New Eyes Niigata #10 立川アンナ

New Eyes Niigata

2026.07.25

目に映るもの、出会う人、そして日々の生活……海外から新潟にやってきた人たちは、今、この街でどんなことを思い、感じているのでしょう。新シリーズ『New Eyes Niigata』では、海外出身の皆さんが歩んできたこれまでの人生の物語を振り返りながら、彼らが「新潟」という新しい環境で見つけた、小さな発見や気づきをお伝えしていきます。

 

第10回目は、ブラジル北部の都市・ベレン出身のアンナさんです。1989年に来日し、現在は新潟で暮らしながら映画制作などの活動を行っています。文化や環境が異なる日本へ、どのような経緯で移住したのでしょうか。来日した当時のエピソードから新潟での生活、そして現在の創作活動に至るまでの歩みをうかがってきました。

 

 

企画/プロデュース・北澤凌|Ryo Kitazawa
イラスト・桐生桃子|Momoko Kiryu

 

知っている日本語は「やおや」だけ。ブラジルから新潟へ。

――まずは、アンナさんのご出身であるブラジルの「ベレン」について教えてください。どんな場所なんですか?

アンナさん:ブラジル北部にある都会です。独特の食べ物が多くて、エビや「ジャンブー」という山椒のような野菜が入った「タカカ」というスープが有名ですね。ほかにも、「マンジョカ」という猛毒の植物を7日間煮込んで作る料理なんかもあります。美味しいものがたくさんある場所ですが、治安はあまり良くなくて、家には鉄格子があるのが普通でしたね。

 

――そこから、どういうきっかけで日本へやってきたんでしょうか。

アンナさん:ブラジルへ移住していた主人と結婚したご縁ですね。子供が生まれたタイミングで、日本の両親に「孫の顔を見せよう」ということになり、1989年に日本へ行くことになったんです。当時、周りからは「お前は絶対に一週間ももたないで帰ってくる」と言われていたんですけど、むしろ逆で。「私、日本にいたい!」ってすっかり気に入っちゃって。

 

――まったく知らない土地への移住に、不安はなかったんですか?

アンナさん:それが、まったくなかったんですよ。ブラジル人って「問題が起きてから解決する」というスタンスだから、そもそも先のことを深く考えないんです。当時の私が知っていた日本語なんて「やおや」くらいでしたし(笑)、親への連絡も手紙か、1分300円もする電話を年に2回かけるという状況でした。でも、言葉や距離の壁よりも好奇心が勝って、毎日が本当に楽しかったんです。

 

――来日してからの生活はいかがでしたか?

アンナさん:最初は阿賀野市に住みました。右も左も分からない状態でしたが、主人の弟の奥さんが第二の母親のように、スーパーでの買い物から日本料理の作り方、銀行の開設の仕方を優しく教えてくれて。本当に助かりました。

 

――当時の阿賀野市での思い出はありますか?

アンナさん:当時はまだ外国人が珍しかったからか、市役所へ何かの手続きに行った際に、当時の村長さんが「オーストラリアで買ってきたんだけど、よかったらどうぞ」ってブローチをくださったんです。そのときは何がなんだか分からなかったんですけど、なんとなく可愛くて嬉しかったので、今でも大切なお守りとして持っています。

 

 

――周りのサポートもあって、日本の生活に馴染んでいったんですね。

アンナさん:みんなからは「言葉が通じなくて大変だったね」と言われますが、私は昔から勉強が大好きなので、新しいことを覚えるのが本当に楽しかったんです。疑問に思ったことは、誰でもいいからつかまえて「これってどういう意味?」って質問ばかりしていました。周りからすると、すごくうるさかったと思います(笑)

 

――新潟で暮らす中で、この土地の魅力はどんなところに感じていますか?

アンナさん:いちばんは自然ですね。山も海もありますし、どこを見ても景色が美しい。あとは、治安の良さも新潟に限らず日本の大きな魅力だと思います。ブラジルのベレンはとても良い街ですが、夜道をひとりで歩くのは怖いし、常に警戒していないといけません。日本は夜の8時に仕事が終わって暗い道を歩いて帰っても安心ですよね。あと、日本の「きっちり」しているところも大好きなんです。

 

――「きっちり」というのは、具体的にどんな場面で感じますか?

アンナさん:ブラジルだと、住民票を一枚取るのにも「今日は担当者がいないから明日来てくれ」なんて言われて、予定が立てられないことがよくあるんですよ。だから、何事もルール通りに進む日本の環境がすごく肌に合うんです。私自身、もともと細かいルールを作るのが大好きで、家族からは「あんたはルールが多すぎる!」って怒られちゃうくらいなんです(笑)

 

実体験を映画化。次なる夢はハリウッドのレッドカーペット。

――アンナさんはご自身で小説を自費出版されたり、映画を作られたりしているんですよね。

アンナさん:小さい頃から本を読んだり、物語を書いたりするのが大好きなんです。今でもスマホを持ち歩いて、思いついたらすぐにアイデアを書き留めています。ずっと「自分の物語が映画にならないかな」と思っていたんですが、「にいがた映画塾」の企画で私が書いた台本が採用されて、短編映画になったんですよ。

 

 

――書き溜めていたアイデアが、ついにかたちになったんですね。

アンナさん:そうなんです。しかも、それが去年のインディーズのフェスティバルで「観客賞」をもらったんです。本当にびっくりしました。

 

――ちなみに、どんな内容の作品なんですか?

アンナさん:『ガラスの中のハート』という作品です。自分が犠牲になっても人に優しくできて、たとえひとりぼっちになったとしても、人に愛情を振る舞うことをやめない。そんな主人公の物語です。タイトルの「ガラス」は人の心を、「ハート」は人からもらった愛情をイメージしています。

 

――その物語は、何からインスピレーションを受けたんでしょうか。

アンナさん:以前、さまざまな困難な事情を抱える子どもたちと接する機会があったんです。そこで出会ったひとりの女の子がきっかけですね。彼女は自分ではどうしようもない理不尽な環境に置かれていたんですが、あるとき「私の分をあげる」って、自分の大切なお菓子を私に分けてくれたんです。そんな境遇にいても、他人に優しく向き合ってくれる彼女の純粋な心にハッとさせられて、この作品を書きはじめました。

 

――日本という環境に身を置くことで、物作りに対する意識やアプローチは変わりましたか?

アンナさん:映画作りについては、日本に来てから「かたちにする」ということが、ようやく現実味を帯びるようになりました。日本人は何をするにも真剣で、最後までやり遂げる力があるでしょう。ブラジルだとみんながルーズで、同じことをやろうとすれば数十倍は苦労するはずです。

 

――現在も新しい作品の準備をされているんですか?

アンナさん:実は、次に作りたい映画の台本はもうできているんです。ただ、今はキャスト探しで苦労していて。セリフが多かったり、ロケ地が遠かったりと条件が厳しいのもあって、なかなか人が集まらないんです。でも、諦めるつもりはありません。いろんな手を使って、絶対に完成させたいですね

 

――それでは最後に、アンナさんのこれからの展望や目標について教えてください。

アンナさん:私が書いた台本を、ハリウッドへ持っていくことです。いつか、ハリウッドのスクリーンで上映してレッドカーペットを歩くのが今の大きな夢なんです。最近は自前でカメラを買って撮影の練習をしたり、編集ソフトの使い方も勉強したりしています。監督になるか、脚本家になるか、関わり方は分からないけれど、この先もとにかく映画作りを続けていきたいですね。

 

 

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