一見、難解そうな抽象画。もしくは前衛的な現代アート作品。実はこれ、地域の公園に飛来する白鳥を撮影した写真作品なんです。生みの親は、村上市藤沢の写真アーティスト・内山アキラさん。長く商業カメラマンとして活躍してきた内山さんが試行錯誤の末に編み出した独自の撮影手法によるこれらの白鳥作品は、これまでに国内のみならずフランス・パリやロシア・サンクトペテルブルクなど海外の芸術の街でも展示会が開かれ、写真界よりもむしろアート界から注目が集まっています。作品が生まれた経緯や作品に込めた思い、海外挑戦の成果などについて内山さんに話を聞きました。
内山 アキラ Akira Uchiyama
1947年関川村生まれ、旧荒川町(現村上市)育ち。東京写真大学(現・東京工芸大学)を卒業後、フォトグラファーとして今井イサオ氏らのもとで修行した後、帰郷してホテルイタリア軒に写真室を設立し独立。実家の内山写真館も受け継ぎつつ、婚礼や肖像、風景など様々なジャンルで活躍。長岡造形大学でも12年間、写真表現技術の非常勤講師を務めた。新潟市内にも「フォトハウスVeryVery」をオープンするなどして経営を息子たちに引き継いだ後は、ライフワークとして地元に飛来する白鳥を独自の感性で捉えた作品を発表。国内外へ精力的に出展している。
――本日はよろしくお願いします。まず率直に、どうやって撮っているんですか?
内山さん:よく聞かれます(笑)。ただ、こういうスローシャッターで残像を活かす技法自体はもちろん決して特別なものではなく、ずっと以前からあったものです。私の場合は、それをさらに自分なりに追求していった結果、「これだ」と思えるようなものが撮れたのが始まりですね。冬の池のほとりで、三脚にカメラを固定して白鳥が飛び立つ瞬間をじっくり待つカメラマンが多い中、私はカメラをぐるんぐるん振り回してます(笑)。正直、商業カメラマンとして長くやってきて、計算どおりに「上手く」撮れるのは当たり前といえば当たり前なので、あまりワクワクしないんですね。自分としては、これまで培ってきた技術をベースにしつつも、未知の領域に挑んでいるつもりです。
――そもそも、白鳥を被写体に選んだのはなぜですか?
内山さん:ある冬の日、同じくフォトグラファーで家業の写真館を創業した亡き父のお墓の雪かきをしていると、すぐ近くの田んぼに白鳥が飛来してきました。それ自体は冬の新潟ではよくある光景かもしれませんが、私はこれに何か運命的なものを感じてしまったんです。当時は写真館の経営を息子たちに譲ったばかりで、「これから何をしようかな」と考えていたところでもあり、つまりなんというか、父が白鳥を私のところに遣わせて「おい晟(アキラ)、これからは自分が本気で撮りたいものを撮ってみろ」と言っているような…。それで後日、地元で白鳥が飛来する名所「お幕場大池公園」に足を運んでみたんですが、そこで水面と白鳥の織り成す光景の美しさにまんまと創作意欲を刺激されましてね(笑)。以来、白鳥の飛来する冬期は毎日、夜明け前から撮影に通うようになったんです。
――それがどうやって現在のような撮影技法を編み出すまでになったのでしょう?
