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社会とのつながりを大切にする、農業法人「あけぼのクラブ」。

大粒で食べ応えのある大豆を使った「カメヨコなっとう」。新潟市内の直売所やイベントで販売されているため、見かけたことがある方も多いのではないでしょうか。この「カメヨコなっとう」に使われている大豆のほか、コシヒカリやきのこを生産販売しているのが、新潟市江南区の農事組合法人「あけぼのクラブ」です。今回は代表の立川さんに、現在力を入れて取り組んでいることや、農業に携わる中で大事にしていることについて聞いてきました。

 

 

あけぼのクラブ

立川 喜彦 Yoshihiko Tachikawa

1982年新潟市江南区亀田の袋津生まれ。看護師として勤めた後、2011年から父親の農業を手伝うようになる。2019年に任意組合を法人化し、「農事組合法人 あけぼのクラブ」の代表を務める。

 

農業の暗い部分を知ったからこそ、明るい未来を感じることができた。

——「あけぼのクラブ」という屋号は立川さんが付けたんですか?

立川さん:親父が仲間と任意組合をやっていたときから「あけぼのクラブ」という名前でやっていました。組合を作るときに、親父の作業場が曙町にあるからあけぼのクラブでいいじゃん、ということになったようです。そのころ僕は直接関わっていませんが。

 

——そうだったんですね。親しみやすいし「あけぼの」って言葉もいいですね。

立川さん:あとから思うとそうですよね。当時はそんなに深く考えていなかったようですが(笑)

 

——先ほどおっしゃっていましたけど、農業はお父さまの代からやっているんですね。

立川さん:農業は、いつからやっているかわからないくらい昔からやっているようです。親父の代になり、機械共同利用と水稲育苗施設の共同経営のために地域の農家3戸で組合を作ったようです。そこに自分も所属することになって、しばらく任意組合のかたちでやっていました。それから移転とかメンバーの入れ替えなど、いろいろあったタイミングで法人成りして僕が代表になりました。

 

 

——農業をはじめる前は別のことをされていたんですか?

立川さん:看護師をやっていました。僕、看護師の仕事がすごく好きで、性に合っていたと思います。はじめは総合病院で働いていましたが、かなりのスパルタで教育されて、勤務時間外もいろんな勉強をして、どんどんスキルアップしていきました。

 

——厳しい指導も苦じゃなかったんですね。それで、どうして好きだった看護師のお仕事を辞めることに?

立川さん:祖父が亡くなったタイミングで地元に戻ってくることになって、勤める病院を変えました。その頃から農業を継ぐことを考えるようになり、さらに個人事業として開業し経営することに興味を持つようになりました。僕は看護師しかしたことがなかったので、経営に関しては超素人です。看護師としての勉強は頑張りましたが、農業のことを考えたこともないし、ましてや経営について考えることもないし。それにどうせ看護師の免許を持っているので「失敗したら看護師に戻ろうかな」って感じで農業をはじめたんです(笑)。それが30歳くらいのときなので、看護師をやめて農業をはじめて10年ちょいくらい経ちますね。

 

——法人の代表になることに不安はありませんでしたか?

立川さん:やっぱりありましたよ。うちの親父はなんでもすべてどんぶり勘定なんで「原価表みたいなものがあるのか」って聞いたら「そんなのわかんねわや!」って(笑)。そんな感じなんで初めはすごく不安でした。農業って、一般的に跡継ぎがいなくて大変な世界だって言われているじゃないですか。本当は僕も良いイメージがなかったので農家にはなりたくありませんでした。そういった暗い部分はありますが、僕はその中でも必ず明るい部分があると思っていたので、不安よりも期待のほうが大きかったです。実際に多くの仲間と出会い、仕事をしたり遊んだりお酒飲んだりできることは、かけがえのない経験をさせてもらっています。

 

——立川さんが代表になってから新しくはじめていったことはありますか?

