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赤字の老舗を立て直した三代目の、新たな挑戦「ぱんや徳之助」。

新潟市西区に「ぱんや徳之助」というモダン和風な雰囲気のパン屋さんがあります。数量限定のクリームパン目当てに開店前からたくさんのお客さんが並んでいるとか。実はここ、新潟市の老舗パン屋「冨士屋」の三代目社長が始めたお店なんです。いったいどうして新しいお店を始めたのでしょうか。そして「冨士屋」とはどんなところが違うのでしょうか。社長の渋谷さんにいろいろなお話を聞いてきました。

 

 

ぱんや徳之助

渋谷 則俊 Noritoshi Shibuya

1972年新潟市中央区生まれ。「冨士屋」三代目代表取締役。東京の専門学校で経済を学び、アウトドア用品の企業に就職。退職後は新潟に戻って「冨士屋」でアルバイトをする。その後は埼玉の人気ベーカリー「デイジイ」での修行や「iba cup」への挑戦を重ね、パン職人としてのスキルアップ。また、経営難の「冨士屋」を立て直す。2018年には「ぱんや徳之助」をオープン。

 

何をやっても長続きしなかった三代目が、店を継ぐ決意をするまで。

——渋谷さんは新潟の老舗パン屋「冨士屋」の三代目の社長さんでもあるんですよね。まずは冨士屋がどんなお店なのか、ざっくりと教えてください。

渋谷さん:「冨士屋」は祖父の渋谷徳之助が、1924年に新潟市の医学町で創業しました。戦時中は軍に窯を徴収されてしまって一時期商売を休んでいましたが、戦後に再び商売を始めて、古町6番町に移転したんです。それで一時期は店を9店舗まで増やしました。でも時代の流れに逆らえずに次々に閉店を余儀なくされて、今は本店とイトーヨーカドー店の2店舗で営業しています。

 

——1924年というと……た、大正13年ですね。とても歴史のあるお店ですけど、渋谷さんは最初から跡を継ぐ気持ちはあったんですか?

渋谷さん:いや〜、なかったですね(笑)。子どもの頃からパン屋の仕事を見てきて、朝早くから働くのも大変そうだし、仕事もきつそうだと思って、パン屋を継ぎたくなかったんです。だから逃げるように東京の専門学校に行って、卒業後はアウトドア用品の会社でサラリーマンをやっていました。

 

——あらら……そうだったんですね。それがどうしてお店を継ぐことに?

渋谷さん:若い頃の僕はとにかく何をやっても長続きしなかったんですよ。東京でのサラリーマン生活も1年しないうちに辞めてしまって、家賃が払えなくなったから新潟の実家に戻ったんです。お金もなかったし仕事を探すのも大変だから、とりあえず冨士屋でアルバイトすることにしました。なんにもできないから最初は一日中掃除ばっかりしてましたね。

 

 

——その頃は「店を継ごう」という気持ちはまだ……。

渋谷さん:まだなかったですね。でもアルバイトを始めて1年ちょっと過ぎた頃に、父親から「この先どうするんだ? 本気でパン職人としてやっていく気があるのか?」って問い詰められたんです。他にやりたいこともないので、だったらパン職人としてやっていこうって決めました。それで東京にある「日本パン技術研究所」の100日コースに参加して、朝から晩までパン作りを理論から学んだんです。パン職人の先輩たちも多く参加していたので、その方々からいろいろなことを教えてもらいましたね。

 

——じゃあその講習はいい刺激になったんですね。

渋谷さん:そうですね。その後も「日清製粉」の技術研究所で2週間ほど勉強させてもらいました。いろいろな小麦粉を試すテストベーキングにも参加させていただいて、粉を使う実習みたいなこともさせてもらえたんです。ここまで勉強させてもらったんだから、パン作りの仕事をしっかりやっていこうと決心して、冨士屋で正社員として働くことにしたんです。

 

——パン作りの仕事を始めてみていかがでしたか?

渋谷さん:朝は早くから仕事しなければならないし、手は荒れてひび割れして野球のグローブみたいに腫れ上がるし、かなりきつかったですね。それまでだったら心が折れて絶対に逃げ出すところなんだけど、パンの仕事だけは不思議と続けることができたんですよね。やっぱりパン屋の血筋なんでしょうか(笑)

 

経営難の「冨士屋」立て直しのため、埼玉の人気ベーカリーで修行。

——冨士屋さんの経営状態はどうだったんですか?