内山さん:写真って、時間を閉じ込めるもの、一瞬を永遠に残すものです。そして今のカメラは、性能の向上で、私たち人間の目では見えないものまで写してしまうことができます。それをフルに駆使して、白鳥の持つ「生命の輝き」を表現しようと試行錯誤した末、今のようになりました。もちろん偶然性に拠るところは小さくありませんけど、始めたころに比べて「打率」は上がってきているかもしれません。意識はしていませんが、これまで培ってきた技術もベースとしてあるとは思います。
――そうやって作り上げた作品は、写真というよりも絵画のようですね。
内山さん:ありがとうございます。そこは意識しています。じっさい、写真分野よりも美術分野に広くPRしています。それが最初に実を結んだのが2016年です。東京・銀座の画廊で個展を開くことができたほか、フランス・パリでも個展の開催を実現し、アラブ首長国連邦のドバイで開かれたアートの見本市にも出展できました。銀座での個展は以後3年連続で開催することができました。
――パリでの個展は、実現までに様々な苦労があったとか。
内山さん:そうなんですよ。いま思い出してもよくやれたもんだと思います(笑)。まず、開催に向けて話が進んでいた前年末、パリ同時多発テロが発生しました。これに関しては、中止を危ぶむ日本側の関係者をよそに現地の関係者は「こういう時だからこそ、やるんです」と。何事も無かったかのように話を進めてくれました。さすがは「芸術の都」ですね。続いて開催直前の5月末、豪雨によりセーヌ川が100年ぶりとかいう氾濫で、パリ市内が冠水してしまいます。さすがにダメか、と思いましたが、会場は無事で、パリ市民の愛する「白鳥」がテーマならばみんなを勇気付けるから今こそやろう、ということになり、これもクリア。そしてようやく開催にこぎつけましたが、レセプションの前日、会場入りした私は惨状を目にして思わずひっくり返りそうになり…
――え、まだ何かあったんですか?
内山さん:湿気のせいか作品の半分くらいが歪んでしまっていたんですよ。フチが波打ち、とても人様にお見せできる状態ではありません。私は大慌てで現地スタッフと協力し、夜通し貼り直し作業をしました。翌日夕方からのレセプションには何とか間に合わせることができて、個展はおかげさまで好評を博すことができました。世の中ホント、何が起こるかわかりません(苦笑)
――大変でしたね…。パリでは今年頭にも作品展を開催したそうですね。
内山さん:はい。今回は日仏友好160周年を記念した両国政府主導の複合型文化芸術祭「ジャポニスム2018」に出展しました。フランスでは今後もパリでの個展や郊外の芸術祭への出展などの引き合いがあります。
――また、ロシアでは美術館で作品展を開いたとか。
内山さん:そうです。昨年、ちょうどロシアでサッカーのワールドカップが開催された直後くらいの秋に、サンクトペテルブルクのエラルタ現代美術館というところの企画展で3ヶ月もの期間、作品を展示できました。この美術館は私の作品を特に気に入ってくれて、1作品を常設コレクションとして買い取ってくれることにもなったんですよ。ロシアでは今後、巡回展の計画もあります。ロシアは白鳥のふるさとでもあるので、感慨もひとしおですね。
――海外で継続的に出展の機会があるのは、すごいですね。何かコツやコネがあるのでしょうか?
内山さん:特にありませんよ。地道に足で稼いだ成果です。例えばパリでも最初は、作品のポートフォリオを持って画廊の立ち並ぶ界隈を飛び込み営業して回りました。もちろんほとんどは相手にされませんでしたが、偶然日本作家の企画展をやっていたギャラリーを訪ねたことをきっかけに、現在に至ります。あとは自分の作品にどれだけ確信を持てるか、ですね。私の場合、「これは世界の人たちに見てほしい」という確信がなぜか最初からありました。そういう気持ちを持ってがんばっていると、自然と協力してくれる人が現れてくれるんですよ。パリでもロシアでも、私の作品に共鳴してくれた協力者の存在がなければ、もちろん何もできているはずがありません。
――なるほど。最後に、後進たちに何かアドバイスがあれば。
内山さん:教訓めいたことを言うのは性に合わないのですが、強いて言えば、とにかく毎日続けること。これに尽きると思いますね。人間生きていれば、止める理由はいくらでも出てきます。お金、時間、年齢、世間体…。それでもひたすら毎日続けることが、何ものにも代えがたい自分だけの何かを生み出す唯一の道だと思います。あと、抽象的な言い方になりますが、計算どおりにいったからといって上手くいったとは思わないこと。やってみなければ分からない、自分の計算が及ばない領域にどんどん挑戦していってほしいと思いますね。
――肝に銘じます・・・。本日はありがとうございました!
内山アキラ