塩ラーメンにこだわり続けて9年目を迎える「麺屋ななひら」。
食べる
2021.05.27
新潟県のラーメン人気は高く、他県に比べても負けないものがあります。醤油、味噌、塩、とんこつ……種類も充実していて選択肢が多く、いつも何を食べるか迷ってしまいます。皆さんはどんなラーメンが好きですか? 今回紹介する「麺屋ななひら」は、塩ラーメンにこだわり続けて10年近く営業しているお店です。店主の鈴木さんに、塩ラーメンのこだわりを聞いてきました。


麺屋ななひら
鈴木 健作 Kensaku Suzuki
1976年福島県生まれ。東京の中華料理店をはじめ、居酒屋、ダイニングバー、ラーメン店などで修行を重ねる。福島県のラーメン店で働いているときに東日本大震災を経験。新潟に移住し2013年に新潟市西区で「麺屋ななひら」をオープンする。勉強を兼ねた食べ歩きが趣味。
開店目前に起こった東日本大震災のために新潟へ。
——鈴木さんはいつ頃からラーメンの仕事をしようと思ったんですか?
鈴木さん:中学生のときから将来はラーメン屋になりたいって思っていたんですよ。家でも料理をしていたし、ラーメンを食べるのも好きだったから。でも高校に届く求人の中にはラーメン屋がなくて、ラーメンに一番近いと思った東京の中華料理店を選んだんです。ところが、そこはラーメンみたいに庶民的な料理じゃなくて、超高級な中華料理店だったんですよ(笑)
——思っていたお店と違ったんですね(笑)。修行はいかがでしたか?
鈴木さん:とても厳しかったですね。100人いた同期がどんどん辞めていきました。最初の頃は雑用しかさせてもらえなくて、鍋に触ることすら許されませんでした。早く鍋を振りたかったので、毎日必死で仕事を覚えましたね。
——100人も同期がいたってことは、かなり大きな店だったんですね。そのお店にはどのくらいいたんですか?
鈴木さん:10年近くいました。だいたい10年でひと通りの仕事をおぼえることができたので、それを機に辞めさせてもらったんです。

——辞めた理由はあったんですか?
鈴木さん:大きい調理場で10年近く働いたから、今度はもっと小さい店でいろいろな仕事を経験してみたかったんですよね。それで居酒屋、バー、ラーメン屋で働きました。ラーメン屋では、自分で店を始めるための勉強をさせていただきました。その後、生まれ育った土地でラーメン屋を始めようと思って福島に帰ったんです。
——あれ? 新潟じゃなくて福島でラーメン屋を始めたんですか?
鈴木さん:そのつもりだったんですけどね……。まずは開店資金を貯めるつもりで郡山のラーメン店で働いていたんですけど、そのときに東日本大震災が起こったんです。
——ああ、 その頃なんですね。ちょうど福島に帰っていたとき……それは大変でしたね。
鈴木さん:郡山は津波の被害がなかったんですけど、それでも揺れは凄まじかったんですよ。店の中の食器は全部落ちて割れちゃったし、業務用の大きな冷蔵庫がすごい距離動いちゃったし。店の外に出たら前の家が倒壊していて、道路もヒビだらけで凸凹だったし、僕の車も倒れてきた塀で潰されてました。しばらくして店の営業を再開しようとしても、丼が割れてしまって残っていないんですよ。業者も営業してないから仕入れることもできなかったんです。
——それだけ大きな被害だったんですね……。
鈴木さん:おまけに福島第一原発の事故があって、いろいろな情報が錯綜したんですよ。私も子どもが生まれたばかりだったので、家族の安全を考えて妻の実家のある新潟へ移住したんです。
——なるほど。じゃあ、来てからすぐに「麺屋ななひら」を始めたんですか?
鈴木さん:いえ、僕はそれまで新潟に来たことがなかったので、新潟のことを全然知らなかったんですよ。自分で店をやろうにも食材の仕入先すらわかりませんし……。そこで新潟で人気のあるラーメン屋で働いて、勉強させてもらいました。いろいろ学ばせてもらいましたけど、驚いたことも多かったですね。
——たとえば、どんなことですか?
鈴木さん:まずラーメン屋がたくさんある上に、すごくたくさんのお客様が来ることが驚きでした。あと年配の人でもこってりした背脂ラーメンを食べるのもびっくりしましたね(笑)

