日本人の食事に欠かせない食材に「味噌」があります。時代と共に味噌づくりも効率化が進む中、昔ながらの製法を守り続ける醸造蔵が新潟市南区にある「糀屋団四郎(こうじやだんしろう)」です。今年の元日に4代目代表を受け継いだ藤井さん夫婦を訪ね、味噌にまつわるこだわりについてお話を聞いてきました。
糀屋団四郎
藤井 寛 Yutaka Fujii
1983年岩手県生まれ。東京農業大学で醸造を学び、長野や大分の醸造所で味噌づくりの修業を積む。2007年に実家の味噌醤油蔵で働きはじめるが、2011年の東日本大震災で被災し廃業を余儀なくされる。2019年に康代さんと結婚して「糀屋団四郎」で働きはじめ、2024年より4代目代表を受け継ぐ。ラスティックが好きでよく聴いている。
糀屋団四郎
藤井 康代 Yasuyo Fujii
1980年新潟市南区生まれ。3人兄弟の末っ子として「糀屋団四郎」の家に生まれる。京都の大学を卒業し新潟の印刷会社で働く。家業を継ぐために2005年より東京農業大学で醸造を学び、2007年より「糀屋団四郎」で働きはじめる。寛さんの影響で最近茶道をはじめた。
——4代目ご就任おめでとうございます。おふたりはご夫婦なんですよね。
寛さん:今年の1月1日に4代目を受け継いだばかりなんですよ(笑)。奥さんがここの跡取りで、僕はお婿さんなんです。
——そうなんですね。「糀屋団四郎」はいつ頃から続いているんでしょうか?
康代さん:初代の藤井定三が、昭和7年に60歳で独立して創業しました。当時は各家庭で味噌を作っていた時代なので主に糀の販売をしていたんですが、二代目の頃になると時代も変わって、味噌の仕込みを委託されるようになるんです。三代目は昔ながらの味噌作りを継承しながら、少人数でも負担なく作業できるように工夫をしてきました。
——昔ながらの製法をしっかり守りながら、時代に合わせて進化してきたんですね。康代さんは最初から「糀屋団四郎」を継ぐ意思があったんでしょうか?
康代さん:私は3人兄弟の末っ子だったから跡を継ぐ気はぜんぜんなくって、京都の大学を卒業した後は新潟の印刷会社に勤めていたんですよ。ところが他の兄弟も誰ひとり「糀屋団四郎」を継ぐ様子がなかったんです(笑)。代々受け継がれてきた歴史のある味噌蔵を、私たちの代で失くすのはもったいないと思いはじめた頃、東京農業大学の先生から誘っていただき、短大で醸造を学びました。
——東京農業大学の先生とお知り合いだったんですか?
康代さん:母が東京農業大学の「社会人コース」で醸造を学んだことをきっかけに、農大生の醸造実習を受け入れるようになったんです。
寛さん:僕も農大生だったときに2週間ほど泊まり込みで「糀屋団四郎」の醸造実習に参加させてもらっているんです。奥さんとはそのときから同じ農大の顔見知りだったんですよ。
——そうだったんですね。寛さんも東京農業大学で醸造の勉強をされていたんですか。
寛さん:僕の実家も岩手で味噌や醤油の醸造蔵をやっていたんです。大学を卒業した後は長野にある味噌屋に勤めたんですけど、「醸造蔵」というよりは規模の大きな「味噌工場」だったんですよ。だからもっと実家に近い環境で勉強したくて、大分の小さな醸造蔵で勉強した後に岩手の実家へ戻りました。
——それなのに、どうして新潟の「糀屋団四郎」を継ぐことになったんでしょう?
寛さん:実家で働きはじめた3年後に東日本大震災が起こったんです。醸造蔵は津波で流されて父と祖母が犠牲になり、廃業せざるを得なかったんですよね。政策上、復興しても以前の広さの敷地は使えないということだったので、市の臨時職員をしたり、きのこメーカーで働いたりしていました。
——それはお気の毒でした。お辛かったでしょうね……。
寛さん:醸造蔵の復興を諦めたときに、新潟の「糀屋団四郎」の三代目女将さんから突然連絡をいただいたんです。「よかったら娘と一緒に味噌蔵を継いでもらえないか」というお誘いでした。ありがたく受け入れることにして、その年の7月に結婚することになりました。
——今までと違う環境で、戸惑うことはありませんでしたか?
寛さん:逆に僕のやり方も受け入れてくれて嬉しかったですね。
康代さん:彼の知識や経験のおかげで、糀の品質や衛生管理がレベルアップしました。
——康代さんは短大を卒業してすぐに「糀屋団四郎」で働きはじめたんですね。
康代さん:はい、味噌づくりをする傍らホームページを作ったり、パッケージデザインの見直しをしたり、新商品の開発をしたりしていました。更新していたブログを見てくださったのか、いろいろなメディアから取り上げていただけるようになってありがたかったですね。なかでも味噌好きなアメリカ人女性がうちの蔵で味噌づくりを体験するテレビ番組は反響が大きかったんですよ。発信することの大切さを感じました。
——どんな反響があったんですか?
康代さん:お取り寄せ商品の注文が殺到したのをはじめ、埼玉のラーメン店や京都の日本料理店といった県外の飲食店からもご注文をいただきました。
——昔ながらの製法でつくられていることも反響を呼ぶんでしょうね。どのように味噌をつくっているんでしょう?
康代さん:創業以来使われてきた大きな和釜で大豆を煮て、一昼夜釜のなかで留め置く「留釜(とめがま)製法」にこだわって続けてきました。そうすることで旨みが大豆に戻り、和釜で煮ることで味噌が柔らかく仕上がるんです。大豆を煮て味噌をつくる蔵は、全国でもかなり珍しいと思います。
寛さん:国産の原料を使っていて、糀は手づくりしています。そうすることで、香り高く美味しい味噌ができるんです。
——昔ながらの味噌づくりへのこだわりが強く感じられますけど、その反面、店舗や商品パッケージは古さを感じさせないお洒落なデザインですね。
康代さん:ありがとうございます。もともと店舗を兼ねた事務所だったんですけど、商品数が増えたのを機に、事務所と分けて店舗スペースをつくったんです。味噌や関連商品のパッケージは、子育て世代の若いお母さんたちから手に取ってほしいという思いで、東京のデザイナーに作ってもらいました。古いものを新しく切り替えていくのは、かなりのエネルギーを使いましたね(笑)
——透明の壺みたいな容器は、贈り物にもぴったりじゃないですか。オススメの人気商品があったら教えてください。
寛さん:「金印味噌」と「レモン味噌ディップ」ですかね。
康代さん:「レモン味噌ディップ」は、味噌を使ったオススメ料理を聞かれて生まれた商品なんです。もともとはイベントで試食品として出していたんですけど、人気があったので商品化しました。トスカーナ産のめちゃめちゃいいオリーブオイルを使っていて、フルーティな味わいがサラダやパスタ、トーストによく合います。
——これから新しくやってみようと思うことはありますか?
康代さん:新しく商品を増やすというよりも、現在の商品をブラッシュアップしていきたいです。あと今年は海外を視野に入れた動きをしていきたいですね。
寛さん:現在も学校でおこなっている味噌づくり教室を増やして、もっと子どもたちの食育に関われたらいいなと思っています。ジャンクフードではない自然食品を食べる習慣を、子どもたちが身につけてくれたら嬉しいですね。
糀屋団四郎
新潟市南区新飯田1607
025-374-2240
8:30-17:00(土曜は12:00まで)
日曜祝日休