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グラフィックデザイナーが手掛けるプロダクトブランド「FURICO」。

その町で暮らしていれば一度は見かけたことがある、さまざまな店舗のロゴやグラフィック。三条市でそれらを数多く手掛けているのが、「有限会社 K・ART」に所属するデザイナーの関川さんです。その活動はデザインのお仕事だけにとどまりません。今回ご紹介するのは、シンプルで装飾の少ないデザインだからこそ細部へのこだわりが感じられる、プロダクトブランド「FURICO」のバッグ。関川さんがご自身でブランドを立ち上げた経緯や、デザインのこだわりについて、いろいろとお話を聞いてきました。

 

 

有限会社 K・ART

関川 一郎 Ichiro Sekikawa

1977年三条市生まれ。デザインの専門学校を卒業後、東京で就職。約13年前に地元に戻り、父親が経営する印刷会社「有限会社 K・ART」に入社。「三条スパイス研究所」「ステージえんがわ」をはじめ、店舗や企業のグラフィックデザインなどを手掛ける。10年前にプロダクトブランド「FURICO」を立ち上げる。今年5月には加茂市で行われたイベント「TITEN」に主催として関わる。

 

三条市を拠点に活躍するグラフィックデザイナー、関川さん。

——関川さんが所属されている「K・ART」とは、どんな会社なんでしょう?

関川さん:「K・ART」は父親がひとりでやっていた印刷会社です。私は新潟でデザインの学校を卒業した後、一度東京で就職して、13年くらい前にこっちに戻ってきました。そのときに父の会社に入社して、それ以降ふたりでやっています。

 

——関川さんが入社されてから、デザインのお仕事も受けられるようになったわけですね。

関川さん:そうですね。以前は、デザイナーさんとか看板屋さんから貰ったデータの出力サービスとかをしていたんですけど、私が入ってデザインもできるようになりました。だけどその頃はデザインの仕事なんてなかったので、印刷の仕事を手伝ったりしながら、少しずつ自分のやりたいことを広げていきましたね。

 

——どうやってデザインのお仕事を増やしていったんでしょう?

関川さん:最初はつながりもまったくなかったので、自分のデザインをいいと思って依頼されるというよりも、先方がデザインの仕事だって意識せずに依頼してきたことに対して、ちょっとデザインっぽいことをして返すというか。その繰り返しで、徐々にデザイナーとして見てもらえるようになっていったんじゃないかなと思います。

 

なるべく加工を減らし、シンプルなデザインにこだわった「FURICO」のバッグ。

——プロダクトブランド「FURICO」について教えてください。どんなきっかけで、ご自身でデザインしたバッグや小物を販売するようになったんでしょう。

関川さん:会社に入ったばかりでまだデザインの仕事がない頃に、まずは会社のことを知ってもらわないと仕事に広がりがないなと思って、「三条マルシェ」というイベントに出店しようと考えました。出店するからには商品がないと、一般の方からしたらつまらないじゃないですか。だから何かモノを作らなきゃと思ったんです。

 

——それでバッグを作ることに?

関川さん:最初は印刷の仕事で使っていた素材に柄やイラストを印刷してブックカバーを作ったり、当時はのぼり旗の印刷もしていたので、その生地に柄を印刷して、あずま袋みたいに縫製したものを作ったりしていました。

 

——印刷の技術や素材を生かした商品を作っていたんですね。

関川さん:それから「会社を知ってもらいたい」と思っていろいろやっているうちに、「この生地でバッグを作ってみたい」と思うようになりました。だけどブックカバーと同じプリントだと、バッグにすると摩擦でインクが落ちてしまうので、クオリティを上げるためにも別の生地を試すことにしたんです。そこでターポリンのようなテント生地を使って、バッグを作りはじめました。最初に作ったのが2013年頃ですかね。

 

 

——バッグをデザインする上で、気をつけたことはありますか?

関川さん:僕はグラフィックの出身で、バッグや服のデザイナーではないので、素材や機能、使いやすさにこだわるような方向では勝負できないし、そこに入っていくのは違うかなと思っていて。だからなるべく足し算的にならないように、凝った加工は避けるようにしています。

 

——グラフィックのデザイナーさんならではのバッグなわけですね。

関川さん:このバッグを見て「なんとなくグラフィック的な発想だな」と感じる人もいるんじゃないかな。このデザインが使いやすいとか、モノとしていちばんいいとは思っていませんけど、「他とは違う」という意味で価値を感じてくださる方に届けばいいなと思っています。

 

 

——デザインは関川さんで、実際に作っているのはどなたが?

関川さん:地元の職人さんにお願いしています。僕が分からないところをかたちにしてくれるんですけど、上がってきたサンプルを見て、なるべく加工を減らしてもらえるようにお願いしています。「ここはなくせませんか」って聞いて「なくすと強度が弱いよ」って言われたら、「じゃあいいんだけど、できれば」って(笑)。サンプルを重ねるごとにシンプルになっていきがちですね。

 

——バッグを作る職人さんはたくさんいらっしゃるんですか?

関川さん:現在のラインナップに関しては、すべてひとりの職人さんにお願いしています。はじめた頃は「いつか月に何十個とか注文が来るようになったら、たくさん生産できる工場を探そう」と思っていたんですけど、今では「その方と一緒に作っている」という感覚を持たせてもらっていますし、何より信頼しています。

 

数が売れることよりも、「FURICO」を通じて生まれる関係を大事にしたい。

——大量に生産しないのはどうしてですか?

関川さん:数をいっぱい売っても仕方がないかなと。それよりも「FURICO」のアイテムによってつながる人や、質と関係性を深めていきたいなと思っています。月に100個とか売れたらいいのかもしれないけど、それがやりたいことなのかっていうと違うのかなって。「広げること」より「深めること」を意識したいです。

 

——売り上げを上げることが目的ではないと。

関川さん:製造業だったらOEMとかで依頼を受けて、他社の名前とかで製品をいっぱい作っていっぱい売ればいいのかもしれないけど、僕はデザイナーだし「FURICO」はブランドとして運営しているので、自分で企画したものを社会に出したいっていう思いもあって。自分の作ったものを作品だとは思っていませんけどね。

 

 

——きっと「FURICO」をやっていたからこそ生まれた出会いもたくさんありますよね。

関川さん:今日取材してもらっているのもそうですし、普段の仕事とは違う関係性ができていくことがいちばん面白いですよね。そこに意味があるのかなと。だからバッグを売ることっていうよりも、この「FURICO」をきっかけにいろんな関係やつながりができるといいなと思います。

 

——その考え方は、ブランドを続ける中で生まれていったんでしょうか。

関川さん:そうですね。「FURICO」というブランドの会社にとっての役割としては、売り上げうんぬんというよりも、「K・ART」の仕事とは別の側面を作り出せるほうがいいなって。そういう考えが、やっていくなかでだんだん固まっていきました。今後バッグ以外の何かを作ることになったら、また違った発想で展開するかもしれませんけど、バッグに関してはこれまで通り同じ職人さんと作っていきたいと思っています。

 

 

 

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