新潟に夢と元気を!ローカルプロレス団体「新潟プロレス」の挑戦。
カルチャー
2019.08.11
「新潟プロレス」のシマ重野さんにプロレスへの思いを聞く。
有名な「新日本プロレス」や「全日本プロレス」をはじめ、日本にはたくさんのプロレス団体があります。地方で活動するローカルプロレス団体は、全国でなんと70以上もあるとか。もちろん新潟にもあります。その名もずばり、「新潟プロレス」。今回は「新潟プロレス」代表のシマ重野さんに、立ち上げの苦労やプロレスへの思いをお聞きしました。


新潟プロレス
シマ 重野 Shima Shigeno
1973年新潟市生まれ。1999年 プロレスラーを目指してメキシコのジムで修行。腰のケガで1年後に日本へ帰国。2011年 新潟プロレス設立。ニックネームは「越後の英雄」。得意技はレールガンドライバー。趣味はシガー(葉巻)を楽しむこと。
列車の中でプロレスやっちゃう「新潟プロレス」のいろいろ。
——今日はよろしくお願いします。まず「新潟プロレス」ってどんなことをしている団体なんですか?
重野さん:はい。「新潟プロレス」はプロレス団体ですので、プロレス興行を中心にやっています。主催している大会は年7回くらい。そのほか、他団体が開催する試合への参戦、祭りやイベントの中でおこなう企画試合を合わせると年20〜30試合は出場しているんじゃないですかね。選手育成のための道場もやっています。道場というといかついイメージですが、理想的なプロポーションを手に入れるためのダイエット、健康的な肉体づくり、そういったフィットネスやトレーニングを目的としたジムとしてもご利用いただいています。
——年に30試合も出場しているんですか! 珍しい大会というか試合というか、そういうのもあるんですか?
重野さん:たとえば、「新潟アルビレックス」のホームゲームのときにビッグスワンのイベント広場で試合をしました。このときはマスクド・アルビレックスが登場し、アルビドライバーで勝ったんです(笑)。めずらしい試合では、JR只見線の鉄道列車を借り切って、車両の中で「鉄道プロレス」を開催しました(笑)。糸魚川で大火があった後には、クラウドファンディングで集めた資金を元に、大日本プロレスとのコラボでチャリティープロレスも開催したんです。
——いろいろな試合をしているんですね。「新潟プロレス」ってどんな選手が所属しているんですか?
重野さん:自分のほかには、禅僧サイボーグ「BIG・THE・良寛(びっぐざりょうかん)」、電車王「前田誠(まえだまこと)」、紅一点の「水落麻衣(みずおちまい)」、タフボーイ「鈴木敬喜(すずきひろゆき)」がいます。「鈴木敬喜」は高校、大学とレスリングの経験があり、プロレス道場の研修生でした。入門してから1年もかからずに、先月デビューした期待の新人です。選手以外には専属リングアナウンサー「アオーレ長井」がいます。

選手やスタッフ集め、運営資金で苦労した立ち上げ。
——どのようないきさつで「新潟プロレス」を立ち上げたんでしょうか?
重野さん:自分は26歳の頃に、プロレスの本場・メキシコへ渡り、ジムに1年間通ってプロレスを学んだんです。ところが腰を痛めてしまって、プロレスをあきらめて地元新潟に帰ってきました。その後10年間くらい、プロレスから離れた生活を過ごしていたんですが、新潟で再びプロレスをやりたいと思うようになったんです。どうせやるんだったら、プロレスで新潟を盛り上げることができないかと考えました。離れてみてはじめて新潟のよさや、自分の中の新潟愛を強く感じたんです。
——なるほど。それで「新潟プロレス」を立ち上げたんですね。
重野さん:自分が新潟でプロレス団体を立ち上げようと考え始めた2010年前後は、ローカルプロレス団体がいろいろ出てきた頃なんです。「信州プロレスリング」「九州プロレス」「京都プロレス」「鳥取だらすプロレス」…。新潟でも当然誰かがプロレス団体を立ち上げるんだろうと思っていたんですが、誰もやらなかったので自分で旗揚げすることになりました(笑)
——俺がやらねばって感じですね。立ち上げはやっぱり大変だったんですか?
重野さん:最初は自分1人しかいなかったので、選手、スタッフなどの人材集めに苦労しました。プロレス練習生の募集をしてみても、1年で2〜3人くらいしか集まらない。「野蛮な人間の集まりなんじゃないか」「反社会勢力とつながっているんじゃないか」といった、プロレス団体への不信や誤解もあったようで、道場の場所を借りた周辺地域の人たちから反対されたりもしました。でも、コツコツ実績を積み重ねたことで信頼も得られるようになりましたね。
——資金面ではどうだったんでしょうか。
重野さん:運営資金もない状態でしたから、自己資金もかなり投入しましたね。家族からの反対もありましたが、自分についてきてくれる選手やスタッフもいましたから、その夢を実現してあげたい思いからも、やめるわけにもいかなかったですね。いろいろな人の力を借りながら、ここまでやってこれたんだと思います。

