和食料理人歴55年の店主が腕前を振るう、古町9番町「味處はせ川」。
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2025.05.02
古町で35年続く和食料理店「味處(あじどころ)はせ川」。18歳から和食の道ひと筋の親方と、金継ぎ屋の「ナヲシテツカウ」としても活動中の女将さんが営むお店です。お造りの盛りの美しさ、しっかりと角が立った切り口、食材の目利き、料理を提供するタイミング、あらゆるところに親方の腕と心意気が光っています。どうやら親方、古町界隈の料理人さんの中では、最年長に近づきつつあるそう。親方の迫力に、いつもよりもちょっぴり緊張しながら臨んだインタビューです。

味處はせ川
長谷川 清仁 Kiyohito Hasegawa
1951年五泉市生まれ。高校を卒業後、関東と新潟市で和食料理人としての経験を積む。古町の和食料理店を任された後に独立。1991年に9番町で「味處はせ川」をはじめる。

味處はせ川
長谷川 加奈 Kana Hasegawa
1969年魚沼市生まれ。大学卒業後、家具の販売店に就職。その後、設計に興味を持ち住宅メーカーに転職。2級建築士の資格を持つ。金継ぎで器を修復してくれる「ナヲシテツカウ」としても活動中。

選んだ道を実直に歩み続ける、職人の姿。
――清仁さんは、和食料理人ひと筋でいらっしゃるとか。
清仁さん:18歳から、ずっとこの世界にいますから。これしか能がないんですよ。高校卒業後に関東に行って、一度は新潟に戻ってきたんですけど、まだまだ技術が足りないと痛感して、再び関東で修業したんです。
――和食の道を選んだ理由を教えてください。
清仁さん:高校生のとき、長期休みを利用して東京で料理屋をやっている親戚のところでアルバイトをしていたんです。毎週日曜日、そこの経営者に連れられて、うなぎ屋さん、天ぷら屋さん、寿司屋さんといろいろなお店に食事に行きました。それで「いちばん面倒なのは日本料理だ」と思ったんです。専門店じゃないから、あれもこれも、なんでも出せるようにならなくちゃいけない。「これは挑み甲斐がありそうだ」と日本料理の世界に飛び込んだんです。
――修業されていた頃のことを知りたいです。きっと今よりずっと厳しい世界だったのでは。
清仁さん:教える、教えられるっていう考えがない時代ですからね。「先輩の技を見て盗む」が当たり前で。親方のすぐ下には「煮方(にかた)」といって、要するに、お椀とか煮物とかを担当する職人がいるんですけどね。煮方になってはじめて「職人」と呼ばれる世界なんですよ。焼き物、揚げ物を任されているようじゃ、まだ職人じゃない。お給料も違うしね。

――「もう辞めちゃいたい」と思ったこと、ありませんでした?
清仁さん:20代半ばに、あんまり仕事ができなくて「今まで何してきたんだろうか」と情けなくなったことがありました。その店は、親方と私だけ、他にひとりもいないんだわ。なんでかって言うと、厳しすぎて、みんないなくなっちゃた(笑)
――そういう環境で歯を食いしばってこられたんですね。
清仁さん:仕事を覚えるまでは、なんとしても親方の技量を盗まないとダメでしょう。それまではやっぱり頭を下げて踏ん張らなくちゃ。
――強い思いを持ち続けられた理由は、なんでしょう?
清仁さん:親に迷惑をかけられない。それまで、散々迷惑かけてきたから(笑)。もうひとつは意地だね。自分で選んだ職業を変えるのは、あまり好きじゃない。
――う~ん。かっこいい……。
加奈さん:このお店では、料理の見た目がどうこうではなくて、しっかりと修業をして腕を磨いてきた親方が、奇を衒うことなく、素材が持つ本来の味を引き出したお料理を提供しています。「味處はせ川」の財産は、親方の経験なんですよ。

