にいがた人情横丁にある支那そばの老舗「信吉屋」。
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2020.07.21
名物夫婦がやっている「新潟あっさりラーメン」の店。
新潟5大ラーメンの中のひとつ「新潟あっさりラーメン」。その老舗人気店が新潟市本町の「人情横丁」にあります。真面目に淡々とラーメンを作る旦那さんと、元気で気持ちいい接客の奥さんの名物夫婦で営む「信吉屋」です。支那そばはもちろん、夏の定番・冷やし中華も大人気。今回はお二人にその人気の秘密を聞いてみました。


信吉屋
土田 洋生 Hiroo Tsuchida
1945年五泉市(旧村松町)生まれ。高校卒業後、福島の中華料理店で3年間修行したのをきっかけに、その後も東京で17年間にわたり7軒の中華料理店で修行を重ねる。結婚を機に新潟に戻り、実家の食堂を手伝っていたが、閉店を機に昭和61年頃「信吉屋」をオープンする。酒とタバコを愛するお父さん。
信吉屋
土田 文江 Fumie Tsuchida
1952年新潟市中央区生まれ。東京で幼稚園の教諭をやっていた頃に洋生さんと知り合い結婚。しばらく育児に専念していたが、子どもが手を離れたのを機に平成10年頃から「信吉屋」を手伝い始める。元気で親しみやすい接客にファンも多数。食べることが好きで「花より団子」派。
中華料理店のコックと幼稚園の先生が東京で出会い結婚。
——今日はよろしくお願いします。旦那さんはどこかでラーメン作りを教わったんですか?
洋生さん:俺かね? 俺の両親は小さい食堂をやってたすけ、俺もそれを見て育ったんさね。それで高校卒業してから福島県の中華料理店で見習い修行したんですわね。当時の見習い修行は3年間って期間が決まってて、3年経ったら独立するか、他の店に移るか決めなきゃなんねかったんさ。俺もまだ若かったすけ東京に出て17年間あちこち渡り歩いて修行させてもらったんですて。
——17年間も東京にいたんですね。渡り歩いたって…何軒くらいの店で修行したんですか?
洋生さん:たしか7軒だったな。その時の経験が本当に役に立ったと思ってますねぇ。
——新潟に帰ってきたのはどうしてなんですか?
文江さん:私はその頃東京で幼稚園の先生してたの。その時に旦那と知り合って結婚したのをきっかけに、旦那の実家に帰ってきたのよ。私が幼稚園の先生なんてやってたから優しい人だと思って結婚したんだろうけど、ところがどっこいだったね(笑)。私と旦那の親がたまたま知り合いだったんだけど、でもその時はお互いにそんなことはまったく知らなかったの(笑)
——そんな二人が東京で出会ったことに運命を感じますね!新潟に帰ってからはどうしたんですか?
洋生さん:両親と一緒に食堂をやったんだけど、両親も年をとってきたから店を閉めたんだわね。それで昔からの夢だったラーメンの専門店をやってみたくて、昭和61年に今の場所で「信吉屋」を開店したんですて。
文江さん:それまで「ラーメン屋が夢だ」なんてひとことも言ってなかったのに、いきなりそんなこと言い出したからびっくりしたわ(笑)

最初はお客がつかず、出前で広がったお店の人気。
——それで最初の質問に戻りますけど、ラーメン作りはどこで教わったんですか?
洋生さん:中華料理店での修行を元に自分で作り上げたね。私の父親も料理を教えてくれることはなかったからねぇ。
文江さん:私もびっくりしたけど、本当に何にも教えてくれないの。旦那がラーメン店を始めた時も、その味について一切口出しすることもなかったし。味は人に教わるもんじゃないっていう、昔の料理人の考え方なんだろうね。
——なるほど。じゃあ一から作り上げた味なんですね。奥さんは最初から手伝ってたんですか?
文江さん:私は子育てに専念してたっけねぇ。手伝い始めたのは下の子が小学5年生になった平成10年から。そのタイミングでお店も広げたの。それまでは今の半分しかなくて4〜5人くらいしか席がなかったんだけど、隣にあった乾物屋さんが空いたから広げることにしたんだわ。
——「信吉屋」を始めてみてどうでしたか?
洋生さん:最初はお客さんが来なくてねぇ。毎日店が終わってから1〜2時間くらい清掃夫のアルバイトをしてたわね。
文江さん:あれ2年くらいやってたろっかね?よく続いたよね。
——最初は大変だったんですねぇ…。どうしてお客がつき始めたんですか?
洋生さん:当時は父親が出前をやってくれてたんですわね。それで少しずつ「信吉屋」のことを知ってくれる人が増えて、お客さんも来てくれるようになったんですてば。

