人生を変えた場所へカムバック!
劇団APRICOTの演出家、三浦真央。

カルチャー

2026.07.03

text by Etsuko Saito

演劇ユニット「Souer+(スール)」として活動をしている、新潟の演出家・三浦真央さん。りゅーとぴあジュニア劇団「APRICOT」の卒団生で、2025年からは同劇団の演出と脚本を担当しています。劇団とともに歩んできたこれまでの道のりと、大きな役目を任された今の思いを聞いてきました。

Interview

三浦 真央

Mao Miura

1996年長野県生まれ。小学校6年生から高校3年生までりゅーとぴあジュニア劇団「APRICOT」に在籍。大学在学中は演出助手として活動し、社会人を経て2020年に妹の真由さんと演劇ユニット「Souer+」を結成。2025年から「APRICOT」の演出・脚本を担当。趣味はガチャガチャ集め。

演劇は、
コミュニケーションの芸術。

――三浦さんは小学生の頃からジュニア劇団「APRICOT」に在籍されていましたね。

三浦さん:同級生が先に「APRICOT」に入っていて、その子のお母さんから「今度公演があるから見に来ない?」と誘ってもらって。小学6年生のとき初めて観たのは、『100万回生きたねこ』を原作にした音楽劇でした。

 

――そのときのこと、覚えています?

三浦さん:とてもよく覚えています。自分と同じ年くらいの子どもたちが舞台に立っていて、歌も踊りもお芝居も大人顔負けで圧倒されました。みんな、とにかくキラキラしてかっこよくて。「こんなにおもしろい世界があるなんて。私もやってみたい!」と、入団オーディションを受けたんです。

 

――入団したばかりの頃はどんな様子でしたか?

三浦さん:小学4年生から入団できるんですけど、私は6年生だったので途中から仲間に加わりました。年齢問わずみんなが優しく導いてくれて、自然と輪の中に入ることができました。

 

――「APRICOT」で過ごした7年間で、いろいろな経験をされたと思います。

三浦さん:大人になった今だからこそ、言語化できることなんですけどね。演劇は、コミュニケーションの芸術だと思うんです。物語の登場人物として、あるいはアンサンブルの一員として、自分はどんな役割を果たしているのかを考え、言葉を尽くして、みんなで作品をつくり上げます。自分がやりたくて取り組んでいることだから主体性が生まれますし、人と関わりながら同じ方向を目指して進んでいくことや、誠意を持ってコミュニケーションを取ることも学びました。こういう経験は、普段の学生生活だけではなかなか得られないものだった、と思っています。

 

――確かに、そう思います。

三浦さん:演技や歌や踊りが上手くなったとか、そういう技術面だけじゃなくて、自分の性格や人と関わる上でのスタンスみたいなものが、「APRICOT」の仲間と過ごす中で作られていったのかな、という気がしますね。

 

――ちょっと意地悪な質問ですが、そうすると学校が物足りなくなりませんでした?

三浦さん:自分の中のいちばんは「APRICOT」でしたね。私が在籍していた頃は今よりも稽古の時間が長くって。基本は週に3回の稽古、本番が近づくと週に4回、5回と日数が増えて、土日は母が2食分のお弁当を持たせてくれて稽古に明け暮れていました。夏休みは朝から晩までりゅーとぴあに篭り「寝るためだけに家に帰る」というのが私の青春です(笑)

 

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輝ける場所「演出」を知り、
再び向き合うまで。

――高校生のときには、演出も手がけたそうですね。

三浦さん:はい。高校1年生のとき、初めて演出をさせていただきました。同級生が劇中歌を作詞・作曲して、その子と一緒に裏方に回り、みんなで作品をつくったのが、もうほんとうに楽しくて。それまでも、歌も踊りもお芝居も頑張っているけど得意ではない、頭の中で思い描いていることをうまく表現できていない気がしていたんです。頭の中で思い描いていること、うまく表現できていない気がしていたんです。いつも「主役じゃなくても、お客さんの印象に残るような役ができたらいいな」と思いながらキャスティングオーディションを受けていました。それもあって初めて演出を経験したとき、「私が輝けるのはここなのかも」と思えたんです。

 

――卒団された後はどうされたんですか?

