、高齢化によるさまざまな課題を抱える地域でもあります。その中で地域の声を拾い、集落の手助けになるよう活動に取り組んでいるのが、集落づくり推進員の藤田美登利さんです。藤田さんが集落づくり推進員になった経緯や、取り組みについてお話を聞いてきました。
藤田 美登利 Midori Fujita
1960年上越市生まれ。地元である高田で農協職員として働いたあと、旦那さんの転勤で横浜へ引っ越す。再び上越へ戻り新潟県上越地域振興局で13年ほど働く。2011年に集落づくり推進員として採用され安塚区の担当になる。趣味は友人と食べ歩きすること。冬にはスキーも楽しむ。
——藤田さんはいつから集落づくり推進員に?
藤田さん:上越市が集落支援員制度を活用し集落づくり推進員を本格導入した平成23年に受験して、採用していただきました。それで安塚区の担当となり、今年で12年になりましたね。
——どんなきっかけで応募されたんでしょうか。
藤田さん:新潟県上越地域振興局で13年ほど働いていて、最後の5年間は企画振興部というところで局長の秘書をやっていました。その秘書の仕事には任期があって退職をしたのですが、その後仕事を探しているときに「集落づくり推進員という仕事があるらしい」と知ったんです。地域振興局の企画振興部に地域振興課があったので「地域づくり」っていうぼんやりしたイメージのまま採用試験を受けました(笑)
——お仕事柄、地域のことには興味があったんですね。
藤田さん:農協で働いていたこともあるので、それまでも農家の方とお話しする機会はあったし、人と会って話をするっていうことに対して抵抗がなかったので、そういうところで興味というか親近感はありましたね。
——採用されてからはどういうふうに活動をはじめていったんですか?
藤田さん:まずはこういう仕事があるっていうことを地域の人たちに知ってもらわなければいけないので、担当集落の家を全戸訪問することにしたんです。「こんにちは~。こういう活動をしています」って。
——なかなか根気のいることですよね……。
藤田さん:訪問を続ける中で住民の方たちとのお話から得たことは土台になりましたし、そのときにある程度面識ができたことで、お話しできる関係を築くことができました。それから徐々に自分のするべき活動が見えてきて、住民への聞き取りを軸にしながら「町内会単位でサポートする」というやり方にシフトしていきました。
——今お邪魔しているこちらは、安塚区の「伏野」という地域なんですよね。
藤田さん:伏野では「伏野そば祭り」という地域の人たちが作ったそばを振る舞う、長年続いてきた人気のイベントがあって、今現在も一生懸命取り組んでいます。伏野は安塚区の中でも高齢化率が高い地域なので、色々と本当によく通いました。
——伏野ではどんな活動をされてこられたんでしょうか。
藤田さん:10年以上前に初めてそば祭りに参加したとき、厨房担当のおかあさんたちが「階段の上り下りが大変」とか「イベントが終わると寝込む」と言っていたんです。そこで「ボランティアを入れませんか」と提案をしました。
——地域の人たちだけでやるのには限界があると感じたんですね。
藤田さん:そうなんです。ですが、ボランティアとは言ってみたものの、まったくあてもなくどうしようかと思って(笑)。姪と娘に相談したら、大学時代の友達を誘って来てくれたんですよ。それから数年間は身内からボランティアを集めてやっていました。
——伏野の人たちにとって藤田さんの存在は頼もしかったでしょうね。
藤田さん:それを市の政策につなげようと「中山間地域は人手がないことがいちばんのネックだから、市がボランティアを見つけてあげられるような取り組みができないか」と提案をしました。他の推進員からも人手不足の課題提起があり、その結果、2015年に「中山間地域支え隊」という制度ができました。
——それはどんな制度なんですか?
藤田さん:イベントの手伝いやイノシシ対策の電気柵の設置、草刈りなど、「地域の取り組みのために人手が欲しい」というものに対して上越市に登録していただいた協力企業にボランティアの募集をかける、というものです。そば祭りでは、2015年に初めて正式にボランティアを募りました。継続的に来てくれている企業の方もいて、今年度もすごくたくさんの方が手伝いに来てくれました。
——それは地域の人たちもさぞ喜んだんじゃないですか?
