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元漁師の社長がこだわって作るイカのふっくら焼き「イカ屋 荘三郎」。

「いかのふっくら焼き」をご存知でしょうか。新潟市で40年続く水産加工食品会社「イカ屋 荘三郎」が作る看板商品で、発売から10年以上経った今でも県内外を問わず多くのファンから愛され続けています。こちらの会社、もとは70年続く漁師のお家だったそうです。今回は「イカ屋 荘三郎」代表の黒崎さんに、漁師業から食品加工業に転向した当時のお話や、商品作りにこめた思いについてお話を聞いてきました。

 

 

イカ屋 荘三郎

黒崎 一雄 Kazuo Kurosaki

1947年新潟市生まれ。「イカ屋 荘三郎」代表。祖父の代から続く漁師の家に生まれる。国連条約により北太平洋での操業が禁止されたことをきっかけに、1979年に水産物の食品加工業に転換。趣味は相撲観戦と奥さんと一緒に旅行すること。

 

70年続いた漁師業から加工食品業へ。

――もとは代々漁師のお家だったと聞きました。黒崎さんご自身も元漁師さんだそうですね。

黒崎さん:私の祖父の代からはじまって、父と私と3代続けて漁業経営をしていました。みなさんの思う「漁師」とはちょっと違って、近海で小さな船を出すのではなく、もっと大きな漁船を所有する漁業会社っていうイメージです。漁に出てしまえば1カ月も帰ってきませんのでね。

 

――へ~、じゃあかなり遠くまで漁に出ていたんですね。

黒崎さん:この写真はイカ釣りの船なんですけど、南は九州、北は北海道まで行っていました。鮭とか鱒を獲るための北洋漁業の船もあって、カムチャッカ半島、今の北方領土のさらに北の方まで行っていましたよ。

 

――そんな立派な漁業会社だったのに、加工業に転換することになったのにはどんな経緯が?

黒崎さん:当時、うちは鮭や鱒を捕る北洋漁業がメインだったんですけど、昭和50年頃に旧ソ連が「自国の川に上ってきた魚だけを捕ることにして、海で勝手に捕るのはよそう」と主張したんです。それが国連会議で議決されてしまって、当時日本に300~400隻くらいあった、船を所有している遠洋漁業の会社が次々に廃業になってしまいました。それで私どもも漁業を撤退したというわけです。

 

 

――加工業に転換することに対して、不安はありませんでしたか?

黒崎さん:ものすごくありましたね。「捕る」ってことには親子3代のノウハウがありましたけど、加工についてはどうやって商品を作ればいいのか、どうやってそれを販売すればいいのか、なんにもノウハウがないわけですから不安だらけでした。

 

――どうやって加工と販売の技術を身に付けたんでしょうか。

黒崎さん:細々と作りはじめましたら、既存のメーカーさんが「面白いものを作っているね、うちにも売ってくれますか」と言ってくださって、OEMっていうかたちで入らせてもらいました。それで販路を拡大しまして、メーカーさんから「うちでは作れないんだけど、おたくでは作れますか」みたいな商品開発の話があったりして、アイテムを増やしていきました。お互いにノウハウを提供し合うかたちでスタートしたんです。でも最初の3年くらいはとっても苦労しましたけどね。

 

 

――メーカーさんとはWin-Winの関係だったわけですね。

黒崎さん:そうやって25年くらいやっていましたかね。そのときに付き合っていたのがお歳暮とかお中元に強い会社だったんですよ。それはそれでよかったんですけど、バブルが弾けたのをきっかけに「お中元やお歳暮を贈るのをやめよう」っていう虚礼廃止の風潮が出てきて、贈答需要がガタっと落ちたんです。

 

――それは大打撃ですね……。

黒崎さん:その後、息子がこの仕事に興味を持って、「これからはインターネットの時代だし、自分でもやってみたい」ということでネットショップの店長として事業に参画するようになったんです。17年くらい前ですね。

 

――おお、救世主になりそうですね。

黒崎さん:そうはいっても、今とは違ってまだまだインターネットも草創期でした。ネットショップを運営する側も基盤が確立しているわけじゃなかったし、ネットショップを展開しているお店も利用するお客さんも少ないし、大変でしたね。

 

 

――そんな状況から、事業が軌道に乗るようになったのはどんなきっかけで?

黒崎さん:テレビで取り上げられるようになってからですね。いちばんはじめに日本テレビの「人生が変わる深イイ話~旨イイスペシャル~」に呼ばれて、ふたりでスタジオに行きました。スタッフの方々からピックアップされた720店舗の中の7店に選ばれて、オファーをいただいたんです。並み居るタレントの方々に看板商品である「いかのふっくら焼き」を認知していただけましたね。それからがすごかったです。

 

――どんなふうにすごかったんですか?