三浦さん:もっと演劇を学びたくて、東京の芸術系の大学に進みたい気持ちもあったんですが、家族と相談して将来のために資格を取得しようと決めました。教職に興味があったのと、「いつか『APRICOT』の先生になりたいな」と思っていたので、大学では教育・保育を専攻することにしました。当時から私は、人生の選択を「APRICOT」に振り切ってきたんです(笑)

 

――なんて愛情深い。

三浦さん:在学中は、演出助手や舞台スタッフとして「APRICOT」に関わらせてもらっていました。でも社会に出てからはちょっと距離ができてしまって。演劇と仕事の両立ができたらいいな、と希望を持っていたんですが、あまりに多忙で、大好きだった演劇が何も心に響かないという時期もありました。そこで心が離れちゃったんですよね。

 

――とてもリアリティのあるお話です。それで、その後は?

三浦さん:新卒で入った会社を辞めて、資格を生かそうと専門学校の講師に転職したんです。講師の仕事は、長期休暇になると少し仕事が落ち着きます。ちょうどコロナ禍でもあったので、忙しさに追われていた毎日から心に余裕ができて。そのときに妹が声をかけてくれたんです。「一緒に演劇をやってみようよ」って。

 

――それで、 演劇ユニット「Souer+(スール)」が誕生したわけですね。

三浦さん:公演の第1弾として、ライブハウスを借りて音楽劇をしようとしたんですけど、当時はコロナ禍真っ只中でおじゃんになってしまって。これからどうしようかなと思っていたときに、先輩のすすめで第1回新潟劇王に挑戦したんです。脚本なんて書いたことがなかったですし、演劇から離れていた期間が長かったのもあって「演出家って稽古場の中でどんな役割だったっけ…」と最初は頭を抱えました。稽古を重ねていく中で、演出家は作品全体の舵取り役なんだ、と少しずつわかっていきました。

 

――その後も演劇ユニット「Souer+(スール)」として、公演を続けていらっしゃいます。

三浦さん:最初の公演は、砂丘館での一人芝居と会話劇の2本立てでした。それからりゅーとぴあでバンドや舞踊家の方々と一緒にお芝居をつくったり、カフェでお芝居をしたり、野外劇をしたりとやりたいことをかたちにしています。

 

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あの日もらった宝物を、
次の世代へ。

――そして見事に念願叶って、昨年から「APRICOT」の演出・脚本を担当されています。どういう経緯だったのか教えてください。

三浦さん:数年前に「APRICOT」の高校生たちと一緒に、作品をつくる機会をいただきました。その後、正式に「APRICOT」の演出・パフォーマンスクラス講師としてお声をかけていただきました。

 

――そのときは大喜びされたのでは。

三浦さん:もうびっくりしました。でも正直なところ、喜びと戸惑いが半分半分だったかな。「私に務まるんだろうか」とも思いました。

 

――それだけの重責なんですね。

三浦さん:でも演劇が好きであること、新潟で演劇を続けていることを評価していただけたのだから、全力で取り組もうと気持ちを固めました。

 

――プレッシャーもあると思うんですが、どうとらえていますか?

三浦さん:たぶん今感じているプレッシャーは今後もなくならないだろうな、という気がしています。「APRICOT」に戻ってきたとき、子どもたちの姿を間近で見て、「あぁ、だからここが好きだったんだよな」と再確認できたんです。当時の私とまったく同じく、「APRICOT」が好きで全力で取り組んでいる姿に胸が震えました。私が卒団してから約10年。子どもたちを取り巻く環境は大きく変容しているのに、ずっと変わらない素晴らしさがあって。この子たちが大人になったとき、「『APRICOT』で頑張って良かった」「あのときの仲間たちが一生の宝物」「当時の経験が今の自分を作っている」と思える場所をこれからも繋いでいかなくちゃ、と心に決めました。「みんなでおもしろい作品を作るぞ」って気持ちはもちろんあるんですけど、それよりも子どもたちの大切な青春時代に、時間と情熱を注げる場所を守り続けたい気持ちの方が強いです。

 

――8月7日(金)~8月9日(日)には、夏季公演『オズの魔法使い』が本番を迎えます。意気込みを教えてください。

三浦さん:舞台をご覧いただくと、「子どもたちが頑張っていたね」「すごいね」というだけではない感動をお届けできると思います。それを目指して、みんなで稽古を重ねています。私が初めて観た演劇が「APRICOT」だったように、今回の公演でも演劇に初めて出会うお客さまがたくさんいらっしゃると思います。その出会いが、演劇という世界を知り、これからの人生の選択肢のひとつになるような体験になったら嬉しいです。長く愛され続けている名作ですので、ぜひ楽しんでいただきたいです。

 

りゅーとぴあジュニア劇団 APRICOT

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