新潟市中央区の本町通にある「笑美寿亭(えびすてい)」。15種類以上の坦々麺を揃え、さらに餃子・麻婆豆腐・唐揚げなどの一品料理も充実しています。夜は食べ放題・飲み放題メニューもあって、居酒屋のような一面も。いったい「笑美寿亭」はラーメン屋なのか、中華料理屋なのか、居酒屋なのか……。オーナーの川崎さんにいろいろとお話を聞いてきました。
川崎 満 Kawasaki Mitsuru
1975年新潟市生まれ。高校卒業後、山形県のあつみ温泉「萬国屋」で6年間働く。その後新潟に戻り、居酒屋チェーンと中華ダイニングでの経験を経て、2003年に独立。現在は、古町エリアにある「香町」と「笑美寿亭」、こんぴら通りにある「海老寿DELUX」の3店舗を経営する。
——川崎さんは、小さい頃から料理の道を目指していたんですか?
川崎さん:実家が空港通りで「大南楼」という中華料理屋をやっていたので、幼少時代から「自分もこんなお店を作りたい」と思っていました。でも、高校を卒業してすぐに料理の道へ進んだのではなく、最初は山形県のあつみ温泉にある老舗旅館「萬国屋」に就職しました。
——有名な旅館ですね。どうしてそちらへ就職しようと?
川崎さん:店の常連さんから「萬国屋」がリニューアルオープンすることを教えてもらって。300年続く老舗の旅館ですから、そこで接客サービスを勉強すれば、将来の役に立つと思ったんです。それで、高校3年生のときに「萬国屋」に直接電話をして、「僕を雇ってください」と願い出ました。「萬国屋」では6年間働き、いろいろなことを経験させてもらいました。
——じゃあ高校生のときから、自分のお店を持つことを想定していたってことですね。
川崎さん:18歳のときに「30歳までに自分のお店を持って、1年おきに新しいお店をオープンさせよう」と人生の目標を立てました。それを実現するために、まずはお客さまをおもてなしできる力とノウハウをつけたいと思いまして。
——18歳でそんな具体的な目標を立てるなんて、川崎さんは、もともと経営者向きだったのかしら……。
川崎さん:僕は、5人きょうだいの4番目なんです。僕が18歳のとき、ふたりの兄はすでに料理の道へ進んでいましたし、姉は中華料理店のサービス部門で活躍していました。なので、いずれは兄姉と一緒にお店を切り盛りできるように、多店舗展開をするのが夢だったんです。その中で、僕は経営やサービスの分野をやっていきたいと思っていました。
——すごい、計画的。ちなみに「萬国屋」では料理の修行はしたんですか?
川崎さん:料理の修行はしていないんです。ただ、いずれは自分も料理を勉強しなくてはいけないと思っていたので、給料の大半を外食に使っていました。いつか自分が店を出すとしたら「こんな料理を提供したいな」というアイディアはたくさん持っていましたよ。
——「萬国屋」で勤めたあとは?
川崎さん:新潟に戻って、東区にある「村さ来 赤道店」の店長を2年間任せていただきました。昔からあるお店だったんですが、売上が下がって大変だということで、立て直しをする役目をいただいたんです。ある程度、自分のやりたいように取り組むことができたので、店を経営する面では、とても良い経験ができました。
——お店を立て直すためにどんなことをしたんでしょうか。
川崎さん:自分の強みである接客サービスに関するノウハウを生かして、経営のマイナスになる要素をなくしました。たくさん改善点があって、すぐには直せない状況だったんですけど、お客さまに喜んでもらえる工夫を自分からどんどん実践すると、次第にアルバイトさんも一緒になって改善に取り組んでくれるようになりました。結果が出てくると、スタッフ全員が一丸となって、さらに「店を良くしよう」と協力してくれるようになって。チームとして仕上がってくる感覚がありましたね。売上も前年比120%を達成できたので、社長にも大変喜んでもらったことを覚えています。
——今までの経験が生きたんですね。 そして次はいよいよ独立ですか?
川崎さん:すぐに独立しようとも考えたんですけど、やっぱり料理の勉強をしたかったので、駅前にあった「SHAO」という中華の創作料理店で働きました。飛び込みで「料理の勉強をさせてください」とお願いしたら、ありがたいことにすぐに採用してもらえたんです。
——どうしてそのお店に?
川崎さん:自分が理想としているお店に一番近かったからです。ちょうど和食の職人さんも「SHAO」で働いていたので、和食と中華のノウハウをみっちり教えてもらいました。
——だんだん中華の道へ近づいてきましたね。その後はどうしたんですか?
