新発田市の川東地域で集落支援員として活動する上田幹久さん。焚火やテントサウナといったオリジナリティあふれるイベントを企画するなど、川東地域の活性化に尽力してきました。上田さんの拠点である川東コミュニティセンターにお邪魔して、新発田市で集落支援員になった経緯や担当する川東地域のこと、これまでの取り組みについて聞いてきました。
上田 幹久 Mikihisa Ueda
1991年北海道札幌市生まれ。青森の大学を卒業後、東京の企業に就職しシステムエンジニアとして約5年間勤める。2019年7月に地域おこし協力隊として新発田市の板山へ移住。2年半活動した後、2022年4月に新発田市川東地域の集落支援員となる。
——上田さんは北海道のご出身なんですよね。どうして新潟に?
上田さん:もともと、地域おこし協力隊として2019年に新発田に来たんですよ。以前は東京で働いていたんですけど、協力隊を募集している地域を5、6市町村まわってみて、いちばん「いいな」と思ったのが新発田市だったんです。
——新発田市のどんなところが「いいな」と?
上田さん:僕の場合、板山という集落に移住して地域おこしをするというかたちの協力隊だったんです。それで実際に集落に行って住民の人とお話ししてみたら、すごく面白い人がいて。今でもお世話になっている方なんですけど、「この人がいたらなんとかなりそうだな」って思ったんですよね(笑)。そういう現地の人のよさと、市が丁寧に対応してくれたという理由で決めました。
——ところで、どうして東京でのお仕事を辞めて地域おこし協力隊に?
上田さん:前職ではシステムエンジニアをやっていたんです。もう少しで30歳になるっていうとき、「東京でずっとこの仕事をしていていいのかな」と考えていました。週末になると山に行ったり、自転車でどこか遠くに行ったりすることが多かったので、高い家賃を払ってまで東京にいるメリットって特にないなと思って……。
——都会で遊ぶよりも、自然のなかで過ごす方がお好きだったんですね。
上田さん:そういうことをモヤっと考えていたとき、会社の仲がいい同期に子どもが生まれることになったんです。それを聞いて自分もすごく喜んで。でも、その子は生まれてこなかったんですよね。本人が落ち込んでいるのを見て、僕もすごく落ち込んで。それで「俺は生きているんだから、迷っていても無駄だな」と思って、迷いが消えたんですよね。自分のやりたいことをやろうって。
——協力隊としての活動はいかがでしたか?
上田さん:協力隊として活動していたほとんどの期間がコロナ禍だったんですよ。僕が住んでいる板山という集落はお祭りとか行事を活発にやっている地域で、「いたやま 春の夢まつり」という新発田中から人が集まる大きい行事があるんですけど、僕は4年住んでいて一度も見たことがないんです。
——想像されていた移住とは違うものになってしまったわけですね。
上田さん:春夏秋冬あるお祭りもまだ1回ずつしか見たことがないですし、思うように地域おこしができなかったんです。協力隊としての任期は3年だったんですけど、「できればもうちょっと活動をやりたいな」っていう気持ちが個人的にあったんですよね。
——それで、今度は集落支援員として地域に携わり続けることにされたんですね。
上田さん:そうですね。それに協力隊として活動している間も、この川東コミュニティセンターにちょくちょく来ていて、ここのホームページを作ったりしていて。板山という集落に縛られずに川東地域全体と接することも多くなって、活動の内容が集落支援員に近くなっていったんです。それでそのまま支援員をやることになったという背景です。
——地域おこし協力隊から集落支援員になったことで、どんなことが変わったんでしょうか。
上田さん:より広い地域をカバーするようになって、「板山の上田さん」というよりも「川東の上田さん」として認知されるようになりましたね。協力隊は課題に対して自分がプレーヤーになって取り組みますけど、支援員は課題があったら地域の人に「どうしていきましょうかね」「じゃあこういうのはどうですか」と投げかけて、行動を促す立場だと思っています。
——現在上田さんが担当されている川東地域にも、何か課題があるんでしょうか。
