明治32年創業の「高野酒造株式会社」は、先人の技術と伝統を受け継ぎながら、現在の嗜好に合う新たな酒造りに挑戦している酒蔵です。今回の工場見学では、そこで蔵人として26年も酒造りに携わってきた佐藤さんに、入社までの経緯やお酒造りのことなど、いろいろと聞いてきました。
高野酒造株式会社
佐藤 徹 Sato Toru
1975年生まれ新潟市江南区出身。上越の高校に進学し、発酵食品を含めた酒造りの勉強をする。日本酒の蔵人として働いているが、お酒はそこまで強くない体質で、居酒屋ではビールがメインだとか。
――佐藤さんは酒造りをどこで学ばれたんですか?
佐藤さん:中学3年になって進学先を考えていたとき、当時通っていた塾の先生に、お酒などの発酵食品のことを学べる学校が上越にあることを教わったんです。
――え、高校で酒造りが学べるんですか?
佐藤さん:今はもうなくなってしまいましたが、当時でも珍しく全国に一校しかなかった醸造科のある高校でした。お酒の他にも醤油、味噌、漬物作りなども学べましたね。
――へ~、そんな高校があったんですね。でも高校進学で専門的な進路の決断をするのは悩まれたんじゃないですか。
佐藤さん:本来ならごく普通の高校に進学していたのかもしれません。けれど先生に教えていただいたときに、そういう専門的な道もよいかもと思いました。それに、手に職をつけた方が就職にも有利かな……とも思いましたね。
――上越の高校ということは、新潟市内から離れての生活になったわけですね。
佐藤さん:まったく知らない土地での下宿生活だったので、不安はありましたね。授業内容も今まで耳にしたことのない言葉や知識が多くて、かなり専門性も高く難しかったです。
――いきなり専門分野に飛び込むわけですもんね。
佐藤さん:しかも伝統的な技術を重んじる学校だったので、学んだことはほぼすべてが手作業でした。醪(もろみ)造りなんて、発酵が盛んになってくると仕込み桶に泡がたくさん出てくるのでこれを潰して消さなくてはいけないんですよ。夜中は2時間おきぐらいに起きて皆で交代しながら消しました。仕込みの時期は冬ですし、酒蔵内は外とほぼ気温が変わらないのでとても寒かったのを覚えています。
――そういうときに使う最新機器みたいなものはなかったんですか?
佐藤さん:醪は20日~30日くらい発酵させるんですけど、8日目くらいにものすごい量の泡が出てくるので、それをきちんと消さないと溢れてしまうんですね。今は泡消し機というトンボみたいな形の機械を使うんですけど、学校には置いてありませんでしたから。
――普通科の高校では絶対にできない体験ですね。
佐藤さん:お米を蒸す作業も貴重な体験でした。お米を蒸すときはかなりの蒸気が出ます。しかも一度加圧しているので普通の蒸気と違って100℃以上になります。一歩間違えると大きな怪我にもつながるので、いつも集中して火傷には気をつけていました。振り返れば、確かに普通科では体験できないようなことばかりでしたね。おかげで卒業する頃には酒蔵でいかせる専門的な知識が身に付いていたと思います。
――卒業後は高野酒造さんにすぐ入社されたのでしょうか?
佐藤さん:専門的な知識を学ぶ高校だったので、学校宛の求人募集は多かったですね。そこで目にとまったのがこの高野酒造でした。学校が上越だったので、ほとんどの求人は上越の企業だったんですけど、私は下越出身なのでやっぱり生まれ育った土地、地元の近くで働きたいという気持ちが強かったですね。入社は平成7年(1994年)なので、今年で26年目になります。
――入社後はまずどういった仕事をされてたんですか?
佐藤さん:最初は、検品なども含めた瓶詰めや箱詰めなどの仕事でした。今の製造部門へは入社して7年目くらいからですね。
――製造部門のお仕事の内容を教えてください。
佐藤さん:現在、製造部門には4名いるんですけど、それぞれ担当の持ち場があります。原料処理が1名、麹と酒母(しゅぼ)で2名、製造部での最終工程となる醪(もろみ)については製造責任者が見ています。製造責任者の方針に合わせて、各工程の担当が動くような感じですね。
――佐藤さんはどの担当をされてきたんですか?