川崎さん:いよいよ独立しようと思って、駅南で物件の契約を予定していたのですが、その契約の前日に病気が見つかってしまったんですよ。1ヶ月半ほど入院をして、リハビリを3ヶ月ほどしたでしょうか。
——ひと頓挫、あったんですね……。
川崎さん:でも、療養中のとき父親と古町エリアを歩いていたら、ある物件に「長い間ありがとうございました」と閉店の張り紙がしてあるのが視界に飛び込んできたんです。なぜだか分かりませんが、そのとき、「ここで商売をやったら、絶対に成功する」というひらめきが湧いたんです。もう次に住む人が決まっていたんですが、大家さんに頼み込んで物件を譲ってもらって、その場所で店をはじめました。それが、現在も東堀前通で営業している創作中華料理店の「香町」。僕が最初に経営したお店です。
——「香町」といえば、中華の人気店! そんな経緯で川崎さんがはじめたんですね。
川崎さん:はい、そうなんです(笑)。ホテル新潟の「天壇」で10年ほど中華をやっていた義理の兄を誘って、ふたりではじめました。僕のひらめきが間違っていなかったようで、「香町」は大盛況の店になりました。
——「笑美寿亭」はいつオープンしたんですか?
川崎さん:2007年だったと思います。最初は、僕の両親が経営していたんですが、体力的な問題で続けるのが難しいというので譲り受けたんです。
——坦々麺が売りだと思いますが、一品料理やお酒などのメニューも充実していますよね。そもそも「笑美寿亭」は中華料理屋なのか、ラーメン屋なのか、とても気になるのですが……。
川崎さん:両親がやっていた頃の「笑美寿亭」は、昔ながらのラーメン屋のようでしたね。でも、僕が引き継いだとき、今まで培った中華の技術をメニューに組み込んだらおもしろいだろうと考えました。なので、昔ながらのラーメン屋でありながら、一品料理やドリンクの種類を増やしていき、後から担々麺を看板メニューに付け加えたんです。
——それでメニューがたくさんあるんですね。坦々麺に特化したのは?
川崎さん:当時、関東ではいろんな味の坦々麺がブームになっていたので、その流れを見習いました。味の参考にしたのは、「SHAO」で習ったバンバンジーのタレです。そのタレが、めちゃくちゃうまかったので、どうにか「SHAO」のバンバンジーのような坦々麺を作りたいと思って、何度も何度も試作をして、今の「笑美寿亭」の坦々麺にたどり着きました。
——坦々麺だけでも、いろんな種類がありますよね。
川崎さん:赤・白・黒ごまの3種類だけではじめて、すごく好調だったので、この波に乗って一気にいろんなアレンジをしてみようと、現在の15種類の坦々麺を作りました。ちなみに、一番人気は赤坦々麺です。
——「笑美寿亭」のコンセプトについても教えてください。
川崎さん:コンセプトは、ひとことで言うと……「まちのオアシス」ですね。「笑美寿亭」に行けば、うまいものが食べられると思ってもらえて、わいわいガヤガヤできる場所にしようと考えました。以前は、どの町にもラーメンも麻婆豆腐も唐揚げもいろんなメニューがあって、学生さんやサラリーマン、OL、家族で賑わう中華料理屋があったように思いますが、最近は少なくなりましたよね。だから、そんな昔ながらの「町の中華料理屋」みたいに、オープンから閉店まで常に賑わっているお店が理想です。
——まさにその通りのお店だと思います。夜は居酒屋のように楽しめますし。
川崎さん:今は、家庭でも美味しいものを気軽に楽しむことができますから、外食ならではのエンターテイメントとして、石焼メニューだとか食べ放題・飲み放題プランなどをご用意しています。ストレス社会ですからね。お腹いっぱい美味しいものを食べて、飲んで、笑って、満足して帰ってもらいたいという思いに尽きますね。
——今後はどんな展開を考えていますか?
川崎さん:う〜ん……いっぱいありすぎて何を話そうかな(笑)。今は、3店舗を経営していますが、人が育ってくれば「笑美寿亭」のようなお店を増やしたいと思っています。ただ、飲食業は大変な仕事ですから、この役目を買って出る人が少なくなっているので、店舗展開以外の事業で、もっと多くの人に美味しい料理を届ける方法はないかなと考えているところです。
——例えばどんな?
川崎さん:製麺所を持っているので、その技術を生かして、製造部門に力を入れて行こうかな、と。自家製麺や餃子の卸業や通信販売をすることができたら、世界中に美味しい中華を届けることができますから。ちょっと夢が大きすぎましたか(笑)
笑美寿亭
新潟市中央区本町6番町 1129-2 本町ビル
TEL:025-225-1039
月曜日〜金曜日 11:00〜14:30 17:00〜24:00
土曜日 11:00〜14:30 17:00〜22:00
祝日 11:00〜14:30
日曜日定休