上田さん:いちばんの課題は高齢化ですよね。2030年頃には日本の3分の1が高齢者になると言われていますけど、川東では半分以上が高齢者になると予測しています。それによって何が起こるかというと、ここら辺って農業地帯なので、米を作る担い手がいなくなるんですよね。子どもも減っているなかで仕事がないと、更に人がいなくなってしまうんです。
——仕事がない地域で暮らすのは難しいですもんね……。
上田さん:それにこの辺って、田んぼの水を引くために山に行って門を開けたりとか、草を刈ったりとか、自分たちでやっているんですよ。そういう集落を維持する人たちがいなくなると、森の侵食の方が早くなっていって、川東が森になって……。
——誰も川東に住めなくなってしまうと……。
上田さん:僕が住んでいる板山はサルも多くて、見ようと思ったらいつでも見られるくらいなんですけど、それもすでにはじまっている影響のひとつで。今は住民たちが電気柵を設置していますけど、それも設置する人がいなくなったらもっと町の方に下りるようになるでしょうしね。高齢化がいろんな問題につながっていってしまうんです。
——高齢化が深刻化する川東の地域おこしのために、上田さんはどんな活動をされているんでしょうか。
上田さん:大きな活動としては、この川東コミュニティセンターは川東の拠点になる場所なので、ここに人を集めるためにいろんなイベントを企画しています。
——例えばどんなイベントを?
上田さん:「焚火とカレー」という、僕が作ったカレーを焚火を囲みながら食べてもらうイベントがあって、それは協力隊1年目の頃からやっています。僕、カレー伝道師で(笑)。この辺ではカレーの人として認識されているんですよ。昨年開催したときは先着30人で参加者を募集したら2、3日で埋まって、こういう交流の場をみんな求めていたんだなって感じましたね。あとはテントサウナやデイキャンプ、稲刈りイベント、ゲームの「フォートナイト」を水鉄砲で再現するイベントもやりました。
——どれも楽しそうなイベントですね。
上田さん:そういう、昔からこの地域で行われてきたイベントなどとは違うことをなるべくやろうと思っていて。どうしてもこういう地域って若い人が交流する場がないので、若い層に刺さりそうなイベントを意識してやっています。
——それは、川東の外に住む人たちを呼び込もうという意味合いもあって?
上田さん:それもありますけど、地域の中の人にももっと出てきて欲しいんです。川東って結構広いので、知り合いじゃない人同士ももちろんいるんですよ。だけど交流が生まれて、それがどんどんつながっていけば仲間ができて、この地域から出る人も少なくなるのかなと思うんです。「若い人が川東で何か面白いことをやっているらしいよ」って伝われば、外からも人が来やすくなって、もしかしたら移住してくれるかもしれないですしね。
——上田さんが活動を続ける中で、やりがいになっているのはどんなことなんでしょうか。
上田さん:いちばんは自分が起こしたことがすぐ返ってきて、実体となって現れるということですね。前職のシステムエンジニアでは、システムを作って運営していても、それを全国の誰が使っているかなんて分からないんですよ。「これめっちゃ便利だったよ」って言われることもないし、永遠に作り続けて、直して、何かあったら怒られて(笑)。だけど今は自分がやったらやったぶん感謝してもらえますし、目に見えるかたちで返ってくるっていうのが、自分の中でモチベーションになっています。
——新発田に住んで4年目だそうですが、上田さんが今住まれている集落の「好きだな」って思うところはありますか?
上田さん:近所づきあいの面で、地域の人たちが僕を気にしてくれている、見てくれているのを感じるんです。集落の人たちがほぼ全員親戚みたいな(笑)。「野菜ある?」と言って届けてくれたり、作った料理を持ってきてくれたり、そういうところが僕は好きだなって思います。
——集落みんな親戚、素敵ですね。今後はどういうふうに活動を続けていく予定なんでしょうか。
上田さん:実は僕、3月末で集落支援員を辞めるんです。だけど新発田で別の仕事をしながら、一般社団法人を作って、川東の人たちと地域おこしを続けるつもりなんですね。地域おこしって協力隊や支援員じゃなくなったら終わり、ではなくて、一生終わらないものなんじゃないかと思っているんです。これからは仕事ではなくてプライベートで、川東の地域おこしにずっと関わっていくつもりです。