選手不足で自らリングに?「シマ重野」誕生秘話。
——重野さんはもともとプロレスが好きだったんですか?
重野さん:そうですね。小学校の卒業文集に「将来はプロレスラーになりたい。」って書いてありましたから(笑)。当時はアントニオ猪木、初代タイガーマスク、天龍源一郎に憧れていたんです。ところが大人になるにつれてプロレスへの興味が薄れていってしまったんですよ。
——それがどうして、またプロレスに興味を持つことになったんでしょうか?
重野さん:就職してサラリーマンになった頃、深夜のテレビで放送していたSWSという団体のプロレス試合を偶然見たんです。戦っていたのはウルティモ・ドラゴン。メキシコ仕込みのすごい技を日本でやっているのを見て、その動きに感動しました。やっぱりプロレスってカッコいいな!プロレスってすごいな!と思い、小学生以来のプロレス熱が再燃したんです。それ以来、プロレスが頭から離れなくなり、ビデオや雑誌でSWSの試合を観まくりました。
——それでメキシコに行ってプロレス修行したんですか?
重野さん:はい。メキシコはプロレスの本場ですからね。でも、腰を痛めて立ち上がれないほどになり、1年でメキシコを離れることになってしまったんです。日本に帰ってからはプロレスを離れ、新潟でスポーツトレーナーなどをやっていました。そんな中、メキシコのジムでいっしょに練習していた仲間が次々と日本に帰ってきて「新日本プロレス」に入団したり、「九州プロレス」を立ち上げるなど活躍し始めたんです。仲間の活躍を横目で見ながら「自分はメキシコまで行って何をやってきたんだ?」と思いましたね。それで、自分もプロレス団体を立ち上げ選手を育成しようと決心したんです。自分が選手として試合に出なくても、選手を育成することでプロレス団体を作れると思いました。でも、いつまでたっても選手が集まらないので、結局自分がリングに上がることになったんです(笑)
——やる人がいなくて自分が選手に(笑)。「シマ重野」というリングネームにはどんな意味があるんですか?
重野さん:「新潟プロレス」を立ち上げる3年くらい前、手に職をつけようと思ったことがあって、東京の「シマスポーツ」という会社に弟子入りしたんです。そこはプロレスのリングコスチュームなどを製作している会社で、3年ほどコスチューム作りの修行をしました。その後、「新潟プロレス」を立ち上げ、プロレスラーとしてリングに上がることになったので、東京のジムに通ってトレーニングを再開したんです。そのとき、ジムの先輩が「シマスポーツ」にいた自分のことをおぼえていて、「シマ重野」というリングネームをつけてくれたんですよ(笑)

あこがれの選手との共演。トラブル、ケガの絶えない試合。
——選手として個人的に印象に残っているご自身の試合はありますか?
重野さん:2015年にあった天龍源一郎の引退試合。小学生の頃にあこがれていた選手だったので、引退試合に呼んでいただけたのはうれしかったですね。タッグを組んだ獣神サンダー・ライガーをはじめ、素晴らしい選手ばかりで夢の中にいるようでした。あと2016年の「新潟プロレス旗揚げ5周年記年大会」。自分がプロレスへの気持ちを取り戻すきっかけになった、ウルティモ・ドラゴン選手とシングルマッチをやらせてもらいました。感慨もひとしおでしたね。
——なるほど。では別な意味で印象に残っている試合はありますか? トラブルやハプニングなど…。
重野さん:ああ…たくさんあり過ぎて…。試合中にリングの床板が外れてしまったり、屋外の試合で台風に見舞われたりと、なんらかのトラブルはしょっちゅう起こりますよ。試合中にまちがって会場の電気を消されたこともありました(笑)。今年の4月にやった「初代タッグチャンピオン決定トーナメント」には、「新潟プロレス」顧問でもあるグレート小鹿選手が出場して、自分とタッグを組むことになっていたんです。小鹿選手は77歳と日本で最も高齢な現役レスラーなんですよ。それが大会前に緊急入院してしまい、退院したのが大会の2週間前。そんな状態でリングに上がって大丈夫かなと心配で…。試合を止められるのを恐れた小鹿選手からは「誰にもいわないでくれ」と口止めされてたんです。ところが試合が始まったら、ぶっちぎりで勝ってしまいました(笑)
——すごい執念ですね(笑)。病気はともかく、ケガは日常茶飯事なんでしょうか?
重野さん:靭帯を痛めたり捻挫したりすることはしょっちゅうですね。大仁田選手のプロレス団体・FMWに出場した時は腕にやけどを負いまして、1週間体液が流れ続けました。あんなやけどをしたのは初めてですね(笑)

旗揚げ10周年を目指して、人々に夢と元気を。
——今後「新潟プロレス」としては、どのような試合をやっていきたいですか?
重野さん:おかげさまで今年で旗揚げ8年目を迎えるので、まずは10周年を目指して活動をしていきたいです。そのときはビッグイベントを開催したいですね。場所はもちろん、新潟におけるプロレスの聖地・新潟市体育館でやれたらいいなと思っています。。期待していてください。
——楽しみですねー。では最後に、地元プロレス団体として新潟とどのように関わっていきたいと思いますか?
重野さん:新潟のスポーツ、そしてエンターテイメント面で、もっとみんなに認知してもらえる団体になりたいと思っています。また、新潟に夢と元気をつみ上げるというコンセプトのまま、人々に夢や元気を与える活動をしていきたいと思いますね。

一度はケガであきらめかけたプロレスラーの夢を、ローカルプロレス団体の立ち上げという形で復活させた重野さん。後輩選手の育成にも力を入れ、10周年に向けてますます充実していく「新潟プロレス」。今後、どんな熱い試合を見せてくれるのか、とっても楽しみです。これからも新潟の人たちに夢と元気を与え続けてください。
新潟プロレス
〒950-0813 新潟県新潟市東区大形本町3-3-27
025-288-5255
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