渋谷さん:時代の流れとともに冨士屋のパンが売れなくなっていったんです。僕が店に入って10年くらい経った頃には、経営難で支店を次々と閉店していくような状況に陥っていました。とりあえず借金が返せるのか返せないのか、返せたとしても店を続けるのか閉めるのかということを話し合っていましたね。

 

——そんな厳しい状況だったんですか……。

渋谷さん:はい。このままではダメだと思ったものの冨士屋でしか働いたことのない僕は、何が悪いのかも、どう直せばいいのかもわからなかったんです。そこで、どこかの人気パン屋で修行させてもらって勉強し直したいと思って、取引のある日清製粉の営業さんに相談しました。そこで紹介されたのが埼玉県にある「デイジイ」っていう人気店だったんです。

 

——そこはどんなパン屋さんなんですか?

渋谷さん:実は20代のときに冨士屋のスタッフと、一度視察を兼ねてお客としてデイジイに行ったことがあったんですよ。お店からあふれんばかりのお客さんがパンを買っていて、どんどんパンが出てきては次々と売れていくという光景に衝撃を受けました。そのときのことを思い出して「冨士屋もあんなパン屋にしたい」と思ったんです。それで履歴書を持って社長のところへ面接を受けにいきました。

 

——人気店なんですね。面接はいかがでしたか?

渋谷さん:借金のことや冨士屋の問題点、跡を継ぐプレッシャーまで、包み隠さずデイジイの社長に打ち明けて相談しました。そしたら、実際に店を見てみないとわからないということで、新潟まで来て冨士屋の全店舗を見て回ってくださったんです。見終わって最初にで言われたのは「社員を全員クビにしろ」という厳しいものでした。「あいつらは目が死んでいる。若いヤツはまだしも、ベテランは使いものにならない」と。

 

——それは厳しい言葉ですね……。それでどうなったんですか?

渋谷さん:社長に3年間修行させてほしいと頼んだら、3年も店を空ける余裕はないだろうから1年ですべてを覚えろと言われました。それから修行が始まったんですけど、衝撃を受けることの連続でしたね。

 

——どんなふうにですか?

渋谷さん:僕が修行したのは1日に100万円以上売上のある店だったんです。そこは店長をはじめとして自分よりひと回り歳下の子ばかりだったんですけど、みんな僕の何十倍も仕事ができるんですよ(笑)。僕があんまり仕事できないので、バカにされながら教わり続けました。屈辱的だったけど、がんばって仕事を覚えましたね。1年後に店を辞めるとき「渋谷さんがいなくなって困る」って言われるよう、休みなく働いて仕事を覚えました。

 

——働き方からして、まず違ったんですね。

渋谷さん:店の鍵は5時55分にならないと開かないんですけど、その時間の前にはみんな制服に着替えてドアの前で待っているんです。鍵が開いた瞬間にみんなが一斉にダッシュして仕事に取り掛かるんですよ。それから2時間後の開店までに準備をすべて終えなければならないので、みんな必死なんですよ。それで、修行が終わるまで2週間をきった頃、社長から分厚いファイルを渡されたんです。それはデイジイのパンのレシピで、全部コピーさせてくれたんですよ。デイジイの社長には本当に感謝しています。

 

「冨士屋」の改革と、「ぱんや徳之助」での新しい挑戦。

——修行を終えてからはどうしたんですか?

渋谷さん:冨士屋に戻ってみて、デイジイとのあまりの差に衝撃を受けました。仕事の密度も動きもゆる過ぎて、デイジイの社長の言葉が身に沁みましたね。そこでまず店の大掃除から始めました。材料の整理整頓や管理の見直しを徹底したんです。それから挨拶をしっかりするよう取り組みました。不思議なことに、そういったことをしっかりやるだけで少しずつ売上げが上がっていったんです。

 

——基本的なことって、やっぱり大事なんですね。

渋谷さん:そうですね。あと勤務時間も夜中の2時から仕事をしていたのを朝の5時からに変更して、その分だらだらしないで仕事を凝縮するようにしました。それから新製品やイベントを企画するときは、社員全員が参加して意見を出すように改革したんです。

 

——その結果はどうなったんでしょうか?

