米どころとして良質なお米が育つ新潟では、全国的にも有名な日本酒がたくさんありますが、美味しいクラフトビールやワインもつくられています。そんななか誕生した新潟産クラフトウイスキーのブランドが「新潟亀田蒸溜所(にいがたかめだじょうりゅうじょ)」です。「はんこの大谷」で有名な「株式会社 大谷」の敷地内にある工場を訪ね、「株式会社 新潟小規模蒸溜所(しょうきぼじょうりゅうじょ)」の堂田さんから、新潟産ウイスキーの誕生秘話やこれからの夢を聞いてきました。
株式会社 新潟小規模蒸溜所
堂田 浩之 Hiroyuki Doda
1975年北海道生まれ。地元の大学を卒業し、写真専門商社、電設資材会社を経て、製薬会社に勤めていたときに新潟へ赴任し結婚。2015年に「株式会社 大谷」へ入社し、2019年に「株式会社 新潟小規模蒸溜所」を設立してウイスキーの製造をはじめる。ジャンルを問わずお酒好き。
——こちらは「株式会社 大谷」の敷地内のようですけど、どんな関係があるんでしょうか。
堂田さん:私と一緒に「新潟亀田蒸溜所」を立ち上げた奥さんが「株式会社 大谷」の社長を務めているんです。そこで本社工場の倉庫をお借りする他、いろいろと応援していただいています。
——それは心強いですね。「株式会社 大谷」といえば「はんこの大谷」と呼ばれる印鑑販売の会社ですよね。
堂田さん:北海道から沖縄まで全国に110店舗以上を展開している、日本で一番はんこを売っている会社です。私は「株式会社 大谷」の取締役も務めているんですよ。
——新潟県内だけではなく、日本一の印鑑販売シェアを誇る会社だったとは。堂田さんはどこで奥さんと知り合ったんですか?
堂田さん:私は30代のはじめに製薬会社で営業をやっていて、新潟へ赴任してきていたんです。そのとき行きつけだった大衆割烹に、奥さんが母親と一緒に来ていたんですよ。そこで知り合って結婚することになりました。
——結婚を機に「株式会社 大谷」で働くことになったんですね。
堂田さん:しばらくは製薬会社の営業を続けていたんですけど「ゼネラル・エレクトリック」からお誘いがあったんです。かの発明王トーマス・エジソンが設立した会社で働いてみたいと思って奥さんに相談してみたら、転職するくらいなら「株式会社 大谷」を手伝ってほしいと言われたんです(笑)
——「株式会社 大谷」では、どんな仕事をされていたんですか?
堂田さん:東京で販売市場の開拓をしていたんですけど、印鑑以外の事業を展開する必要性も感じつつあったので、製薬会社の営業として医療産業に携わっていた経験を生かして、2018年から埼玉で訪問看護ステーションをスタートしました。
——これからの需要も見越していますね。
堂田さん:最初はなかなか経営がうまくいかなかったんですけど、ようやく軌道に乗ってきたので安心しました(笑)。そこで次なる挑戦として、国内だけではなく世界で勝負できるビジネスをやってみたいと思ったんです。
——それがウイスキーだったんですね。でも、どうしてウイスキーをはじめようと思ったんですか?
堂田さん:じつはたわいもない夫婦の会話からはじまったんです。いつものようにウイスキーをロックで飲みながら晩酌していて、私が「あと数年もしたら値上がりして、国産ウイスキーなんて飲めなくなるなぁ……」とボヤいたのを聞いた奥さんが「だったら自分で作ってみれば?」と勧めてくれたんですよ。そのときに、ある記憶が蘇ったんです。
——それはどんな記憶なんでしょうか?
