新潟市旭町通の住宅街に「寄居諏訪神社(よりいすわじんじゃ)」という小さな神社があります。この神社ではときどきイベントが開催されていて、多くの人たちで賑わっているのだとか。いったい何が起こっているのでしょうか。今回は、いきなり神社の宮司をやることになった登石さんの奮闘ぶりをご紹介します。
寄居諏訪神社
登石 木綿子 Yuko Toishi
1964年新潟市中央区生まれ。寄居諏訪神社に生まれる。日本大学芸術学部卒業。東京の出版社やフリーエディターとして雑誌編集に携わる他、芸能や料理を取材した書籍を編集。その後はカメラマンのマネジメント事務所を立ち上げ、2020年より「寄居諏訪神社」の宮司を兼業。登山が趣味で、角田山から北アルプスまで幅広く登っている。
——大変失礼かもしれませんが、女性の宮司さんにはじめてお会いしました。
登石さん:私も女性が宮司になれるのか心配だったんですけど、受講した研修では半数が女性だったんです。
——へぇ〜、それは意外です。登石さんはどうして宮司に?
登石さん:そもそも神主になるつもりは、これっぽっちもありませんでした(笑)。この神社に生まれたものの三人兄妹の末っ子だったので、誰も私に継がせようなんて思っていなかったんですよね。だから私も東京で出版関係の仕事をしていたんです。
——出版関係の仕事というと、どんなことをされていたんですか?
登石さん:最初は出版社で音楽雑誌やファッション雑誌の編集をしていたんです。その後はフリーエディターとして活動したり、芸能や料理関係の書籍を編集したりする他、カメラマンのマネジメント業務などをおこなっていました。
——クリエイティブな業界でお仕事をされてきたんですね。それなのに、どうして神社の宮司をすることに?
登石さん:兄が神社を継ぐはずだったんですけど、55歳のときにがんが見つかって、ひと月後に亡くなったんです。父もその翌年に亡くなったので兄の息子が継いでくれたんですけど、5年後に突然辞めていなくなってしまったんですよね。
——不幸は重なるといいますけど、いろんなことが一度に起こってしまったんですね。それで登石さんが神社を継いだと。
登石さん:ものすごく迷いましたし、新潟へ帰ることに大きな決断をする必要がありました。でもちょうど大きな仕事がなくなって神主を兼業できる状況になったんです。それで国学院大学で講習を受けて資格を取得し、その年の年末から少しずつ神社の業務をはじめました。新潟に戻ってきて本格的に神主をはじめたのは翌年の3月からです。
——かなり急展開だったんですね。いきなり神社の仕事をやることになって、大変だったんじゃないですか?
登石さん:神社のどこに何が片付けてあるのか、あちこち調べてみても、出てきたものが何に使う道具なのかさえわからないんです(笑)。父が遺した祝詞(のりと)もありましたが、達筆過ぎて読めませんでした。お祓いのときに振る大麻(おおぬさ)という道具があるんですけど、その作り方も知らなかったので、分解して作り方を調べては何度も試作を繰り返しましたね。
——ちょっと特殊な職業ですもんね。それは戸惑うと思います。
登石さん:まして新潟には38年ぶりに帰ってきたものですから、区があることさえ知らなかったんです(笑)。ナビに住所を登録して一軒一軒氏子様の家を回るんですけど、「あなた誰?」って怪しまれたりして……。事情を話してご挨拶すると「ちょうどいい機会だから氏子を辞めるわ」なんて言われたりして、心が折れることも多かったんですよね。
——いろいろとご苦労されたんですね。
登石さん:自分に宮司なんて務まるのかと心配になりましたけど、先輩の神主さんに相談したら「登石さんは神様じゃないんですよ。神様と人とを取り持つのが仕事なんです」と教えていただきました。自分が今までやってきた編集の仕事も作家と読者をつなぐ仕事だったので、どこか似ているなと思ったら自分にもできるような気がしてきたんです(笑)
——それにしても境内が綺麗ですね。管理は大変なんじゃないですか?
登石さん:私が宮司になって間もなく、ご近所の方から「神社がすっかり寂れちゃったね」と言われたんです。私には見慣れていた神社だったから、その言葉を聞いてショックを受けました。でもよく見てみたら樹々がうっそうと生い茂っていて、まるでジャングルみたいになっていたんです。
——見慣れていると、なかなか気づかないものですよね。
登石さん:そうなんですよ。人が集まりやすい神社にしたかったので思いきって整備をして、車でお越しいただく方のための駐車場もご用意しました。階段の手すりやベンチも綺麗にして、広間の障子や襖も手入れしたんです。おかげで近所の皆さまからは「綺麗で明るくなったね」とおっしゃっていただけるようになりました。
——整備した甲斐がありましたね。その他に改善したことってあるんでしょうか。
登石さん:新しいお守りを作ったり、御朱印の種類を増やしたり、神社のことを知っていただくためのリーフレットを作成したりしました。
——可愛いリーフレットですね。
登石さん:ありがとうございます。出版に携わっていたので、こういう仕事は得意分野なんです(笑)。
——なるほど(笑)。リーフレットを見ると、年間行事だけでも毎月のようにあって大変ですね。
登石さん:最初は決められた行事をこなすだけで精一杯でしたね。でも3年経って、ようやく宮司の仕事にも慣れて近所を散歩する余裕ができました。地元のお店を回るうちにいろいろな方との出会いに恵まれて、神社の広間を使ったイベントを開催していただくことができたんです。
——へぇ〜、どんなイベントだったんですか?
登石さん:「おすわさま福の市」として、ハンドメイド作家や飲食店の皆さまにお集まりいただいて、ワークショップや作品販売、お菓子や軽食を楽しめるイベントを開催しました。3月に初開催したら300人ほどのお客様が集まって、広間には入れずに外まで並ぶほどの大盛況だったんです。そこで6月にもう一度開催してみたら、今度は400人のお客様が集まりました。
——それはすごい。
登石さん:ただ私が疲れてしまって、「おすわさま福の市」はしばらくお休みさせていただいていたんです。でも今度は出店していただいた方から、広間を使ったイベントを企画していただけるようになりました。
——いろいろなことをおひとりでやるのは大変ですよね。
登石さん:そうなんですよ。ですから、ひとりでも神社を管理できる工夫をしているんです。参拝者には社殿へ自由に上がっていただいて、無人でお守りや御朱印といった授与品をお授けしています。そうすることで、ゆっくりと神様のお側で過ごしていただくこともできると思うんです。
——でも、神社の管理ってそれだけじゃないですよね。境内の整備とか……。
登石さん:私がひとりで神社の仕事をやっているのを見かねたご近所の方々が「おすわさま婦人部」を立ち上げて、お掃除や授与品作りのお手伝いをしてくださるようになったんです。本当に助けていただいています。
——登石さんの頑張りが、ご近所の方々にも伝わったんだと思います。これからも、宮司として諏訪神社を守っていってください。
登石さん:ありがとうございます。最近、ご祈祷を受けにきた参拝の方から「終わったら気分がスッキリしました」と言われたことがあったんです。それを聞いて、ようやく神様と参拝者をつなぐ役に立てたのかなと思えて嬉しくなりましたね。
寄居諏訪神社
新潟市中央区旭町通2番町736
025-228-1490