食材には旅をさせない。
糸魚川の恵みを届ける「mûrir」
食べる
2026.05.24
糸魚川市の田園風景の中に、ぽつんと現れるレストラン「mûrir」(ミュリール)。シェフの渡辺さんは帝国ホテルでの修業を経て、地元に戻ってきました。豊かな食材に恵まれた糸魚川に誇りを持ち、「食材には旅をさせない」をモットーに、使う食材のほとんどは地のもの。レストランを営むことになったきっかけや、雄大な景色をどんなふうに料理に生かしているかなど、いろいろとお話を聞いてきました。
渡辺 光実
Watanabe Mitsunori(mûrir)
1991年糸魚川市生まれ。東京の調理系専門学校を卒業後、帝国ホテルに就職し料理人として3年半経験を積む。23歳で地元に戻り、糸魚川市内のイタリアンレストランで5年半シェフを務める。2020年、糸魚川市駅北広場「キターレ」オープンと同時に、シェアキッチン「つなぐキッチン レ・ジョン」の営業をスタート。「株式会社越後薬草」のコーポレートシェフを経て、2023年に「株式会社清耕園ファーム」が運営するレストラン「mûrir」をオープン。ビール愛好家で、サッポロ生ビール黒ラベルが特にお気に入り。
山、川、海に囲まれた
豊かなまち。
――渡辺さんは、以前から生まれ育った場所で飲食店を構えようと決めていたんですか?
渡辺さん:僕が料理人を目指したのは、中学生の頃です。糸魚川は、海、山、川すべてが近くにあって、食材も無限にあります。自然の恵みにあふれた糸魚川で料理人になるんだ、とずっと心に決めていました。
――中学時代から地元のことをよく知っていたなんて、さすが感性が鋭いですね。
渡辺さん:もちろん今ほど深くは考えていませんでしたよ(笑)。それでも「美味しい食べものが山ほどあるよな」とは感じていて。近所の人からいろんなものを分けてもらうこともありました。それこそ春に山菜やタケノコをお裾分けしてもらったり。兼業農家の父は、田んぼ作業の合間に山に入って山菜やキノコを採ってきたり、海で魚を釣ったりしていて。そういう環境で楽しませてもらっていたのもあるんですよね。
――東京では帝国ホテルで働かれていたんですね。
渡辺さん:当時は、フランス人シェフのもとで働いていました。シェフが購読していたフランスの雑誌に、とある有名なレストランが紹介されていたんですけど、それが大自然の中にポツンとあって、自分たちが営む農園の素材を使うスタイルにピンときてしまったんです。「これを糸魚川で実現したい」と思ったんですよ。
――都会ではできないことですもんね。
渡辺さん:当時はそういう「山村の中にあるレストラン」は、ほとんどなかったと思います。もちろんあるにはあったんでしょうけど、今ほど注目されていませんでした。だから当時は、東京から糸魚川に帰ることをいろんな人に大反対されました。そんな夢物語がうまくいくはずないだろう、って。

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生産の苦労を知る。
考えが変わる。
――糸魚川に戻って、最初はイタリアンレストランにお勤めされました。
渡辺さん:ビジョンがあっても、すぐに理想通りのお店を作れるわけではありません。地元に戻り、ナポリピザが人気のお店で働かせてもらいつつ、父の米作りを手伝ったり、自分で畑をはじめたりしました。
――そのタイミングで、ご自身で生産もされたんですか。
渡辺さん:生産「した」と言えるかどうか(笑)。見よう見まねで農業をして、挫折しましたよ。ノウハウがないので、種や苗を植えても育たないという……。いろんな人に助けてもらいながら、やっと農作業をしていたようなものです。
――発見がたくさんあったのではないですか?
渡辺さん:自分の手で農作物を作ってみて、初めて「そのものの大切さ」「育てる大変さ」を感じました。生産の喜びは確かにあるんだけど、それ以上に苦労を感じたんですよね。そういう実体験から「もっと食材のことを伝えなくちゃ」という考えに変わっていきました。大切に扱おう、無駄にしてはいけない、という気持ちが強くなったんですね。
――でもどうして農業をはじめてみることにしたんでしょう? 有機栽培をしたい、みたいな気持ちがあったとか?
渡辺さん:生産者さんの顔が見える食材を提供したくって。有機栽培がよい、農薬を使うことが悪い、という考えは僕にはありません。人間が薬を飲むのと一緒で、薬剤が必要な場合もあります。それよりも、生産者さんの意図を大切にしたいと思っています。この頃から「安心できるものを作っている生産者さん」へのアンテナを張り、信頼できるみなさんとつながることができました。