堂田さん:大学時代にゼミの教授からウイスキー工場に連れて行ってもらったことがあるんです。そこで飲ませたいただいたウイスキーの味に感動して、給料なんていらないからすぐにそこで働きたいと思いました(笑)。あいにく私が卒業する頃はバブル経済崩壊の就職氷河期だったので、どこのウイスキー工場も新卒者の採用がなかったんですよ。
——そのときの夢を叶えようと思ったんですね。
堂田さん:最初は「本当にできるのか?」と半信半疑だったんですが、クラフトウイスキーの工場を見学してみたら「できるかもしれない」と思ってしまったんです(笑)。でも自分の趣味をビジネスとしてはじめることに迷いもありましたね。
——好きなことと仕事は分けた方がいいって言いますよね。
堂田さん:そうなんです。そんなときにアウトドアブランド「スノーピーク」の社長から、趣味を生かしてアウトドアブランドを立ち上げたお話を聞いて、背中を押してもらいました。
——それで「株式会社 新潟小規模蒸溜所」という会社を立ち上げたんですね。
堂田さん:「株式会社 大谷」の新事業としてはじめたいと会長に相談したら叱られてしまいまして……(笑)。どうしてもやりたいことなんだったら、自分の力でゼロから苦労してやってみろと言われたんです。そこで奥さんと一緒に「株式会社 新潟小規模蒸溜所」を立ち上げたんですが、私の「美味しいウイスキーを新潟で作りたい」という熱意が会長にも伝わり、いろいろな形で応援していただいています。
——ウイスキーをつくるにあたって、製造経験者はいたんでしょうか?
堂田さん:ひとりもいませんでした(笑)。ですから、いろんな所に相談したり、見学させてもらったりしましたね。そのときの出会いがなかったら、ウイスキーづくりをはじめることはできなかったので、本当にいいご縁をいただいたと思っています。
——どんな出会いがあったのか教えてください。
堂田さん:茨城にある酒造会社には設備の協力をしていただきましたし、鹿児島にある酒造会社では製造の研修をさせていただきました。また、知り合ったウイスキー専門誌の代表が佐渡出身者というご縁もあって「キリンビール」でチーフブレンダーを務めたこともある方を紹介してもらい、いろいろなことをご指導いただいたんです。
——堂田さんの熱意が伝わったからこそ、協力してもらえたような気がしますね。それにしても、あまり経験のないなかでの製造は大変そうですが……。
堂田さん:私と製造スタッフのふたりが中心になって「株式会社 大谷」の社員に手伝ってもらいながら製造をしていました。大きなトラブルこそありませんが、細かいトラブルはしょっちゅうですね(笑)。機械の配線トラブルもありましたけど、準備の際に2ヶ月かけて自力で配線をやったので自分で直せちゃうんですよ(笑)
——大きいトラブルがないのは何よりですね。製造工程で一番苦労したのはどんな作業ですか?
堂田さん:「マッシング」と呼ばれる仕込み作業のひとつが大変でした。粉砕した麦芽を温水と混ぜてデンプンを糖に分解するんですけど、なかなかうまくいかずに試行錯誤しましたね。
——最初は何かと試行錯誤するんでしょうね。ではウイスキーを作るなかでも、こだわっていることを教えてください。
堂田さん:世界に通用するウイスキーを作りたいという目標はあるんですが、それ以前に新潟で作っている「クラフトウイスキー」として地元で愛され、認めていただきたい思いは強いですね。だから新潟県産の原料で作るということには特にこだわっています。
——どんな原料を使っているんでしょうか?
堂田さん:日本ではじめてウイスキーの原料用として登録された「ゆきはな六条」という麦を使っています。秋葉区で「麦作りの名人」と呼ばれている農家さんにお願いして、その麦を生産しているんです。
——いろいろな人たちの協力があって、新潟産のウイスキーがつくられているんですね。それにしても、取材がひっきりなしに来ている様子ですが……。
堂田さん:世界的なウイスキー大会の「ワールドウイスキーアワード2023」で1500種類以上の銘柄のなかから「ワールドベスト/世界最高賞」を受賞したことで、ウイスキーに対して真剣に取り組んでいる姿勢を世の中の人々に知っていただけたのは嬉しかったですね。今までは公式ホームページのネット通販のみで販売していたんですけど、3月にはじめて「新潟亀田ニューボーン」というウイスキーを市場に出したんです。そしたら予想外の引き合いをいただきまして、今ではほぼ完売している状況なんですよ。
——それはすごい。
堂田さん:お問い合わせも多くいただいていますので、今後も引き続き出荷することを検討しています。地元に根差しながらも、新潟から世界へ羽ばたいていける「世界でも通用するウイスキー」を作り続けていきたいですね。
新潟亀田蒸溜所
新潟市江南区亀田工業団地1-3-5