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古町から駅南に移転。ファンの支援で再起した「Restaurant Fiorita」。

2016年に古町でオープンしたイタリアンのお店「Restaurant Fiorita(フィオリータ)」。昨年末に一旦は閉店したものの、常連のお客さんを中心に支援の輪が広がり、この4月、駅南で再スタートを切りました。今回はシェフの田村さんに、移転までの道のりやお店の再開が決まったときの思いなど、いろいろとお話を聞いてきました。

 

Restaurant Fiorita

田村 崇 Takashi Tamura

1982年長岡市生まれ。亜細亜大学を卒業後、東京のイタリアンレストランで経験を積む。2012年に新潟に戻り、2016年に独立。古町に「Restaurant Fiorita」をオープン。2023年4月に駅南に店舗を移転。幼少期は器械体操に熱中。

 

何もできない「やらかし太郎」は、負けん気根性で周りに認められていく。

——田村さんがシェフになろうと思ったのはいつ頃ですか?

田村さん:大学在学中に「料理の道へ進もう」ってはっきりと決めました。両親が共働きで、小さい頃から自分でご飯を作っていたんですよね。最初はカップラーメンだったけど、だんだん凝るようになってきて。中学生の頃に放送されていたテレビ番組「世界ウルルン滞在記」でイタリアを訪れた芸能人がペンネアラビアータを作っていたのを見てね。それが美味しそうで、真似して毎週作っていました。

 

——わ〜、「世界ウルルン滞在記」とは懐かしい。

田村さん:中卒で、万代のレストランに面接に行ったこともありますよ。でもオーナーに「今の時代ね、せめて高校は卒業しておきなさい」と諭されちゃいました(笑)。それで大学まで進学したんですけど、やっぱり料理の仕事がしたくて。

 

 

——大学を卒業されて料理人になるって、珍しかったのでは?

田村さん:大学を卒業したらいい仕事に就いて、いいところに住むって、なんとなくそういう考えが当たり前の時代でしたからね。料理人になることを親に反対されていたので、アメリカに留学をして別の道を探そうともしました。その留学先で、自分は「日本人じゃなくてアジア人として見られている」って感じたんです。日本人が世界からどう見られているのか実感したというか、すごくちっぽけな存在に思えて。何がやりたいのかはっきり分からなかったけど、料理はやりたかった。それに目立ちたがり屋なので、「世界で活躍するにはどうしたらいいか」と思ったのもイタリア料理の道へ進んだ理由です。

 

——それで最初は東京のイタリアンレストランにお勤めになったんですね。

田村さん:料理番組にも出演していたイタリア人シェフの、カルミネ・コッツォリーノさんが経営している会社に入りました。そこでは僕より若い先輩もいたし、調理系の学校を卒業している人や親が料理人という人が多かったんですよね。僕は何もできなかったから、教えてくれる先輩は大変だったと思います。ついこの前もその会社のOB会があったんですけど、昔の先輩から僕の「やらかし太郎」伝説をいっぱい聞きました。塩と砂糖を間違えちゃったり、ひとりだけ仕込みが終わらなかったり、たくさんやらかしてきたもので(笑)

 

——気持ちが折れそうになりませんでした?

田村さん:「もう嫌だ」って何回も思いましたよ。でも僕の場合、厳しい言葉が逆に奮起につながりました。悔しいけど、絶対に辞めてたまるかって。「田村はド素人だから、すぐに辞めるだろう」と思われていたでしょけど、3年続けて、ある程度仕事ができるようになってきたら周りの見る目が変わってきたのを感じました。「田村くんにヘルプに来て欲しい」って言われるのが嬉しかったな。

 

古町を元気づけたいと意気込むも、コロナ禍が押し寄せ経営危機に。

——キャリアを積んだら、新潟に戻ってくるつもりでした?