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シェアキッチンから、
田園の中に佇むレストランへ。
――その後、独立されたわけですね。
渡辺さん:2020年に糸魚川市駅北広場 キターレのオープンと同時に、施設内のシェアキッチンで「つなぐキッチン レ・ジョン」をはじめました。ただ開業時期はコロナ禍の真っ只中の、緊急事態宣言が出るかどうかという状況で、「このタイミングでの独立は安易だったか」と悩みました。思うようにいかないこともありましたけど、2年間の営業で、地元の素材とじっくり向き合えたと思っています。そもそもキターレは、2016年の糸魚川大火の被災地に建設された復興のシンボルです。シェアキッチンは、飲食店をはじめたい人のためのスタートアップの場なので、そこで挑戦する機会をもらえたことはとても光栄でした。
――ちなみにどういうお料理を出していたんです?
渡辺さん:帝国ホテルで学んだフレンチを生かしたコース料理です。フルコースで5,500円。まずは「渡辺光実が作る料理がどんなものかを知ってもらいたい」という思いでした。
――2023年にはいよいよ、ご自身の夢を叶えたような「mûrir」をはじめます。キターレのシェアキッチンから「mûrir」へと動き出したきっかけを教えてください。
渡辺さん:義両親が経営する農業法人「清耕園ファーム」では、自社で手がけるお米をはじめとする農作物で6次産業化にチャレンジしたい、という構想がありました。それと僕が理想としていたレストラン像が合致したんです。
――すごい! なんという運命的な流れ。
渡辺さん:それが正直なところ、周りからはだいぶ心配されまして。糸魚川駅に新幹線が停まるようになったとはいえ、駅から車で約15分。「こんな場所で飲食店をはじめて大丈夫なのか?」と。でも僕としては「こういう場所でないと自分の料理を表現しきれない」という気持ちがあったんです。

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空気も、景色も、思いも
一皿を彩るエッセンス。
――あらためて「mûrir」がどんなお店なのか教えてください。
渡辺さん:360度田園に囲まれているレストランです。スペインのレストラン「Txispa」で学んだことを踏まえて、お米をメインにした薪焼きのコース料理を提供しています。
――もちろんフレンチ?
渡辺さん:今は「フレンチ」とは表現していません。むしろ和食寄りになっているかも。よりシンプルに素材のおいしさを引き出す、余計なことはしないスタイルに変わりました。素材を焼いて塩をかけるだけ、みたいな一皿を出すこともあります。
――渡辺さんご自身が生産者を経験したからできることですよね。
渡辺さん:そのまま食べてもおいしいものにわざわざ手を加えなくていいのかもな、という考えはあります。魚の究極の食べ方は刺身のような気がするし(笑)。わざわざこの地に足を運んでもらうには、都会のレストランの真似事ではなく、糸魚川の恵みをダイレクトに、いちばんおいしい状態でお届けしようと思ったんです。
――料理人さんとしての葛藤はなかったですか?
渡辺さん:フレンチを突き詰めているシェフのお皿は緻密で美しくて、たくさんの食材や技術が詰め込まれています。そういう料理を見ると刺激を受けますし、純粋にすごいなと思います。でも僕は、食材そのものをまっすぐ届けるような料理をしたいと思っていて。それに、食材に旅をさせるのはちょっと違うかな、とも思うんですよ。
――「旅をさせる」とおっしゃいました?
渡辺さん:海外から食材を輸入してくるとなると、それこそ誰が生産したのかわからないですよね。そういうものより地元のもの、誰が作ったのか、誰が獲ったのかがわかるものを届けたいんです。「mûrir」ではコース料理を13皿提供するんですが、その中の90%以上は糸魚川の食材です。足りないときは県内のもの、どうしても手配ができないものは輸入品を使いますが、なるべく「旅をさせない」ようにしたいんですよ。せめて「遠足くらい」にしたいな、って(笑)
――理想のお店を構えて、どうですか?
渡辺さん:料理のコンペティション「RED U-35」や「新潟ガストロノミーアワード」、レストランガイドブック「ゴ・エ・ミヨ」などで、「この土地の風土を生かしている」と評価していただいていることが誇りです。プレッシャーでもありますが。
――そもそものことなんですが、せっかくキターレでフレンチのコースを確立したのに、どうして違うやり方を選んだのか不思議です。
渡辺さん:やっぱり街中と大自然の中にあるお店とでは、出てくる料理は違って当然のような気がするんです。山頂で食べるカップラーメンやおにぎりが格別おいしいのと同じで、ここの空気と景色、生産者さんの思いを一緒に口に入れるのが「mûrir」だけの口内調理だ、と思っています。「mûrir」のアドバンテージになるものは、この景色です。僕はそこにちょっとしたエッセンスとして、料理を添えています。窓から見える農作業の様子も、大事な調味料のひとつなんです。

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