藤田さん:そば祭りでは天ぷらを出すんですけど、担当のおかあさんたちが「立っていられないし、天ぷらを揚げるのが大変」と言っていたところ、上越市職員労働組合の「地域助っ人隊」のメンバーで、普段は保育園で給食を作っている人たちがボランティアとして来てくれたんです。おかあさんたちが「いい人たちを見つけて来たね」って手を叩いて喜んでいましたね(笑)
——調理のプロですもんね(笑)
藤田さん:コロナ禍になってからは、そばの持ち帰りイベントを2年間実施しました。今年度は3年ぶりに対面で開催とし、ボランティアを入れて実施しました。また今年度は6月~12月に月1回「そばの学校」というものも実施しました。イベントを盛り上げるだけではなく、地域の宝というか、食文化は大切に残したいなと思っています。
——他にも藤田さんが取り組んでいるイベントがあれば教えてください。
藤田さん:「朴の木」という集落で続けている取組があります。朴の木ってすごく奥まった場所にある地域で、そこに市の直営宿泊施設があったんですが、当時、いずれ施設が廃止になることを知った集落の皆さんに「集落に誰も来なくなったら寂しいし、せめてここで育った息子さんや娘さん、お孫さんたちに『おじいちゃんたちは頑張っているぞ』って胸を張れる地域であって欲しい」っていう話をしたんですね。
——息子さんや娘さん、お孫さんたちにはずっと地元を好きでいて欲しいですよね。
藤田さん:集落内の荒れたところを整地して、そこに花の種をまくくらいのことをイメージしていました。そのときに、役員のおふたりの方が「じゃあ花畑を作るか」って言ったその場所は、集落の奥にある、すごく広い棚田でした。離農や離村で休耕田になってしまった田んぼに、安塚区の花である「柳葉ひまわり」を植えて、イベントをやりたいということでした。
——どんどん話が進んでいったんですね(笑)
藤田さん:イベントといっても高齢者ばかりの集落なので、小さい花畑にテントをひとつ立てて、そこで花を眺めて終わりかなと思っていたんですけど、年々規模が大きくなっていきました(笑)。朴の木の棚田は景色がとってもいいので「天空のお花畑」と名付けて、イベントの日には「棚田カフェ」としてお茶を出すことにしたんです。それから縁があって、小学校や中学校も活動に関わってくれるようになりました。「NPO雪のふるさと安塚」では毎年10月に、柳葉ひまわりの見どころを回る「黄金の回廊」というイベントをやっていますが、朴の木の花畑もそのひとつとして知名度が上がってきて、最近は「Instagramで見ました」という方が大勢来ていただいています。
——イベントの企画以外にもいろいろなお仕事をされているんですよね。
藤田さん:安塚独自のこととしては保健師と連携した仕事もしていて、ふたりで地域へ出かけて健康講座をしています。前回この集落は血圧の勉強をしたから、今回は血流の勉強をしようかっていう計画を立てるんです。保健師は健康の話をして、人を集めるのは私の仕事。そのときに他の集落での取組をお話ししたり、その他情報をお伝えしています。
——地域のことをよく知る藤田さんだからこそ、地域に呼びかけて人を集められるんですね。
藤田さん:他にも集落の助け合いのために消防署の方と相談して完成させた、緊急時に地域で助け合うために家族の連絡先を記入しておく用紙の導入を提案しています。それはある集落から相談を受けてできたものなんです。そういう、地域の皆さんの声をかたちにして、住民の皆さんが話し合い、助け合っていけるような地域にするためのお手伝いが私の仕事ですね。
——藤田さんが地域のために一生懸命になれる理由って何なんでしょうか。
藤田さん:何なんですかね(笑)。ただ地域の方が一生懸命なので、私がそれを支えなきゃっていうところですよね。冬期間の防災マップも地域の皆さんと作りました。もしこの地域の人たちの具合が悪くなったとして、救急車が奥の集落に来るまで30分くらいかかるし、市街地の大きな病院に行くまで更に50分くらいかかってしまうんです。だから健康でいることが大切で、地域の人たちが安心して過ごせて、共助ができて、人も訪ねて来てくれる楽しみがある地域にしたいんですよね。
——イベントを企画されているのも、根底にその気持ちがあるんですね。これからはどんなことに取り組む予定が?
藤田さん:ある高齢化がかなり進んでいる集落から「村じまいってどうするの?」と聞かれています。だけど私は寂しい村じまいじゃなくて、前向きで人が集えるような、寂しくない村じまいになるようにお手伝いしたいと考えている最中です。