スッポン、寿司、うなぎ、天ぷら。いろいろできるがゆえ、看板メニューは不明。
――新潟に戻ってからはどうされたんですか?
清仁さん:ちょこちょこ勤めてから、知り合いのすすめで古町の料理店で責任者まで任せてもらって。しばらくそこで働いて、1991年に「味處はせ川」をはじめたんです。
――今よりもずっと古町が元気だった頃ですね。
清仁さん:あの頃は、遊び方が派手だったよね(笑)。酒飲みが多かったから。
――独立したら「これを売りにしよう」と決めていたメニューはあったんですか?
清仁さん:それがねぇ、なかったんですよ。だって、スッポンも寿司も天ぷらも、偏りなくいろいろな日本料理を経験してきたわけだから。そうなると看板となるものは、ないんですよね。お客さまに「お前は何が得意なんだ」と言われて、考えてみたけどわかりませんでしたね。

――でも女将さん、親方の腕っぷしはやっぱり特別なんじゃないですか?
加奈さん:そう思いますよ。食材、特に魚の目利きが鋭くて。市場に行くと、魚の種類を調べようとスマホを片手に仕入れをしている人が不思議でならないみたいなんです(笑)
清仁さん:便利な時代だよね。でも私は、スマホなんていじれないから、自分の経験を頼りに食材を仕入れることが当たり前になっているだけなんですよ。
――業者さんもそうとうな腕利きじゃないと、親方のレベルについてこれないんじゃ。
清仁さん:私は買い物、床屋、ぜんぶ、あちこち浮気するのが好きじゃないんですよ。魚屋さんとは、30歳からの付き合いだから、もう45年お世話になっています。

本物の旬の味と、料理人としての「当たり前」。
――たくさんお店がある古町で、1991年から35年間お店が続いてきた理由はなんでしょう?
清仁さん:見ている人は見ていますからね。魚の良し悪しだとか。うちのふぐ料理を気に入って、「ふぐを食べに九州に行かなくなった」というお客さまもいます。「ここで十分だ」って。その方は時期になるとふぐを食べにいらっしゃる。普段は来ないけどね(笑)。私は新潟で揚がったふぐしか使いません。しかも、生きてないと嫌。それを自分で捌きます。
加奈さん:ご予約をいただいておいて、ふぐが入荷したらお客さまにご連絡差し上げるんです。「ふぐ次第のご予約」ですね(笑)

――他にはどんなリクエストがありますか?
清仁さん:ふぐとかスッポンとかが食べたいときは別だけど、常連さんのご注文はいつも「お任せ」です。馴染みのお客さまの好き嫌いは把握していますから。
――その日仕入れられたいいものや旬のものをお出しになるんですか?
清仁さん:野菜なんかでも、本来の旬以外の時季から出回るでしょう。でも私は、「旬を先ばしりするな」と教わってきたから、その通りにしているんですよ。当たり前のことでしょう。
加奈さん:枝豆やそら豆は、お客さまの予約時間に合わせて茹ではじめるんです。親方にとっては、それが当たり前なんですよね。常連さんはそのことをよくわかっていらっしゃるから、遅れる場合は、10分でもご連絡くださいます。
清仁さん:やっぱりあったかいものは、あったかいうちに出してやりたいわけさ、こちらはね。冷めたものを出すなんて変だもの。
――もちろんお客さんにも、出来たてを食べてもらいたいですよね?
清仁さん:それはそうだけど、お客さまだって事情があるでしょう。接待をしていれば、料理には手をつけられませんよ。「どうしたって今すぐに食べてくれ」って押し付けるタイプじゃないよ、私は。食べ方についても、聞かれない限りお伝えしません。好きなように食べる、それでいいんです。
――ちなみに今の時期のおすすめメニューはなんですか?
清仁さん:渡り蟹、アジ、いいものがあればときしらず。でも、その日にならないとやっぱりわからないね。
――女将さんは、親方の仕事ぶりを間近で見てこられて、どう思われていますか?
加奈さん:いつ、どの方がいらっしゃって、何を出したか、親方はぜんぶ記録しているんですよ。同じお料理を続けて出したくないからって。それを「当たり前」と思って、ずっと続けているんです。そういう姿勢に、料理人としての心意気を感じます。
清仁さん:たくさん働き手がいる有名店だったらパソコンに入力するんだろうけど、それができないから自分で書くしかないって思っているだけなんだけどな。

味處はせ川
新潟市中央区古町通9番町1466 志賀ビル
025-223-0056
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