田村さん:「最前線でやっていたい」って思いがあったので、そのつもりはありませんでした。でも30歳の節目が見えてきた頃「俺の東京生活ってこうやって終わっていくのかな」って考えるようになって、新潟が好きだったし、地元に戻って来ました。大学時代の留学体験であれこれ考えたことが新潟に戻って分かった気がしたんですよね。東京と同じものを作っても意味がないし、新潟人としてイタリア料理を作るんだから、地元の食材や調味料を使うのが大事だろうと思うようになりました。

 

 

——独立されて、「Restaurant Fiorita」をオープンしたのは?

田村さん:34歳のときです。古町をもう一度、僕らが学生だった頃みたいに活気のある街にしたいって思いがありました。でも古町にいた6年間のうち半分がコロナ禍で、「お客さまを喜ばせたい」「古町を活性化させたい」なんて言っていられないくらい経営が厳しくなってしまいました。

 

——そうでしたか……。

田村さん:1年前は、もうお店を閉じようと考えていました。前職の先輩を頼って県外で働いて生活を安定させようとも思ったんですが、やっぱり家族がいるので考え直したんです。親の都合で3人の子どもに不便な思いをさせてはいけないじゃないですか。それでよく来てくださるお客さまに「年末で店を閉めようと思います」と相談したら、クラウドファンディングをしてみたらどうだとアドバイスされたんです。

 

赤裸々に綴った再起への思いに、支援の輪が広がる。

——そのクラウドファンディングの結果を拝見しました。目標額を見事に達成されていたようですね。

田村さん:あれほどのご支援をいただけるとはまったく予想していませんでした。こんなご時世に、赤の他人、しかも料理人が再出発するためにお金を出してくださるなんて、本当に感謝でいっぱいです。クラウドファンディングで支援してくださった方、それ以外でも支えてくれた方は、最上級のお客さまというか、一生大事にしたい関係をいただいたと思っています。

 

——クラウドファンディングのサイト上には、田村さんの思いが綴られていましたね。

田村さん:支援者が集まるヒントとか、拡散されるテクニックとかいろいろ教えてもらったんですけど、正直に自分の気持ちを書いたっていいんじゃないかと思いました。コロナ禍で苦しんで、同じような悩みを抱えている同業者さんもたくさんいると思います。それなのにわざわざ声を出すなんて、かっこ悪いと思われたかもしれません。それでも支援金が集まらなければもうおしまいだと思っていたので、赤裸々に気持ちを書きました。

 

 

——そのお気持ちがお客さんやお仲間に伝わったんですね。

田村さん:多くの皆さんに応援してもらって、支援金が集まったことは嬉しいです。ただコロナ禍は収束に向かう雰囲気とはいえ、移転してからも続けていけるのか怖い気持ちもあります。それで新店舗の営業は、気持ちで考えるのではなく、客観的なデータを根拠に綿密に計画を立てました。ランチは僕と妻のふたりで切り盛りしますが、ディナーは僕のワンオペで営業することにしたんです。

 

——ディナーはおひとりだなんて、大変では?

田村さん:夜は6席のカウンターのみでコースのお料理を提供しています。大変ではありますが、このかたちでなら続けていけると思っています。僕は目の前のお客さまに喜んでいただけるように全力を尽くす。まずそれをやろうと思っています。だってカウンターに予約を入れて来てくださるなんて、コアなお客さまですもんね。

 

——新店舗に移転した今の目標を教えてください。

田村さん:「続けること」ですね。うちでしか過ごせない時間、うちでしか食べられないお料理を提供して、お客さまには贅沢なひとときを過ごしていただく。そして今度こそお店と家族の生活の両方を維持できるように、しっかりと商売を成り立たせなくちゃいけないと思っています。

 

 

 

Restaurant Fiorita

新潟市中央区米山1丁目7-1 C&Dビル2F

Tel: 050-3593-2016

※ランチ、ディナーともに予約推奨。

※掲載から期間が空いた店舗は移転、閉店している場合があります。ご了承ください。

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