黒崎さん:放送の直後から注文が止まらないし、対応しきれなくなっちゃって。電話線を抜いて生活していました(笑)。ネットショップには1時間で1,300件以上の注文が入っていましたよ。放送日が12月13日だったんですけど年末年始も休まずに働いて、工場も二交代制で動かして、それでも商品をお届けできるのが4カ月後っていう状況でした。

 

――テレビの全国ネットの影響力って本当にすごいですね……。

黒崎さん:それをきっかけに「インターネットって面白いんだね」「上手く使えれば上手くいくのかな」って考えはじめました。全国の美味しいものを集めた催しだとかにも呼んでいただけるようになって。そういうところから知名度が上がっていきましたね。

 

まるでケーキのような柔らかさ、看板商品の「いかのふっくら焼き」。

――こちらで作っている商品についても教えてください。

黒崎さん:イカって劣化がものすごく早いんですよ。昔は冷蔵庫も、冷凍する船もないでしょ。夏なんか、イカがたくさん捕れても仕方がないんです。昔の加工業はそういう、「鮮度の落ちたものをどうするか」っていう問題があったんです。安く仕入れて、濃い味付けをして、販売する。全部がそうとは言いませんけど、当時はそういう傾向がありました。

 

――そんな傾向の中、黒崎さんはどんな商品を作ろうと思ったんですか?

黒崎さん:私は40年前に加工業をはじめたときに「みんなと同じことをやっても成功するわけがない、だからいい素材を使おう」と思いました。そして「丁寧に作ろう」と。機械に丸投げするような商売じゃなくて、ちゃんと最後まで目が届く商売をしようと。

 

――ふむふむ。

黒崎さん:ですからうちは鮮度のいい原材料を使っています。水揚げされて船上で急速冷凍されてから、一度も解凍されずに私どもの工場の冷凍庫に入るんです。それを加工して、また冷凍クール便でお客様に届けているので、劣化がないんですよ。

 

――しかも元漁師さんが目利きしているんですもんね。

黒崎さん:イカでいうと、スーパーで売っているものとはサイズも厚さも違うんですよ。食べた方はびっくりしますね。テレビに取り上げられるきっかけになった「いかのふっくら焼き」は、そんなイカを美味しい食感で食べられるように工夫して作っています。

 

 

――例えばどんな工夫ですか?

黒崎さん:イカは加熱すると堅くなります。そういうところでお客様に不便をかけないように、丁寧に筋を入れてからカットしています。漬ける時間も食感を考えて工夫しました。催事で試食したお客さまは99%の方が「柔らかい」って言いますし、うちの店長は「ケーキのような柔らかさ」なんて言って販売していますね(笑)。ぜひ食べてみてください。

 

――ではいただきます……。すごい!軟骨まで簡単に噛み切れるくらい柔らかいんですね。味付けも美味しい。

黒崎さん:砂糖と醤油を加熱したあまじょっぱい味付けって日本人が大好きですよね。子どもさんからお年寄りまで広い層から支持されています。そうやって受け入れられると、メーカーサイドの都合じゃなくて、「お客様にどう受け取っていただけるか」っていうことを第一に考えてやってきてよかったなって思います。

 

お客様に食べていただいてこそ、ひとつのサークルが完結する。

――黒崎さんのお話の節々から、お客様をすごく大切にされていることが分かります。

黒崎さん:海で育った我々が海の恵みをいただいて、それを生業にしているわけですよね。食べていただいてこそひとつのサークルが完結するわけで、どんなにいい商品を作ったって、お客様の口に入らなければ何にもならないですから。いい商品であればまた買っていただけますし。そのためには、他とはひと味違うことをしなければいけないんだろうなって思います。

 

――もうすぐ息子さんへ事業を引き継がれるそうですが、黒崎さんがやり残したことはありますか?

黒崎さん:新しい機器を取り入れた次世代の商品の開発ですかね。もっとグレードの高い冷凍のシステムに移行するとか、「こうやったらお客様によりいいものが届けられるのに」ってことを、次の人たちにも頑張ってやってもらえたらいいですね。

 

 

 

イカ屋 荘三郎

新潟市中央区稲荷町3615

TEL 025-229-9262

(お問い合わせ 9:00-17:00)

※掲載から期間が空いた店舗は移転、閉店している場合があります。ご了承ください。
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