佐藤さん:自分は麹を専門に担当したあとで酒母も何年かやりました。4名で作業を回しながらやっています。忙しいところを埋めながらという感じですね。
――製造部門で一人前になるのはやっぱり大変なことなんでしょうか。
佐藤さん:やはり蔵人になるのはそんなに簡単ではなかったですね。ある程度の知識がないとやっていけないです。まずは下働きから入って、一人前の蔵人になるには数十年はかかると思います。
――高校時代と違って、今はいろんな機械を使っているんですよね?
佐藤さん:今は製造現場でのデータ化が進んでいます。時代の流れですし、便利になってはいます。でもその一方で、やはり数字だけでは見えないものもあります。日本酒造りでは微生物を扱います。これが非常に繊細なんです。ひとつでも大変なのですが、2種類の微生物を、しかも同時に扱わなくてはいけません。この微生物の働きというのがデータだけではなかなかうまく捉えられなくて、数字では見えない部分に状況を見て対応していかなければいけないことがあります。それはもう感覚的な部分もあるので、長年やってきてようやく分かってくる、といった感じですね。
――データだけに頼ると失敗することもあるんですか?
佐藤さん:確かにデータだけ見ていれば大きな失敗や間違いはないので、一応、お酒はできます。けれど良いものができるかというと、それはできないですね。普通のお酒以上のものを造るには長年の経験や感覚が必要になるんです。
――お酒の味って、製造責任者の方が決めるんですか?
佐藤さん:そうですね。私がいる製造部には部長である製造責任者がいて味を決めています。製造責任者は杜氏(とうじ)とも呼ばれていて、昔は社長と同等くらいの立場にあったほどです。私たち蔵人の労務管理、お酒を仕込むスケジュールはもちろん、どういう品種のお米を使うか、麹のかたちをどうするかという細かいところまで、製造責任者はお酒の味にかかわるすべての工程に責任を持つんです。
――大変な役割ですね。
佐藤さん:今、お米を2割まで削って造ったものを仕込んでいます。通常は吟醸クラスでも6割ぐらいまでしか削らないので、作業がものすごく大変でした。お米が簡単に割れてしまうので気が抜けませんし、繊細な作業が多いので機械は使わずすべて手作業でおこないました。
――それは商品としてはものすごくプレミアム感がありますね。
佐藤さん:このお酒は純米大吟醸という種類のお酒です。昨シーズンに創業120年を記念して造りましたが、お陰さまで非常に好評をいただき、もっと造ってほしいという声を多くいただき今シーズンもまた仕込みました。また、もう少しリーズナブルな吟醸クラスもいくつか仕込んでいます。ただ高級酒であろうがなかろうが、やはり出来上がるまでは本当に気が抜けないです。
――お酒の味や方向性を決めるのも大変そうですね。
佐藤さん:最近は市場のトレンドも多様化して、日本酒の飲み手も若年化する傾向にあるので、味の移り変わりが激しいです。会社としても市場に求められるものを造っていかなければなりません。でもうちは製造責任者がまだ46歳と業界の中では比較的若いので、そういったトレンドを敏感にキャッチして、商品に反映させています。
――佐藤さんは、今後はどういったお酒を造っていきたいですか?
佐藤さん:日本酒というと「オヤジが飲んでいるお酒」「アルコールに強い人が飲むお酒」といったイメージがあるかもしれませんけど、そんなことはありません。良い日本酒は、ほんの少しでも充分に美味しさが味わえます。たくさんの人に日本酒を飲んでもらって、「あまりお酒は飲めないけど日本酒って美味しいよね」と思ってくれる方がひとりでも増えればいいなと。若い女性にも気軽に飲んでもらえる飲みやすいお酒を目指しています。
高野酒造株式会社
新潟県新潟市西区木山24-1
025-239-2046