長岡のゴミ拾いを12年間続けている
「大森木工株式会社」の熱き社長。
その他
2026.04.07
昭和61年から40年続いてきた長岡市の冬を楽しむイベント「長岡雪しか祭り」が、今年から「ながおかウインターフェス」としてリニューアルされました。プロデューサーとして携わったのは「大森木工(おおもりもっこう)株式会社」の大森社長。長年続けてきたゴミ拾い清掃後の大森さんにお会いして、仕事や活動に取り組む姿勢を聞いてきました。
大森 政尚
Masanao Omori(大森木工株式会社)
1976年長岡市生まれ。四代目代表。東京の建築学校を卒業後、長岡の建設会社で4年間経験を積み、2002年より家業の「大森木工株式会社」に就業する。趣味の延長がいつしか長岡の様々なイベントや活動に携わり、現在は「ながおかウィンターフェス」総合プロデューサーを務めている。
長岡で120年続いてきた
老舗木工所の四代目社長。
――「大森木工株式会社」は、どんな会社なんでしょう?
大森さん:自社工場で木製建具や家具など木工製品を製造して、取り付けまでおこなっています。その他にも、現場監督時代の経験を生かしリノベーションや店舗デザインまで幅広く対応しているんですよ。基本的に何でも引き受けちゃうんです。
――会社の歴史は古いんですか?
大森さん:明治43年に「大森建具店」として創業しました。昭和39年に「株式会社大森木工所」に組織変更を行い、昭和59年には現在の「大森木工株式会社」に社名変更しています。
――創業から120年近くも営業を続けている老舗企業なんですね。
大森さん:僕で四代目になります。東京から戻り新卒入社先は、長岡のゼネコン企業に勤めていたんです。学生気分が抜けない私には大変厳しい世界でしたが、その経験があって今があると思っています。
――その厳しいエピソードはちょっと書けませんね。
大森さん:でも、うちの親父も昭和の男スタイルだったので厳しさには慣れていましたね。姉のしつけが厳しくこづかいをもらっていなかったので、近所のゴミ収集場で「少年ジャンプ」なんかの漫画雑誌をゴミ山で読んでひとりでいるような、地味な子どもでした。
――なかなか大変な少年時代を送っていたんですね。
大森さん:誕生日会があると聞いてついていくと、その暖かい雰囲気に居心地の悪さを感じるほどでした。だから、なかなか周りに馴染めず、ひとりで絵を描いていることが多かったんです。おかげで絵を描くことが得意になりました。それでも隣のおじいちゃんおばあちゃんはいつも優しかった記憶があります。それが僕のルーツかもしれません。

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製品をつくる上で心がけているのは
使う人のことを想像すること。
――木工製品をつくる際に、どんなことを心がけているのか教えてください。
大森さん:職人には想像力を働かせながら、使う人のことを考えてものづくりするようお願いしています。
――もう少し具体的に聞いてもいいですか?
大森さん:例えば小学校の下駄箱をつくるときは、それを使う子どもたちのことを考えてほしいんです。その子達は毎日のように下駄箱を使って、学校生活を送りながら成長していくわけですよね。
――子どもたちの長い学校生活を支え続けていくんですね。
大森さん:そうなんですよ。自分たちの製品が人の役に立つことで、その対価をいただいているわけです。だから、社員たちには自分の関わったお店や施設へ足を運んで、製品をどのように使ってもらっているのか確かめるように勧めています。
――使っているイメージができれば、次回の製品づくりに生かせますもんね。
大森さん:それだけではなく、木工職人としての誇りも生まれるし、モチベーションも上がるんです。だから、ただ見にいくだけじゃなくて「眺めながらにやにやしておいで」「家族に自慢しておいで」って伝えています(笑)
――大森さんも製品を見にいっているんでしょうか?
大森さん:もちろんです。お店のカウンターをつくらせていただいたら、ちょくちょく伺ってそこで飲むドリンクは格別です。そうすることで人も経済も循環ができていくんですよね。