開店当初は背脂ラーメンを期待してやって来て、帰ってしまったお客さんもいた。
——「麺屋ななひら」はいつオープンしたんですか?
鈴木さん:2013年にオープンしました。当時はまだ塩ラーメンをメインにした店が少なかったので、それまでの修行経験を生かして塩ラーメンを看板にした店にしようと思ったんです。でも最初はなかなか受け入れてもらえなかったですね。

——え、そうだったんですか?
鈴木さん:当時、新潟では背脂ラーメンが全盛だったんですよ。私が背脂ラーメンを売りにしている店で修行したこともあって、背脂ラーメンを期待してやって来るお客様も多かったんです。中には背脂ラーメンがないことにがっかりして、そのまま帰っていくお客様もいました。
——それでも塩ラーメンにこだわったんですね。
鈴木さん:子どもからお年寄りまで、誰もが食べられるようなラーメン屋にしたかったんですよ。それなら、あっさりした塩ラーメンがいいんじゃないかって思っていました。
——なるほど。その塩ラーメンはどんなこだわりで作っているんでしょうか。
鈴木さん:スープは鶏ガラをベースに魚介系の食材を何種類も使ってだしを取っています。何種類も使っているからざっくりと「魚介系」っていうのはわかるんだけど、何を使っているのかまではわからないと思います。塩は今までの経験で選んだ3種類をブレンドして使っているんです。スープがあっさりしている分、トッピングにはボリュームを持たせているんだけど、中でも梅干しは箸休めとアクセントになっていると思います。

——彩りのいいトッピングは食欲もそそりますね。作る上での苦労ってあるんですか?
鈴木さん:塩ラーメンのスープはシンプルだから、ごまかしがきかないんですよ。時間が経つと味が変わってしまうので、昼営業と夜営業でスープの味がブレないように保たせることが大変ですね。ときどきお客様からうちの塩ラーメンを「普通」って言われることがあるけど「普通」に作るのが一番難しいと思っています(笑)

店を続けるプレッシャーと戦う日々。
——お店を始めてみて苦労していることってありますか?
鈴木さん:とにかく毎日プレッシャーと戦っていますよ(笑)。自分が経営している以上、いくらがんばっていても売り上げがなければやっていけないですからね。自分のまわりで潰れた店もたくさん見てきましたから……。月末には「今月も潰れないで済んだ」って思うし、年末には「1年やってこれてよかったなー」って思っています。潰れるときは簡単に潰れちゃうから、毎日緊張して気が抜けないですね。
——今後、店やメニューを増やす予定はあるんですか?
鈴木さん:僕がラーメン作りを楽しんでいるので、他の人には作らせたくないんですよ(笑)。だから店舗を増やすことは考えていないですね。メニューを増やすことで塩ラーメンに手を掛けられなくなって、味が落ちてしまったら元も子もないので、メニューを増やすことも考えてないです。
——では、今のまま変わらずお店を続けていくということですね。
鈴木さん:そうですね。「麺屋ななひら」を10年近くやってきましたけど、はっきり言ってここからが勝負だと思っています。お店は誰でも作れるけど、維持していくのが大変なんですよ。これからもお客様に愛され続けるように、頑張っていきたいと思います。

「子どもからお年寄りまで誰もが食べられるラーメン」を目指して、塩ラーメンにこだわり続けてきた「麺屋ななひら」。鈴木さんの「普通に作るのが一番難しい」という言葉に、毎日ラーメンを作り続けてきた重みを感じました。「ここからが勝負」と語る鈴木さん。これからも飽きのこない塩ラーメンを作り続けてください!
麺屋ななひら
新潟県新潟市西区小針3-26-19
025-230-0357
11:00-15:00(L.O. 14:45)/17:00-21:00(L.O. 20:45)
水曜他不定休
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