立川さん:それまでは個人個人のやりかたでやっていた経営を、ひとつに取りまとめました。それがいちばん大きかったかなと思います。作業も、以前はこっちの田んぼでやって、今度はあっちの田んぼをやって、って何度も移動しながらやっていたんですけど、それを一本化することで、みんなで一緒に端からぐるっと作業するように変えることができました。

 

 

——協力することでかなり効率化できるんですね。

立川さん:農業ってまわりの人たちと高め合って、協力し合って底上げしていくものだと思っています。「うちは個人でやっているから関係ない」といわれることもありますが、お互いに協力し合い、高め合っていかないと農業は発展していかないと思っているので。だから今は仲間たちとそこを頑張っているところです。

 

——農業を取り巻く状況が日々変わっているからこそ、作業の仕方や管理の仕方も変えていく必要があるんですね。

立川さん:耕作者が激減している中で地域の跡継ぎができることは、限られた人員で地域の田んぼを守っていくことです。そのためにもロボットトラクターやドローンなど、先進的な方法も入れていかなければならない。今までの常識が急激に変わってきていると思っています。そういう変わっていく様を見るのは面白いなと思います。あと、よくみんなに言うんです。「サボれるところはサボれ」って。

 

——それはできるだけ楽しく農作業を続けるために?

立川さん:そうですね。農業はつらい仕事が多いイメージがありますが、今やってることが本当に必要なのかと疑ってかかることも大切だと思います。それに細かいことを気にしていたら、大量の田んぼをこなせなくなっちゃうんで。例えば田植えをして、曲がらないように集中するとかそんなのは機械に任せればいいし、田植えの後に少しくらいはげてても気にしません。そうするとみんな気分が楽になってくるんですよ(笑)

 

農業と福祉つながって生まれた、食べ応えのある「カメヨコなっとう」。

——「あけぼのクラブ」さんではお米と大豆と、きのこも作られているんですよね?

立川さん:きのこは冬場にも仕事を作りたくて、僕が代表になってからはじめたんです。今はひらたけとなめこを作っています。大豆はもともと別の「カメヨコ」という会社で作っていますが、納豆や小売りの一部を「あけぼのクラブ」で少しやってるという感じでしょうか。

 

——納豆のお話が出ましたが、「カメヨコなっとう」で「あけぼのクラブ」さんのことを知っている方も多いと思います。どんな経緯で誕生した納豆なんでしょうか。

立川さん:農福連携マッチング会があって、そのときに「大豆を作っています」という話をしたら、もとから納豆を作っていた就労継続支援B型事業所の「クローバー 歩みの家」の担当の方が「うち納豆作っているんですよ。よければ一緒にやりませんか」と言ってくれて。それで共同で納豆を製造、販売するようになりました。

 

——どんな納豆なんでしょうか。

立川さん:「エンレイ」という品種の大粒を使って、硬めに炊いているんです。粒が大きすぎて、普通のパックに入れると少ない感じがしちゃうので、大きめのパックに入れています。納豆と一緒にうちの米も食べてもらいたいですね。

 

誰かの幸せがお金に変わる仕事。農業もそうありたい。

——今後も「あけぼのクラブ」を続けていく上で、大切にしていきたいことはありますか?

立川さん:自分たちは「社会と農業がつながっている状態をつくりたい」というのが、いつも思っていることです。

 

——「社会とつながる」というのは?

立川さん:「カメヨコなっとう」にしても、「農業」っていう社会と「福祉」っていう社会がつながって、更にそれを食べ物にして提供して「美味しい」っていうフィードバックがあるっていうのは、「食べてくれる人」と「自分たち」のつながりじゃないですか。

 

 

——それでイベントなどにも積極的に出店されているんですね。

立川さん:他のことでいうと、亀田東小学校の田植え体験をうちがやるんですけど、それも農業なんてまったく知らない小学生とお話するっていうつながりですよね。その話す内容も「いや~農業っていいんですよ」みたいなぼんやりしたことじゃなくて、田植え体験は膨大にある作業のうちのひとつでしかなくて、できあがったものを誰かに食べてもらうことでお金に変わるっていう、農業は「作業」じゃなくて「仕事」なんだっていうこと。

 

——「田植えをして終わり」ではなくて、農業とは何か、見えていない部分を伝えるのも大事なことですよね。

立川さん:誰かが喜ぶ、誰かが幸せになることがお金になる。どの職業もそうだと思うんですけど、農業もそうありたいって常に思っています。それが「社会とつながる」ということだと思います。

 

 

 

あけぼのクラブ

新潟市江南区横越字上郷2383

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