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地域活動に関わりはじめたきっかけは
幼馴染とはじめた街のゴミ拾い。
――今年の「ながおかウインターフェス」をはじめ、イベントや地域活動にも関わっていらっしゃいますよね。
大森さん:思えばゴミ拾いからはじまったんですよ。12年前から毎月続けていて、今日も朝からゴミ拾いをやってきました。
――それはすごい。はじめたきっかけを教えてください。
大森さん:なぜか虚無感を感じ子どもの頃から周りに馴染めていなかった大森少年ですが、社会人になってからなんとなく小中学校の同級会を開催すると、自分がそう思っていただけで、周りは友達だと思ってくれていたのかななんて感じて、馴染めなかったんじゃなく馴染まなかったのかもと思うようになりました。
――自分が苦手だと思い込んでいたわけですね。それが、どのようにゴミ拾いと結びつくんでしょう?
大森さん:30代半ばになった頃、幼馴染のふたりとお酒を酌み交わしていたんです。それぞれ人生の壁にぶつかっていて悩んでいたので、「この世の正義って何だろう」という話題になり「ゴミ拾いは正義じゃないか?」という結論に行き着きました(笑)
――た、確かに正義ではありますね(笑)
大森さん:それで「長岡まつり大花火大会」が終わった後の翌朝に信濃川の土手に行ってみたら、地元の中学生たちがゴミ拾いをしていたんですよ。大人たちが楽しんだ後始末を子どもがしている姿を見て、これは大人がやるべきことだろうと痛感しました。それ以来、長岡の街なかでゴミ拾いを続けてきたんです。今では栃尾と与板でも仲間たちが同日開催しています。
――そのゴミ拾いがきっかけで、イベントに関わるようになっていったんですね。
大森さん:人の輪が広がっていって、いろんな活動に携わるようになりました。「ながおか若者会議」に参加したときは、スリーピースのスーツでビシッと決めて若かったこともあり強めに挨拶したら、僕のことを面白いと思ってくれた人たちと仲間になれました。その会議をきっかけに「ながおか・若者・しごと機構」が誕生し、僕が初代理事に任命されたんです。それから表向きなイベントに関わることが増えていきましたね。
――印象に残っているイベントはありますか?
大森さん:僕が40歳を迎える年に、長岡市の昭和51年度生まれを集めて開催した「大成人式」ですね。開催にあたって各地域から中学単位で代表者を集めて実行委員会を立ち上げたんですが、いろいろな考え方を持ったメンバーが集まったのでまとめるのに苦労しました。いきなり喧嘩腰のメンバーなんかもいてバチバチもしましたが、お互いに分かり合えたことで今では頼もしい仲間です。
――まるで少年漫画のような展開じゃないですか。
大森さん:そうなんですよ(笑)。みんな目的や地元への愛は一緒なんです。そうした経験を通して、いい勉強をさせてもらいましたね。

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「ながおかウインターフェス」で感謝され
自分の存在意義を確認する。
――今年の「ながおかウインターフェス」は、これまで開催されてきた「ながおか雪しか祭り」からガラッとリニューアルされましたね。
大森さん:プロデューサーを任されて思ったのは「全世界から長岡に人を呼びたい」ということでした。豪雪地帯にこれだけの人口が暮らしている街って、世界でもあまりないんですよ。そこで万国共通のエンタメはなんだろうと考えたら「食」にたどり着き、「世界NOPPE(ノッペ)サミット」と「長岡ソウルフードマルシェ」を開催したんです。
――「NOPPE」というのは、もしかして新潟の郷土料理「のっぺ」のことですか?
大森さん:その通りです。「のっぺ」をテーマにした料理がいろいろと登場し、お客様の投票でチャンピオンを決定するんです。チャンピオンに輝いた「ホテルニューオータニ長岡」の料理長の挨拶で、感謝を伝えられたときは、自分が生きている意義を感じることができて感動しました。人から感謝されるということは「必要とされている」ということだと思うんです。人から必要とされているから、自分は存在できているんだと思っています。これからも人に必要とされる存在であり続けたいですね。
――最後に、これから力を入れていきたいことがあったら教えてください。
大森さん:若手の育成です。若い人たちには怖がらずに、なんでもチャレンジしてほしいですね。「指を挟んで危ないからやめておけ」と言うのではなく「どれくらい痛いかわかるから指を挟んでみろ」と言いたい。よく若手と飲みに行くんですけど、僕が教えるだけじゃなく、若手から学ぶことも多いんです。

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