支那そばと冷やし中華。人気の秘密とは。
——支那そばの味って最初から変わってないんですか?
洋生さん:ずっとおんなじ。とんこつと煮干し、昆布で出汁をとったスープに、カツオでとったタレを加えて作ってるね。タレに使ってる薄口醤油はさらに薄めて使うから、うちの支那そばは醤油味と塩味の中間なんですわね。
文江さん:スープを煮込む時にとんこつの灰汁を取るでしょ? 前に一度スープを作ってる最中に旦那の具合が悪くなって、私が途中から引き継いだことがあったんだけど、全然ダメで諦めたことがあったのよ。火加減と灰汁取りのタイミングが大事なんだけど、あれは感覚で覚えるもんなのよね。

——「信吉屋」さんは冷やし中華も人気がありますよね。いつ頃から始めたんですか?
文江さん:いつだったっけ?最初からあったよね?
洋生さん:うん。開店した年の夏からやってたな。
——夏期限定ですよね?毎年いつからやってるんでしたっけ?
洋生さん:5月第2週から9月10日頃まで。うちは終わるのが早いからお客さんから「もう終わったんけ?」って怒られることもあるんさ。
——酸味控えめで人気ありますもんね。冷やし中華はどんなふうに作ってるんですか?
洋生さん:うちの冷やし中華はダシの味を利かしてるすけねぇ。濃口の醤油を煮干し、昆布、カツオのダシで薄めて、そこに生姜の絞り汁を入れてるんさ。
文江さん:生姜は毎回私が擦って絞り汁を作ってるんだけど、既製品使えば楽じゃんと思って旦那に言ったことがあんのよ。そしたら既製品と擦りたての生姜じゃ風味が全然違うって言われたの。そこはこだわりがあるみたい。
——そのこだわりが人気につながってるんですよね。酸味が控えめになっている代わりに、レモン汁を絞って食べるのもいいですよね。
洋生さん:酸味はお好みでレモン絞って足してもらってるんですて。
文江さん:うちは辛子も多目についてるんだけど、洋辛子の一番辛いのだから全部使うと大変なことになるんだよね。「気をつけてね」って言うんだけど、全部入れちゃう人も多いんだよね(笑)
——それ、私です…。

二人それぞれの、うれしい出来事と今後の夢。
——長い間お店をやってきて、うれしいのってどんな時ですか?
洋生さん:それはやっぱりお客さんから「美味しかった」って言ってもらえた時だろうね。
文江さん:旦那が「美味しい」って聞いた時は、家じゃ絶対に見せないような笑顔だっけね(笑)。よっぽどうれしいんだと思うよ。私がうれしいのは県外で暮らしてる人が、新潟に里帰りするたびに食べに来てくれること。あと、恋愛中によく来てくれてたカップルが結婚してからも来てくれたり、親に連れられて来てた子どもが立派な銀行員になって来てくれた時もうれしい。この間は東京で暮らしているお客さんが、新型ウィルス感染症を心配してマスクを送ってくれたの。もう涙が出るほどうれしかったて。
——今後の夢ってありますか?
文江さん:私はお店辞めてぼーっとしてたい(笑)
洋生さん:俺はずっとラーメン作っていたいね。

「信吉屋」さんの取材を通して、正反対の性格のようでしっかり噛み合っている夫婦の呼吸を感じました。この夫婦の醸し出す雰囲気が、支那そばや冷やし中華の味をさらに美味しくする調味料になってるのかなって思います。これからもお二人仲良く、みんなに愛されているお店を続けてくださいね。
信吉屋
〒951-8067 新潟県新潟市中央区東堀前通6番町423-7 本町中央市場内
025-228-3436
11:00-14:00(麺がなくなり次第終了)
水・木曜休
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