渋谷さん:それまでどんどん辞めていた若いスタッフが辞めなくなったんです。代わりに長く勤めていたベテランが辞めていきましたね。そういう若いスタッフたちに「パン職人は腕さえあれば世界にも行ける」ということを伝えるために、まずは自分が世界にチャレンジしなければと思って「iba cup 2008」というパンの世界大会に挑戦したんです。そうしたら2015年に優勝することができて、冨士屋の名前もいろいろな方に知ってもらうことができました。その頃には借金完済のめども立って、なんとか冨士屋を立て直すことができたんです。

 

——苦労の甲斐があったわけですね。ではいよいよ、「ぱんや徳之助」のお話をお聞きしたいんですが……。

渋谷さん:郊外に新しい店を作ろうと思ったんですよ。ありがたいことに冨士屋の知名度も上がってきていたので、冨士屋の名前で支店を出すのか、それともまったく新しい店に挑戦するのか、どちらにしようか迷いました。でも冨士屋は祖父が作った店だし、長い間続いてきた老舗としての縛りがあると思ったので、新しく自分のブランドを立ち上げて、自分が作りたいパンを思う存分作ってみようと思ったんです。

 

——「ぱんや徳之助」ってインパクトのある店名ですよね。

渋谷さん:オリジナルブランドだけど冨士屋とリンクした部分は残したいと思っていたので、創業者の祖父の名前から「徳之助」を使わせてもらいました。あと横文字は覚えにくいんじゃないかと思ったので、思いっきりひらがなで「ぱんや」とつけたんです。お店の雰囲気も店名に合わせて和風なんですよ(笑)

 

 

——ぱんや徳之助ではどんなパンを作っているんですか?

渋谷さん:まず最初は「美味しい食パンを作ろう」と思ったんです。湯種を生地に添加するとグルテンが出ないからしっとりした食感になるんですが、形がつぶれやすくなってしまうんです。だからギリギリのところまで湯種を入れてみようと思って作ったら、今までにないような甘みや口溶けの食パンができ上がったんです。食パンだけじゃもったいないということで、その生地を使って作ったのがクリームパンなんですよ。

 

——それはどんなクリームパンなんですか?

渋谷さん:食パンの生地を使うことで、もっちもちの食感になっています。クリームはあっさりさせたかったので、卵よりも牛乳にこだわってオーダーメイドした牛乳を使っています。糖度も抑えているので、濃厚なんだけどあっさりしていて、誰でもペロリと食べることができるんです。

 

 

——食パンの生地でクリームパンを作ったと。

渋谷さん:そうなんです。パン業界の当たり前をできるだけ崩して、新しい美味しさを提供していきたいんですよね。そうすることでお客様の心に深く残るようなパンを目指しています。例えば生地に水をたくさん入れれば食感が良くて美味しい生地になるんだけど、作業性が悪くて作るのが難しくなるんです。熟成も時間をかけるほど美味しくなるんだけど効率は悪くなります。だったらその作業をギリギリまでやってみようって思ったんです。

 

——他の店があまりやっていないことを、やってみるっていう感じですか?

渋谷さん:パンっていうのは基本さえ守って作ればちゃんとパンになるし、めちゃめちゃ自由な食べ物なんですよ。中華風にもフランス風にもなるし、おやつにも食事にもなる。いろんな可能性を試して、人がやらないことをやっていきたいと思っています。

 

——いろいろと新しいことに挑戦しているんですね。

渋谷さん:若い頃は何をやっても長続きしなかったんですけど、人生の中で誰もが必死にやらなきゃならない時期ってあるんですよね。僕にとっては冨士屋を継いでデイジイで修行した頃がそうでした。そしてぱんや徳之助を始めたこれからも、いろいろなことに挑戦していく時期なんだと思っています。

 

 

老舗パン屋「冨士屋」の経営難を乗り越えて、自分の作りたいパンを作るために「ぱんや徳之助」を始めた渋谷さん。そこで作られるパンは、老舗の冨士屋とは違った新しいパンばかり。まさしくいろいろなことに挑戦しているパン屋さんです。皆さんもまずは絶品のクリームパンを食べてみてください。今までになかった食感や味に驚きますよ。

 

 

ぱんや徳之助

新潟県新潟市西区新通南2-18

025-201-7870

9:00-19:00

水曜休

 

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